僕の弟、ハルキを探して<第一部>
Episode.9 そこで最後に出会ったひと
僕たちは「議事堂」と呼ばれる建物の前に着いた。タカシを振り返ってみたけど、今はただの犬であるように、人懐こい目で僕を見上げて舌を出し、はっはっと忙しなく息をしている。
議事堂の建物は上手くたとえられないけど、言ってみれば「東京駅に似てるような気がする」と思った。全体が煉瓦で組み上げられていて、漆喰かモルタルで繋ぎ合わせたような見た目だった。僕はオズワルドさんに連れられ、議事堂の中に入っていった。
議事堂の中は、外側の煉瓦塀以外は木造で質素だけど、充分に細かい細工の施してある、荘重な趣きのある内装だった。正面玄関の前には左右に分かれる廊下と、奥へ進む廊下がある。そして、奥に続く廊下の上にあるこちらに向いた壁には、春喜が王族のような衣装を着ている大きな肖像画が掛けられていた。僕はそれを見て呆気に取られていたけど、オズワルドさんがこう言った。
「まだまだ信じ難いかもしれませんが、我々は信じています。ハルキ様のなすことを、お兄様である貴方様も、そのうちご覧になることでしょう」
腑に落ちない、どこか気恥ずかしいような気分のままだったけど、オズワルドさんに中を案内してもらおうとした時、一人の青年が向こうから駆けてきた。青年はオズワルドさんと同じようなローブを身に纏っていたけど、色は白ではなく、青だった。
「この世界では重職に就く人がローブを着るのかな。」と思って、またちょっと変な気分になった。青年は慌ててオズワルドさんのところまで駆けてくる前から叫んでいた。
「オズワルド様!大変です!もう私では抑えられません!議会に早くお戻りを!」
それを聞いてオズワルドさんは脇に居る僕に素早く一礼すると、そのまま会議室かどこかへ駆けて行った。僕は遠くから人々が怒鳴る声を聴いていたので、オズワルドさんが走って行った方角へと歩いて正面玄関を右へ折れた。すると、だんだんとがやがやした声が聴こえてくる。もう何を喋っているのかわかるほど近くなった時、廊下の左手にある大きな扉の向こうで人々が口々に叫んでいるのを、僕は聞いた。
「知っているんですぞわたくしは!貴方はハルキ様を操り人形にして、この世界を牛耳ろうとしている!」
それは誰の声かわからなかった。
「何を仰います!わたくしにはそんなことは出来ません!思いつくことだってございません!」
これはおそらくオズワルドさんの声だと思ったけど、いろんな声が輪をかけて叫ぶので、僕は聴き取るのに苦労した。
「お兄様がおいでになったのなら、その方を議長にすべきです!」
僕はそこでギクッとして、体が硬直してしまった。どうやら目の前の部屋の中では、「僕をこの世界の議長に」と声高に叫ぶ人たちと、それに対して異を唱える人たちがぶつかり合っているらしい。
でも、僕が世界の議長になんかなれるわけがない。オズワルドさんのような人の方がふさわしい。そう思った時、僕は案外とオズワルドさんを信頼しているんだなとわかった。
部屋の中では、相変わらず言い争いが続いていた。
「貴方が何をしようとしているかなんてわかっているんだ!辞職すべきです!」
「何を言うのです!それだからと言ってお兄様を急に議長にするなんて早すぎます!」
この声はオズワルドさんではなかったけど、どうやら僕を議長とすることはやはりおかしいと思うまともな人も居るんだな、と僕は思った。
僕は、大きな扉に取り付けられた、金のドアハンドルにおそるおそる手を伸ばした。そして、それを掴んで開け、宣言するつもりだった。でも、僕がハンドルを引く前に扉は大きな音を立てて開き、危うく僕は扉にぶつかるところだった。
「わっ!」
僕が驚いて飛びずさると、扉を開けた老人らしき人もびっくりして身を引いた。その人は白髪を短く刈り込み、口元の白髭が印象的で、小柄な体ではあるけど少し小太りの人だった。着ているローブの色は黒だった。
「…おお!貴方様ですか!」
僕はその時わかった。その声は、さっき「お兄様を議長に」と叫んでいた人の声だった。その人は両手を広げて僕に近づこうとしたので、僕も平然を装ってそれを迎え、手を差し出されるままに握手をしたけど、その人の瞳から目を離さず、警戒していることを隠していた。
「いやいや、こうしてお会い出来る日を楽しみにしておりました!さあ中へ!」
そう言ってその人は会議室の中へ僕を招こうとしたけど、僕は足を踏み出さず、部屋の中へ目を向けた。オズワルドさんは部屋の中央で立ち上がっていて、心配そうに、そして人々の話していた内容を僕に聴かれていたことが決まり悪かったような顔で、こちらを見ている。僕は目の前に居る老人に目を戻すと、震える喉を抑えて抑えて、こう言った。
「僕には、政治の知識も、経験もありません。議長はオズワルドさんのままがいいでしょう。ご不満があったとして、僕には何も出来ませんし、する気もありませんよ」
喉の震えはやっぱり治まらず、途中から声が震えてしまっていたのは隠せなかったけど、僕は扉の向こうに居た全員に聴こえるように決然とそう言い切り、正面玄関へと踵を返した。口髭を生やした老人の呆気に取られた顔に、ちょっとだけ胸がすっとした気分だった。
僕はオズワルドさんが会議を終えるのを、応接間のようなところで待っていた。議事堂の玄関から出ようとした時、「お待ちください、お兄様」と一人の女性に呼び止められ、ここに案内されたのだ。その女性は四十代くらいに見えて、「ここで案内嬢のような職業に就いている人かな?」と僕は思っていた。その人が恭しく僕を部屋の中に案内した時も、なんだか自分にはそぐわないことをされているようで、気持ちが落ち着かなかった。
そこは、豪奢な絨毯が敷かれて大きなソファがいくつか並び、勲章の飾られたキャビネット棚が置かれた部屋だった。中央のテーブルには、「ハルキ様のお心遣いです」とオズワルドさんが言った時と同じお茶が、綺麗な薔薇模様のティーカップに淹れられていた。僕はそれを飲んでオズワルドさんを待っている。
しばらく待っていると応接間の扉は開き、ひどくくたびれた様子のオズワルドさんが姿を現した。
「失礼致しました、あのようなお見苦しいところをお見せしてしまいまして…」
彼はそう言って大きくため息を吐く。僕は疲れている様子のオズワルドさんに椅子に座るように促したけど、オズワルドさんは「それよりも、タカシ様を連れて早く宮殿へ戻りましょう。ハルキ様とお兄様がお話をするのが遅くなってはなりませんから…」と、僕と春喜のことを気にしてくれた。でも、そこで僕ははっと気づく。
「あ!タカシ!」
僕がそう叫ぶと、オズワルドさんもタカシが居ないことに気づいて、慌てて二人でタカシを探しに飛び出した。でも、タカシはすぐに見つかった。僕たちがタカシの名前を叫んでいると、僕の後ろからさっきとは違う女性が現れたのだ。彼女は僕たちに向かって、「ご心配なさらずとも」と少し大きな声を掛けた。
作品名:僕の弟、ハルキを探して<第一部> 作家名:桐生甘太郎