哀れな中年の愚かな夢
一
これは、うだつの上がらない中年の、哀れで滑稽な恋の話しである。
物語の主人公であるオダノブナカは、四十二歳の中年である。厄年をかろうじて抜け、初老と言われる年に堂々と突入したのである。
姓がオダで名がノブナカとくれば、誰もが、戦国の武将織田信長と、名前を言うたびに、比較してくれるが、当の本人は、この名前にひどく困惑し、迷惑がり、鬱陶しがっている。ガとカの違い、もっと言えば濁点があるかないかの違いのために、生まれた時から、戦国武将と比較され続けてきたからだ。
濁点のないノブナカの方は、濁点のあるノブナガとは似ても似つかない、気弱で優柔不断で優しいだけがとりえの男である。
さて、この織田ノブナカは、人口三万足らずの田舎の市役所に勤めている、ごくごく平凡な、本当に公務員としては、模範的な男である。黒澤明監督の「生きる」の主人公を思い出してもらえば、大体想像はつくと思う。
この男にも、妻子はある。妻は専業主婦であり、子供は、男の子が二人。長男は、現在中学二年で、次男は小学四年。
妻は、どこの家庭の専業主婦がそうであるように、教育ママであり、子供たち二人を当然のごとく、高い月謝を支払い、学習塾に通わせている。
そして、妻は、実家で信仰していた宗教の幹部になっており、中々、昼も夜も活動に忙しい。ノブナカも妻の強い勧めにより、一応入信はしていたが、妻のように熱心な信者ではない。
ノブナカは、妻とは恋愛結婚であるも、結婚するときは、妻に強引に押し切られた感が強い。
ノブナカは、気弱で内向的な性格ではあるが、外見は悪くない。
若い頃から、メンズクラブとかファション雑誌を購入し、ジェイプレスのジャケットとか、ラルフローレンのポロシャツとか、それなりのオシャレはした。
学生の頃は、「俺達の旅」に出演していた田中健に似ているとも言われた。田中健は「オメダ」という気弱な青年の役で、そこがまた良く似ているとも言われた。
妻も出会った頃は、松田聖子似の、バリバリのブリッコぶりを発揮してカワイかったのだが、現在では、その面影は影を潜め、貫禄十分の、宗教団体の幹部然とした姿に変わり果てた。
3LDKのマンション暮らしで、思春期の息子を抱えていることから、当然のごとく、セックスはおあずけの日々。妻も昔のように、カワイくしなりよることなど、夢にもなくたってしまい、忘れかけた頃、排泄物を吐き出すがごとくの、ムードのかけらもない儀式のようなセックスを、本当に忘れかけた頃、行っている。
公務員らしい公務員のノブナカは、一応中間管理職ではあるが、職場での存在感も薄い。
中間管理職としてのプレッシャーや上司部下への気使いにストレスもたまるが、かといってパチンコ等娯楽もしない。たまに同僚達と酒を飲み、スナックの姉ちゃん達のフトモモを触る程度で済ましている。
エリート街道を突っ走るタイプではなく、また、本人もそういったことに興味を示さない。最初から、競いあうことを放棄している。
ただただ、平凡な日常を繰り返し、定年迄無事勤め上げれば、それで本望である、というのがノブナカの信条である。欲もなければ、夢もない。
この男ほど、平凡という言葉が、似合う男はいないかもしれない。しかし、人間には、時として、大きな誤算が生ずるものである。これは、当人が一番驚いたことである。その大いなるノブナカの誤算の話しに進むことにする。
二
ある晩、忘年会の席上、同僚達が何やら風俗の話しに盛り上がっている。当然のごとく、その会話に加われないノブナカは、同僚達の話しに聞き入っていた。
「オレ、この前、ツーショットで知り合った娘と待ち合わせして、会ったら、その娘、まだ高校生やって、びっくりしたよ」
「オマエ、それ犯罪やぞ。で、その娘とやったんか」
「バカいえ、そんなんで警察に知れたら、懲戒免職やろ、やるわけないじゃんか」
「うそつけ、本当はやったんやろ」
「やらん、やらん、そんな怖いぜよ、いまどきの娘は」
こんな会話を聞きながら、ツーショットダイヤルというものがこの世に存在することを始めて知ったのである。そしてその会話の中から、ツーショットダイヤルが、コンビニに売っている週刊誌の中に掲載されている電話番号にかけたら、相手と通じるらしいということも知った。
その晩タクシーで帰りながら、ノブナカは、妻と子達が妻の実家に帰っていることを思いだし、コンビニで週刊誌を買って、電話をしてみようと思った。
何故、そんなことを、実行してみようと思ったのかは、本人にも理由がわからない。多分、酔いと、明日から年末の休暇に入ることと、家族がいないことの開放感から、そうさせたのかもしれない。
