小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

八九三の女

INDEX|48ページ/69ページ|

次のページ前のページ
 

[祖父]



祖父が病に倒れた時
母親は疎か、父親すらも此の世にはいなかった

祖父が長命なのか
両親が短命なのか、どうでもいい

要は海千山千の化け物との生活は砂を噛むようなものだ、という事
だが然程、長くは続かなかった

毎年恒例の健康診断
結果、思い掛けず見つかった悪性腫瘍

他人を欺き自分さえも欺き続けたであろう主同様
医者を欺き続けた悪性腫瘍は手遅れもいいところだった

剛腕一筋
平伏す事なく捻じ伏せてきた人生でたった一つの誤算

「死」すら平等ではないと言い切った祖父のたった一つの敗北

どれ程、神仏に得を積もうが
どれ程、医者に金を積もうが

匙を投げればお仕舞いだ

終焉を認めたくないのか
将又、認めさせたくないのか

本人の強い要望で面会謝絶になっているが
生憎、唯一の肉親である自分は対象外で見舞いは欠かせない

体裁もあるが目的もある

祖父を気に掛ける親父殿は「やれ差し入れだ、やれ花束だ」
と、持たせたがるが全て「本人の強い要望」と、諭して断る日日だ

だって必要ないだろ

途切れる意識の中を彷徨う人間相手になにが必要なんだ

豪勢な差し入れを食う事も
豪華な花束を愛でる事も出来ないやしないだろう

話し掛けるのも無駄
話し掛けられるのを待つしかない

一度、部屋付の看護師に言われた事がある

なんでもいい
声を掛けて欲しい
なんでもいい
目を覚ました時、貴方がいた証を残して欲しい

俺はなんて答えた?

「そう思うのなら、あんたがやってくれればいい」
「俺は生憎、そう思わないから」

以降、看護師はなにも言わなくなった

そうだよな
なにも言えないよな、俺もなにも言う気ないしな

それでも毎日毎日、見舞いに訪れる社長に
奇異な眼差しを向ける看護師の態度にも慣れた、ある日

宙を彷徨う祖父の目線が、その顔を眺める社長の目線と当たる
目を見開く社長に祖父が問い掛けた

「死ぬのを、待っているのか?」

息も絶え絶え、物騒な事を口走る祖父に看護師は戸惑うが
目を向ける社長は意も介さず、その能面顔を崩さない

なんだ、バレてたのか

表面上は上手く付き合っていたと思っていたのに
本当に食えない

「うさぎの、縫い包み」

祖父の顔を見下ろし社長が、ぽつりぽつりと言う

泣き叫び「連れて行かないで」と、懇願する自分に
「預かって置く」と、言った姑息な言葉を馬鹿正直に信じている

ユキは、担保だ

祖父の言う通り、思う通り
遣り通せば必ず戻ってくると信じていた

そして、もう俺は遣り通したんじゃないのか?

