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八九三の女

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[友達]



後にも先にも
二月十四日に同性から、チョコを貰ったのは初めてだ

かと言って
異性から貰ったのは、幼馴染のお袋さんが初めてだった

辛党の親父殿は当然
籤引きの外れ景品、酢昆布ばかりしゃぶっていた幼馴染も同様に
甘いモノは苦手だ

それでも親父殿も幼馴染も満面の笑みで受け取り
手作りチョコをぺろり、と平らげるのだから「愛だな」と熟、思う

勿論、甘党の自分は大喜びで齧り付くのだから
料理好きのお袋さんにとっては甲斐がある、相手だっただろう

流石に中学校卒業と同時に
残念がる、お袋さんからの手作りチョコからも卒業したが

今度は倶楽部の、ホステス達だ

彼女達は仕事柄、嗜好品には情報通で
裏街は勿論の事、表街でも有名どころのチョコを用意してくれた
鳥羽色の小箱に出会ったのも、その時だ

雑居ビルの片隅に落ちていく
夕日が駄菓子屋のトタン屋根を深緋色に染める

中学校生活は退屈だ
それでも幼馴染が同級生であるだけ、マシなのだろうが
結局、一度も登校しなかった「倅」を羨むくらいには退屈だ

早く一人前になりたい
唯、それだけだ

徐に学ランの襟カラーにぐるり、と指を入れる
なんでこいつはこんなにも窮屈なんだ、と言いたげに詰襟のホックを外す

クマと仲良しの幼馴染は婆さんの代わりに散歩
店内の隅っこに設置された、インベーダーゲームテーブルに陣取る「倅」

片肘を突く、画面を眺める自分の目の前に
徐に差し出す古銭チョコを、てっきり呉れるもんだと受け取ろうとした瞬間

「君の事が好きなんだけど」と、きたもんだ

二月十四日でなければ受け取っていたかも知れない
二月十四日でなければ「俺も」と応えて受け取っていたかも知れない

手を差し出したまま固まる自分に
「倅」は笑っているのか、困っているのか分からない顔で付け足す

「分かってた」
「無理なら友達でいてくれない?」

無言で頷く自分に「倅」も頷き
差し出したままの手の平に置く、古銭チョコを有難く頂いた

その後は何事もなく
インベーダーを黙黙とビーム砲で打ち抜く「倅」の対戦を眺めていた

俺は嬉しかった
こんな自分を好きになってくれた「倅」の気持ちが嬉しかった

以降、機会が合えば駄菓子屋で会う事もある

幼馴染は卒業したが
「倅」は自分同様、今も通い続けている

相変わらず漆黒のスエット上下に足元はサンダル
それでも今日は寒いのか、藍鉄色の半纏を羽織っている

窓外の淀んだ空からは雨ではなく、雪がちらつきそうだ

店内の奥、小上がりの居間から
忙しく台所仕事をする婆さんが「炬燵においで」と、誘うが
クマが丸まっている、その中に足を突っ込む気には到底、なれない

ワンチャン、今にも雪が降って
クマが庭を駆け回る事態になったら考えない事もない

最近は調子が悪いのか、クマは寝てばかりだ

それに「倅」がゲームに夢中だ
俺は「倅」が対戦するゲームに夢中だ

三人分の昼食を作る手を止める
「仕方ないね」と、呆れて零す婆さんがストーブの上に置いた小鍋から
甘酒を湯呑に汲み入れると盆に載せて運んできた

社長が二つとも受け取り、礼を言う

「温かい内に飲もうぜ」

「分かってた」

倅が顔を上げ、社長から湯呑を受け取る

「熱いぜ」

「分かってた」

一口もう一口、熱熱の甘酒を啜る社長と「倅」
そうして同時に一息を吐く、二人の息が微かに白い

不意に「倅」が、ぼそりぼそりと話し出す

「スーツ姿、似合ってるね」

「ああ、運転手兼鞄持ちだ」

「分かってた」

「倅」は「分かった」と「分かってた」が混同する
知らない人間が会話を聞いていたら「倅」が預言者に見えるだろう

不意に「倅」が軽く握る拳を社長の目の前に差し出す
社長は無言で手の平を向ける

そうして置かれた、古銭チョコ一枚

「友チョコ」

「ん」

今日は二月十四日だ

約束してる訳でも
取決してる訳でもないのに俺達は会う

甘酒を飲んでいるにも関わらず
古銭チョコの包みを剥いて口に放り込む社長を
「倅」が死んだ魚のような目で見つめる

「僕のお願い、覚えてる?」

そうくるか、と社長は思わず舌打ちする
素早く半目で反応する「倅」に後頭部を掻き揚げ、謝る

「ごめん、覚えてる」
「けど、実現出来るか如何かは分からねえ」

「実現してよ」
「見たいんだよ、僕」

「相手もいねえのに?」

「分かってた」
「直ぐ、見つかるよ」

「分かってた」ね、今のは混同なのか?
と、苦笑いする社長を余所に甘酒を啜る「倅」が続ける

「見たいんだよ、君の結婚式」
「僕の事、振ったんだから招待してくれるだろう?」

飲み干した湯呑を社長に返す「倅」は小銭を入れ、ゲームを再開する

湯呑を受け取りながら溜息を吐く社長だが
それは苛立ちからではなく、途方に暮れたからだ

下らねえ約束をした否、下らなくはないか

ユキがいれば
ユキを紹介して誤魔化せたかもな
と、不謹慎な事を考え自嘲するも諦めていない事を自覚する

そうして自分の湯呑に残る甘酒を眺めながら、言う

「倅こそ呼べよ」

インベーダーゲームテーブルに猫背で前傾姿勢になる
「倅」がゲーム画面から目を逸らさず、呟く

「君より望み薄いんだけど、来たいの?」

「当たり前だろ、ダチだろ」

今さっき、友チョコを渡した相手だろうが
と、思う社長を余所に「倅」が上目遣いで向かいを見た瞬間
「あ」と発する其の声と共に残機が一機、減った

「ああ、うん」

「ヤラれた」事を理解するのに時間が掛かるのか
見下ろすゲーム画面に目を凝らす「倅」が額に垂れる髪を掻き揚げる

「分かってた」
「僕達、ダチだったね」

インベーダーゲームテーブルを挟んで、会話する

昔も今も変わらない
時間が止まったままの裏街の、「奥」路地

作品名:八九三の女 作家名:七星瓢虫