部屋に入って、さっそくその手のページを探し電話をしてみた。
しかし、手続きに難航した。コンピューターの女性の指示どおりにやっていくが、酔っていることもあり途中で何度もしくじり、始めからやり直さなければいけない。
小一時間くらい格闘したあげく、やっとそのシステムの登録が完了し、相手が電話に出るのを待つ体勢になった。
さっきまで、酔っ払っていたはずのノブナカは、ドキドキしだした。十分ほどして、コンピューターの女性の声が「相手と繋がりました」と伝えた。
「はじめまして」
「……」
「はじめまして、ワタシ、ケイコといいます」
ノブナカは震える声で、「はじめまして」と言ったが、次の言葉が出ない。
「どうしたンですか、気分でも悪いの?」
「いえ……、こういった電話はじめてするもので、緊張してるんです」
「エー、そうナンですか。ワタシもはじめてよー」
「君は、いくつナンですか?」
「エー、ワタシー、十九になったばかりー」
十九と聞いた途端にノブナカは反射的に電話を切っていた。未成年と関係を持ち、そのことが発覚し、懲戒免職になった教員や公務員が昨今新聞紙上を賑わかせており、未成年と聞けば、条件反射的に、「やばい」と思うのである。
次に出た娘はオナニー中であるとのことで、こちらが話しかけても話にならなかった。
次に出たのは、旦那が出張中で暇だから電話しているという主婦で、とても感じのいい女性だったが、料金のことが気になり、三十分を経過した頃電話を切った。
こうして、始めてのツーショットを体験したノブナカが、何故かこのツーショットにはまってしまった。
妻や子が外出している数時間の間や、時には、深夜こっそり家を抜け出し、車の中でツーショット・ダイヤルをする。
最初の頃は、興味本位にやっていたものが、段々と真剣に自分と付き合ってくれる女性を捜すようになった。まさに、ツーショットの中毒患者になりつつあった。
妻が活動に忙しく夜家を空けることが多かったことが幸いした。しかし、電話代が高騰しないよう注意を払った。妻は、家計簿もつけず、どちらかといえば大雑把な性格であることから、その辺の変化には無頓着であった。
三
これは、うだつの上がらない中年の、哀れで滑稽な恋の話しである。
物語の主人公であるオダノブナカは、四十二歳の中年である。厄年をかろうじて抜け、初老と言われる年に堂々と突入したのである。
姓がオダで名がノブナカとくれば、誰もが、戦国の武将織田信長と、名前を言うたびに、比較してくれるが、当の本人は、この名前にひどく困惑し、迷惑がり、鬱陶しがっている。ガとカの違い、もっと言えば濁点があるかないかの違いのために、生まれた時から、戦国武将と比較され続けてきたからだ。
濁点のないノブナカの方は、濁点のあるノブナガとは似ても似つかない、気弱で優柔不断で優しいだけがとりえの男である。
さて、この織田ノブナカは、人口三万足らずの田舎の市役所に勤めている、ごくごく平凡な、本当に公務員としては、模範的な男である。黒澤明監督の「生きる」の主人公を思い出してもらえば、大体想像はつくと思う。
この男にも、妻子はある。妻は専業主婦であり、子供は、男の子が二人。長男は、現在中学二年で、次男は小学四年。
妻は、どこの家庭の専業主婦がそうであるように、教育ママであり、子供たち二人を当然のごとく、高い月謝を支払い、学習塾に通わせている。
そして、妻は、実家で信仰していた宗教の幹部になっており、中々、昼も夜も活動に忙しい。ノブナカも妻の強い勧めにより、一応入信はしていたが、妻のように熱心な信者ではない。
ノブナカは、妻とは恋愛結婚であるも、結婚するときは、妻に強引に押し切られた感が強い。
ノブナカは、気弱で内向的な性格ではあるが、外見は悪くない。
若い頃から、メンズクラブとかファション雑誌を購入し、ジェイプレスのジャケットとか、ラルフローレンのポロシャツとか、それなりのオシャレはした。
学生の頃は、「俺達の旅」に出演していた田中健に似ているとも言われた。田中健は「オメダ」という気弱な青年の役で、そこがまた良く似ているとも言われた。
妻も出会った頃は、松田聖子似の、バリバリのブリッコぶりを発揮してカワイかったのだが、現在では、その面影は影を潜め、貫禄十分の、宗教団体の幹部然とした姿に変わり果てた。
