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猫には感傷なんてややこしい感情はない

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俺は一匹狼……ではなく『一匹猫』だ。
 まあ、牡猫と言うものはそういうものだ、俺に限らずね。
 猫は……人間に飼われている猫のことは知らない、俺の言うのは野良猫のことだ……群れを作らないと思われているようだが、実はそうでもない。
 牝猫はしばしば群れを作る、協力して子育てをするためだ。
 子孫を残し、種を存続させるために自然が与えた本能がそうさせるんだ。
 母猫と娘、そのまた娘が一つの群れに属することはごく普通にある、だが子供でも牡猫の場合はある程度成長すると群れからは追い出される。
 猫の群れは一夫多妻制、要するに牡はボスが一匹いれば良い、ボスと言えば聞こえは良いが、要するに用心棒と種馬ならぬ種猫を兼ねているようなものだ。
 強い牡猫が一匹いて子猫は全部その強い雄の子、それが種の存続のためには合理的な仕組みだ、ボスは他の牡猫を排除する、ごく子猫の内は見過ごすが、自分の座を脅かす可能性が出てくれば排除の対象になり、力の差が大きければ弱い方は死ぬことになる、それを未然に避けるために母猫は雄の子猫を群れから追い出すんだ。
 
 だが都会ではそうではないらしい。
 いや、俺はその『都会』とやらに行ったことはないんだが、やたらとへらへらしていて『争いは嫌いだ』などとほざく牡猫に出会ったことがあるんだ。
 そいつが食っていたものを横取りしようとすると、戦う気概も見せずににあっさり降参しやがった。
 もっとも、あらかた食っちまった後だったからかもしれないがね。
 馴れ馴れしいやつだったし、戦う気はまるでないように見えたから、横取りした食い物を食いながらしばらく話を聴いてやっていた。
 そいつは元々都会で飼われていた、食い物の心配もねぐらの心配もなかったらしく、喧嘩の仕方も知らない奴だった。
 都会ではほとんどが飼い猫だし、野良猫でもゴミ捨て場に行けば人間の食べ残しが豊富にあったからそれを巡って争いになるようなこともなかったらしい。
 しかも野生動物はほとんどいないし、犬も飼いならされてリードに繋がれているから危険もほとんどないんだと言う。
 そんな状況の中で暮らしていればそいつのような腑抜けが出来上がるのもわかる。
 群れを作るのは食い物を確保して外敵から身を守るため、その必要がなければ猫と言う生き物は気ままに暮らしたいものだ。
 群れがなければボスも必要ない、都会の猫はてんでに好きな相手と交尾するんだそうだ、強い遺伝子を残す必要もなければそれで構わないと言えば確かにそうだ。
 それ以前に飼い猫と言う奴は牡も牝も生殖機能を人間に奪われてることが多いらしいがね。
 そいつは人間に連れられてここへやって来て、ちょっと外の様子を見に出ていた間に人間は都会へ帰っちまったらしい。
 そいつはそのうちに迎えに来てもらえるものと思ってるようだったが、俺が思うに、そいつは棄てられたんだろうな……。
 そいつか? じきに死んだよ、何があったのかは知らないが、草むらの中で冷たくなっていやがった、まあ、あいつはここで生きて行く術を知らなかったし、体力も根性もなかったからね、どのみち長生きは出来なかっただろうさ。
 
 群れから追い出された後、俺は一匹で生きて行かなくちゃならなかった。
 幸い、俺は特にすばしっこかったからネズミや鳥を捕まえることはすぐにできるようになった。
 狩りは好きだぜ、物音を立てないようにそっと近づく緊張感、襲い掛かり、じたばたする獲物を前脚で抑え込む高揚感、そしてガブリとやって止めを刺す達成感……興奮するね。
 もちろん狩りは食い物を得るためにするんだが、俺はそれが好きで得意だ。
 おかげで体も大きくなり、力もついた。
 そんなある日、俺は俺より身体が大きい牡猫に襲われた、知らないうちにある群れの縄張りに入っちまってたらしい、そいつは俺より力も強かったから危なかったぜ。
 だが、長年群れのボスとして君臨し、安楽な暮らしの中で狩りのカンを鈍らせていたんだな、俺は前脚で抑え込まれそうになりながらも一瞬の隙を衝いてそいつの喉笛に噛みついた。
 そいつは暴れて俺は随分と振り回されたが、狩りを成功させる秘訣は一旦捕らえた獲物を絶対に離さないことだ、振り回され、地面に叩きつけられても俺は喉笛を離さなかった、そのうちにそいつはぐったりとしてきて、遂には倒れ込んだ。
 それでも俺は離さなかった、息の音が止まるまで力を緩めないことも狩りの鉄則の一つだからな……殺す必要まではなかったんだが、俺にはそこまで考える余裕はなかったんだ。
 そうやって、俺はその群れのボスを倒してその座を奪った。
『それじゃ一匹猫じゃない』って?
 そうでもないさ、確かに食い物は貢がれるし俺の子孫を残してくれる牝猫も周りにたくさんいる。
 だが、その座は安泰ってわけじゃない。
 子猫の頃は群れの牝猫に愛されていたさ、母猫には特にね。 
 だが、ボスってのは彼女たちにとって道具のようなもんだ、力で群れを守り、強い遺伝子を提供させるためのね。
 だから負ければ用無しさ、俺が前のボスからその座を奪ったように俺だっていつ追われるかわかったもんじゃない。
 ボスは群れの一員じゃない、群れに必要とされるから一緒にいるだけで、もっと強い牡が現れれば追い出されるか殺されるかだ、だから群れと一緒にいても牡は常に『一匹猫』なんだ。
 
 実際、俺も戦いに敗れて群れから追われたこともある、その頃の俺は、俺が殺した前のボスと同じように怠けてたんだな、いざ戦いとなったら思ったより機敏に動けなかったんだ、まあ、それでも喉笛に噛みつかれるほどなまっちゃいなかったから逃げおおせたけどな。
 独りに戻った俺はまた狩りをするようになり、なまっていた身体も元通りになった。
 そして今度はこの群れのボスと戦って追い出し、奴に代わってボスに収まってると言うわけだ。
 今度は身体がなまらないように狩りも続けているがね。
 
 ここいらにも一応人間は住んでいる、だが数が少ないんだ、ゴミ捨て場はあるがそんなに量は多くない、その代わりと言っちゃなんだがネズミや鳥は多い、その両方で俺たち猫は暮らして行けてるんだ。
 ゴミ捨て場で群れがはちあえば取り合いになる。
 飼い猫ってのは野生を忘れてるから人間はつい忘れているようだが、猫ってのは本来夜行性だ、獲物となるねずみなどの小動物はたいてい夜行性だし、鳥は夜目が効かないから捕らえやすいんだ。
 人間が猫の絵を描くと目を縦長に描きがちだが、あれは瞳孔でね、暗い所では丸く開いて光を多く取り入れられるように出来てる、ついでに言えば人間が白目だと思っている部分が虹彩、白目はほとんどない。
 そもそも夜目が利くように出来てるのさ。
 だからゴミ捨て場に行くのも未明が多い、別の群れと鉢会うことも少なくないんだ。
 そんな時頼りにされるのが俺ってわけだ。
 このゴミ捨て場は三つの群れの縄張りが重なってるんだが、俺が先頭に立って目を光らせていれば他の群れは手を出せない、もう二匹のボスはどっちも俺が追い払ったことがあるやつだからね、俺は奴らを殺したり追い詰めることはしなかった、俺より弱いやつがボスでいてくれた方が楽だからな。
 
 そんな暮らしに異変が起こった。