社長の期待とは裏腹に
祖父は渾身の力で、その顔を歪め吐き捨てる

「下らん」

言うに事欠いて
社長は思わず後頭部を掻き揚げ小さく、吹き出す

「下らない?」

そうだよな
あんたにとっちゃあ、下らない事だよな

幼稚園から帰宅して一直線に向かうは庭の鯉池だ

色取り取りの錦鯉の群れ
祖父が、その手を叩けば何処からともなく集まる

丸で魔法だった
当時の俺は本気で、そう思った

雑居ビルが囲う、箱庭みたいな日本庭園

祖父が愛でる日本庭園は四季折折の情景と共に
鮮やかに自分の心の中に残っている

今はもう、訪れる事のない場所

あの日、灯篭を背に佇む
年の頃は十四、五歳の制服姿の少女

屋敷を訪れる客層としては
余りにも不釣り合いな、その光景を覚えている

自分を陽気に追い掛け、背後から抱き締める母親が
少女の姿に気付いた途端、なにかを察したのか顔から笑顔が消える

後後、知った
借金のかたで娼館に売られる少女だった、と

身一つで佇む少女が手にしていた、うさぎの縫い包み
草臥れていたが眩しいくらいに白かった

大事に抱える、うさぎの縫い包みに見入っていると
徐に少女が近寄り、うさぎの縫い包みをついと差し出す

余程、物欲しげな顔をしていたのか

其れでも沈んだ顔をして立つ
目の前の少女が幼稚園児の自分には怖かった

母親は少女になにか言葉を掛けようとするも
結局、なにも言えず自分に向けて促すように頷くだけだった

それでも迷う自分が仰いだ少女が、にっこりと笑顔になる
思わず釣られて笑った俺は、うさぎの縫い包みを受け取った

「死んだんだよね、あの人」

覗き込む祖父の顔を食い入るように見つめる
見つめる事で胸底から湧き上がる、なにかを誤魔化す事が出来る
そんな思いで社長は只管、見つめ続ける

耐えられなかっただけだ
俺の事を女女しいだなんだと言う前に
手前の人生の唯一の汚点に耐えられなかっただけだろうが

女、子どもを死なせた手前の人生の汚点に

下らねえ
本当、下らねえよ

母親が泣き叫んでいた

「どうして、そんな酷い事が出来るの?!」と
「彼女が私だったとしても同じ事が出来ますか?!」とも

幼い自分には理解出来なかった言葉も軈て、理解出来る

焦点の定まらない目を伏せる祖父に社長は舌打ちを打つ
そうして寝入る様子の祖父に食い下がる

「うさぎは、どこ?」

もういいだろう
もう返してくれてもいいだろう

それでご破算だ
それでご破算にしたいんだよ、俺は

それっきり、祖父も社長も口を閉じる

どの位の時間が経ったのだろう
窓辺に置いた椅子に腰掛ける看護師が窓外に目を向けた

既に日は落ち
完全看護の、この部屋の面会時間もそろそろ終了になる

壁の照明が祖父の寝具周りの医療機器を照らす以外
部屋の中は薄闇に包まれる

普段は点けない部屋の明かりを
佇む社長の為、点けようと立ち上がる看護師を社長は止める

「帰るから、いい」

いつも以上に粘った結果、いつものように収穫なし、だ

いい加減、曲げたままの首根が痛い
社長は祖父を見下ろしたままの顔をゆっくりと天井に仰ぐ

瞬間、祖父が吐き捨てる

「うさぎは燃やしたよ」

「え?!」

声を上げたのは看護師だ

毎日毎日、見舞いに来た理由
探していたであろう、うさぎの縫い包みが燃やされていた事実に
驚かずにはいられなかったのだ

当の社長は祖父の言葉を聞いても尚、天井を仰いだままだ
軈て、身を屈めると祖父の鼻先にまで顔を近付ける

意識する唇が震える
最後の最後に笑ってやりたいが、上手く機能しない
そうして声を絞るように言った言葉は果たして、祖父に届いたのだろうか

「くたばれ、じじい」

刹那、鳴り響く警報音
看護師は弾かれたように祖父に駆け寄り、ナースコールボタンを押す
だが、医者を呼んだ所で意味があるのか

祖父は疎か、自分は延命処置に同意していない
況してや自分は祖父を看取ってやるほど、間抜けじゃない

金貸し屋が担保を破棄するなんざ、どういう了見だ
金貸し屋の風上にも置けねえだろ

駆け付ける医師、看護師達を横目に病室を出て行く

うるせえ
この警報音はいつまで鳴り響くんだ?

背後の音が耳元にまで近付いた瞬間
社長は枕元に置いた携帯電話の目覚まし音を止めた
そうしてダブルサイズのベッドの上で天井を眺めたまま、動けずにいる

呼んでいるのか
呼ばれているのか
これ以上、誤魔化せないという事なのか

運転手兼社員(以下、社員)に言った言葉が頭を駆け巡る

そうだ
先延ばしにしたっていい事なんざ、ないんだ

作品名:八九三の女 作家名:七星瓢虫