3LDKのマンション暮らしで、思春期の息子を抱えていることから、当然のごとく、セックスはおあずけの日々。妻も昔のように、カワイくしなりよることなど、夢にもなくたってしまい、忘れかけた頃、排泄物を吐き出すがごとくの、ムードのかけらもない儀式のようなセックスを、本当に忘れかけた頃、行っている。
公務員らしい公務員のノブナカは、一応中間管理職ではあるが、職場での存在感も薄い。
中間管理職としてのプレッシャーや上司部下への気使いにストレスもたまるが、かといってパチンコ等娯楽もしない。たまに同僚達と酒を飲み、スナックの姉ちゃん達のフトモモを触る程度で済ましている。
エリート街道を突っ走るタイプではなく、また、本人もそういったことに興味を示さない。最初から、競いあうことを放棄している。
ただただ、平凡な日常を繰り返し、定年迄無事勤め上げれば、それで本望である、というのがノブナカの信条である。欲もなければ、夢もない。
この男ほど、平凡という言葉が、似合う男はいないかもしれない。しかし、人間には、時として、大きな誤算が生ずるものである。これは、当人が一番驚いたことである。その大いなるノブナカの誤算の話しに進むことにする。
二
ある晩、忘年会の席上、同僚達が何やら風俗の話しに盛り上がっている。当然のごとく、その会話に加われないノブナカは、同僚達の話しに聞き入っていた。
「オレ、この前、ツーショットで知り合った娘と待ち合わせして、会ったら、その娘、まだ高校生やって、びっくりしたよ」
「オマエ、それ犯罪やぞ。で、その娘とやったんか」
「バカいえ、そんなんで警察に知れたら、懲戒免職やろ、やるわけないじゃんか」
「うそつけ、本当はやったんやろ」
「やらん、やらん、そんな怖いぜよ、いまどきの娘は」
こんな会話を聞きながら、ツーショットダイヤルというものがこの世に存在することを始めて知ったのである。そしてその会話の中から、ツーショットダイヤルが、コンビニに売っている週刊誌の中に掲載されている電話番号にかけたら、相手と通じるらしいということも知った。
その晩タクシーで帰りながら、ノブナカは、妻と子達が妻の実家に帰っていることを思いだし、コンビニで週刊誌を買って、電話をしてみようと思った。
何故、そんなことを、実行してみようと思ったのかは、本人にも理由がわからない。多分、酔いと、明日から年末の休暇に入ることと、家族がいないことの開放感から、そうさせたのかもしれない。
部屋に入って、さっそくその手のページを探し電話をしてみた。
しかし、手続きに難航した。コンピューターの女性の指示どおりにやっていくが、酔っていることもあり途中で何度もしくじり、始めからやり直さなければいけない。
小一時間くらい格闘したあげく、やっとそのシステムの登録が完了し、相手が電話に出るのを待つ体勢になった。
さっきまで、酔っ払っていたはずのノブナカは、ドキドキしだした。十分ほどして、コンピューターの女性の声が「相手と繋がりました」と伝えた。
「はじめまして」
「……」
「はじめまして、ワタシ、ケイコといいます」
ノブナカは震える声で、「はじめまして」と言ったが、次の言葉が出ない。
「どうしたンですか、気分でも悪いの?」
「いえ……、こういった電話はじめてするもので、緊張してるんです」
「エー、そうナンですか。ワタシもはじめてよー」
「君は、いくつナンですか?」
「エー、ワタシー、十九になったばかりー」
十九と聞いた途端にノブナカは反射的に電話を切っていた。未成年と関係を持ち、そのことが発覚し、懲戒免職になった教員や公務員が昨今新聞紙上を賑わかせており、未成年と聞けば、条件反射的に、「やばい」と思うのである。
次に出た娘はオナニー中であるとのことで、こちらが話しかけても話にならなかった。
次に出たのは、旦那が出張中で暇だから電話しているという主婦で、とても感じのいい女性だったが、料金のことが気になり、三十分を経過した頃電話を切った。
こうして、始めてのツーショットを体験したノブナカが、何故かこのツーショットにはまってしまった。
妻や子が外出している数時間の間や、時には、深夜こっそり家を抜け出し、車の中でツーショット・ダイヤルをする。
最初の頃は、興味本位にやっていたものが、段々と真剣に自分と付き合ってくれる女性を捜すようになった。まさに、ツーショットの中毒患者になりつつあった。
妻が活動に忙しく夜家を空けることが多かったことが幸いした。しかし、電話代が高騰しないよう注意を払った。妻は、家計簿もつけず、どちらかといえば大雑把な性格であることから、その辺の変化には無頓着であった。
三
作品名:哀れな中年の愚かな夢 作家名:忍冬