八九三の女
[倅]
表があれば
裏があるように
物事は表裏一体
去る者は追わず来る者は拒まず
の、この街には裏しかない
だが足を踏み入れる者もいない
見捨てられた土地も時代の流れと共に革新する
そうして裏街にも「表」が生まれる
比較的、表街の住人も足を踏み入れ易い歓楽街だ
社長の事務所も
店長の倶楽部も所謂、表に分類される
そして表があれば裏がある
裏は裏だが、裏街の住人は「奥」と呼ぶ
表街の住人は勿論
裏街の住人でさえ足を踏み入れる事を躊躇する、奥路地だ
昔ながらの裏街
昔ながらの裏街の住人が巣食う、裏街の「奥」
歓楽街に乱立する、雑居ビルに遮られ太陽の陽すら届かない
仰ぎ見れば張り巡らされた電線で細切れの空だ
枝分かれする奥路地の袋小路にその、駄菓子屋はある
角を曲がれば最後
社長の姿を確認した、クマが雄叫びを上げる
身体が跳び上がる程、毎回、驚くも
飼い主のお婆さんが宥めれば嘘みたいに大人しくなるので
駄菓子屋に通う事を止める気にはならなかった
店先に並ぶ、色鮮やかな菓子達は
子どもの自分にとっては宝石のように魅力的だった
幼馴染は専ら、籤引きに夢中だったが
「婆さん、良くやってるな」
子どもの頃から婆さんだった
だが、子どもの頃の印象は当てにならない
中年と老年の区別も付かない
唯、言える事は
大人になった今も婆さんには変わりない
「大半はネット販売に移行した」
「ネット?!婆さんに出来んの?!」
驚く店長に
社長はカウンターテーブルに転がる古銭チョコを眺めて、言う
「倅に委託してる」
「倅」とは駄菓子屋の息子ではない
「倅」とは裏街の奥路地で営む、電気屋の息子だ
表向きはそうだが
内実は泣く子も黙る、ハッカー一家だ
社長の言葉に
更に驚く店長が身を乗り出して聞き返す
「倅?!あいつ、引き篭もりじゃん?!」
「違えよ」
「引き篭もり」は、語弊がある
三度の飯より
寝る事よりも電子計算機好きが高じて一日中、弄くり続けた結果
不登校になっただけの話しだ
「俺等より年上なのに九九、言えなかったぜ?」
「今は言える」
勢いで言い切る社長を
店長が疑いの眼差しで見つめるので仕方なく、付け足す
「多分」
「倅」には障害がある
一家相伝、その血筋を守る為なのか
幾度となく繰り返した、近親婚が及ぼした弊害だ
それで得たモノは「倅」という称号
「てか倅に会ったの?元気?」
「相変わらずだ」
「ああ、相変わらずなのね」
目を細め、吐き捨てる店長が思い出す
昔の「倅」の姿と今の「倅」の姿は多分、そう相違ない
一年中、漆黒のスエット上下に足元はサンダル
肩に掛かる黒緑色の髪を適当に引っ詰め
神経質そうな眼は何処を眺めているのか、定まらない
異様に痩せ細った体躯は
栄養の全てが身長に振られたのか、見上げる程の長身だ
「子どもにしては、でかかったよな?」
「今じゃあ二米近くある」
「マジか」
三学年上の「倅」との出会いは駄菓子屋だ
学校には来ないが駄菓子屋には来る
「倅」を婆さんに紹介されて以来、顔馴染みだ
「僕の事は「倅」と呼んで」
「善と悪は紙一重」
「ハッカーとクラッカーも紙一重」
「そうして僕が何方に魅かれているか、分かるかい?」
「だから僕の事は「倅」と呼んで」
なんでも「倅」とは
自分の息子を遜っていう言葉
他人の息子や若者をぞんざいにいう言葉、だそうだ
「倅」は自分自身を卑下していた
悪に魅かれる自分を
クラッカーに魅かれる自分を
「分かってた」
「僕は一家にとっての愚息だから」
そうして額に垂れる髪を掻き揚げる「倅」を唯唯、眺めた