八九三の女
[小鳥遊君と月見里君 part2]
受付台で手続きをする叔母を待つ間
体育館の壁から突き出た、備え付けのバスケットゴールを
何気なく見上げる
「部田ー」
なんとも軽い声で名前を呼ばれ
顔を向けると爽快な笑顔で手を振る、月見里君がいた
彼はいつでも笑顔だ
小さく顎を引いて挨拶する少女に
彼の、数歩後ろにいる小鳥遊君も「押忍」と声を掛ける
「なになに、バスケに興味あるのー?」
言うなりエアボールでシュートする振りをする月見里君に
見えない放物線を描きながら少女が、聞く
「バスケ、上手だね」
「うん、親父さんがさ昔、選手だったからさー」
「そうなんだ」
「うん、楽しいよー」
背の順で並んでも一番、後ろの少女よりも
可也、前方にいる二人は似たり寄ったりの身長だ
月見里君が父親似なら高身長が約束されているのかも知れない
と、考えて
抑、月見里君の父親が高身長とは限らないし
高身長だったとしても必ずしも遺伝するとは限らない
「でも、興味ない」
思わず心の声が漏れた
「マジかー」
眉毛を八の字にして笑う
月見里君の背中に声を掛ける女性がいる
大分、小柄な壮年女性は「先、帰ってるわよー」
と、月見里君に伝えると傍らにいる同齢くらいの女性と一緒に
楽しげに会話しながら、体育館を後にする
見送るように、小柄な壮年女性に手を振る月見里君の隣で
手を挙げる小鳥遊君を見て一緒にいる女性は
彼の母親なのだろう、と少女は察した
そうして、いつもの癖で観察した結果
自分と小鳥遊君と会話しながらも何処か、彼は上の空だ
そして何故か、受付台の方ばかり見ている
そうだ、自分に声を掛けるのは常に小鳥遊君だ
月見里君は小鳥遊君の挨拶の後に漸く、会話に交ざるのに
珍しく、自ら声を掛けてきたのには理由があるはずだ
解答に辿り着いたと言っても過言ではない
少女の考察を余所に、心当たりがある小鳥遊君は
ませた月見里君のお手並み拝見とばかりに意地悪く考えていたが
そんな機会は訪れなかった
軈て、申し込みを終えた叔母が
愛らしい男子生徒二人と話しをしている姪の姿を目撃して
好奇心に目を輝かせながら駆け寄る
「なになに~?」
「千の彼氏~?」
月見里君と小鳥遊君
どちらに聞いたか分からないが
どちらに聞いたにせよ、下を向く小鳥遊君は答えられない
ので、月見里君が清爽に否定する
「え~え~、なんで~?」
「この子、好みじゃないの~?」
千贔屓の叔母は悲しげな顔をして食い付く
「いやいやいやいやー」
慌てて否定する
人誑し、一歩間違えば女誑しの資質が疑われる月見里君が
臆面もなく続ける
「部田は部田で滅茶、雰囲気が好きなんですけどー」
「僕はお姉さんの方が滅茶好みかなーなんてー」
「やだ~、可愛い!」
「マジか?可愛いですか、俺?」
「うん、滅茶可愛い~!」
「お姉さんも滅茶可愛いー!」
少女と並び、月見里君と叔母の遣り取りを眺めながら
小鳥遊君は彼の性質の可能性を思い知る
まさか月見里君が会話の切っ掛けを掴む前に
相手から先制が来るとは思わなかった
ポジティブはポジティブを呼ぶのか?!
辛うじて、叔母より背の高い月見里君は
気を良くした彼女に頭を撫で撫でされて既にメロメロだ
親友の女性の好みは知っている
マザコン、シスコンと公言して憚らない彼は
母親、姉同様小柄で陽気な異性に心を惹かれる
少女と共にいた叔母を見た時の彼は尋常じゃない程、興奮していた
月見里君はマザコンでありシスコンであり、変態だ
否、変態は言い過ぎかも知れないが
兎に角、彼はお姫様抱っこが可能な女子が好みなのだ
「あいつ、姉さんがいるから話し上手なんだよ」
異性に免疫があるとはいえ
物怖じせずに話し掛けられるのは羨ましい限りだ
思うも直ぐに
羨ましいってなんだよ、と自分のネガティブ加減に悲しくなる
「叔母さんも楽しそう」
「え、叔母さん?」
「うん、母の妹」
それ以上は語らない
語らないのなら、それ以上聞ける訳もなく会話は途切れる
自分といい、部田といい
側にいる人間がお喋りだと片方は無口になるのかなあ
と、思い少女に目線を向けた
ボブヘアの黒緑色の髪が風に揺れ、白い項が見え隠れする
微かに覗く首筋の絆創膏
「絆創膏?」
声にするつもりはなかった
小鳥遊君の言葉に少女は首筋の絆創膏を指先で触れる
不思議だ
あの夜の感覚が蘇る
社長の息遣い、胸の高鳴り
唇が触れた瞬間の熱さに、舌の感触
「部田?」
思わず、目を閉じた少女に小鳥遊君が心配げに声を掛ける
少女は小さく息を吐き、頷く
「うん、絆創膏」
それ以上は言えない
嘘は元元、得意じゃないから