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川と海の境には

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電車は車輪を一回転させ、前に進む準備ができていた。あとは同じ回転を惰性に繰り返すだけだった。
駅舎はまだ壊れない。電車はゆっくりと加速していく。風たちは急いで電車に掴まろうとしている。
今、電車の先頭が風を切った。途端に、既に掴まっていた風は自分の場所を奪われないようにと自身の体を電車に沿わせて、広い範囲を我が物にしていた。そういう風たちがいくつも重なって、風の流れがうっすら色を帯びだしていた。
加速していく電車の周りでは遅れてやってきた風たちが空席を探していた。中には強引に電車に掴まる者もいた。そういう風は決まって太い流れを電車に沿わせた。太い風に場所を奪われた先客は広げていた自身の範囲を狭めるしかなくなって、少し不機嫌になって、自身に灰色を混ぜた。
電車の最後尾が駅舎を抜けるまで、風たちは乗車を続けた。彼らは切符など持っていない。無賃乗車だった。最後に掴まった風は線路付近で燻ぶっていた錆交じりのものだった。彼は電車の最後尾にぶら下がるように掴まった。あのままではもうじき力尽きて振り落とされそうだと、私は思っていた。
電車が駅舎を抜ける時、駅舎の一番脆い所に風が当たってしまったのか、随分大きく揺れた。その様子をみながら、私にはあの揺れが積み残された風たちの叫びのように思えていた。


俺だけでいい、ほら、そこ!
まだ空いてるだろう! 
小さい俺だけならまだ、まだ掴まれる!
ああちょっと待ってくれ!
 それに乗らないと! 乗らないと、
頼むから、俺だけでも乗せてくれ! 

というような。


電車はもう行ってしまった。遠くに向かう電車の振動が微かにここまで届いている。そこだけが動いていた。残された風たちは皆、揃って落胆していた。そういう空気の中、私だけが全く違う感情を抱いていた。


ここも、こんな田舎でさえも、こうも忙しないものなのか。
皆が揃ってここではない場所へ向かおうと躍起になっている。私はこういう忙しない空気を都会に見ていた。そんな空気を嫌っていた。そしてそれから逃れるためにこんな田舎町まできたというのに、ここでもそういう空気が流れてしまっている! ああ、もう。本当に嫌で嫌で仕方がない!




澄んだ空気が一瞬、寒く感じた。風たちはじっとして、ほとんど無風だった。彼らはこれからどうするのだろうか。冬はもうじき、終わってしまう。次の電車を待つのだろうか。そしたらまた、電車が引き連れてきた風たちと競争して、また敗れていくのだろうか。
――ここもまた、私が望んだ場所ではなかった。都会から逃げ、無人駅からもまた、逃げなければならないらしい。どこへ、どこへ向かえばこの、嫌な不安は消えるのだろうか。
ふと見上げれば、空が冬らしくしんみりとしていた。さっきの一瞬の寒気はもう手元にいない。次の電車が来たときに、急に冬戻りするかもしれない。その空からゆっくり視線を下ろすと山の天辺が風景を二分していた。電車が向かって行った方角の山だ。私は無意識に近い状態であの山に向かって歩きだした。
そうして、近代道路の終わりまでやってきたのだった。
 






近代道路を一歩抜け出てみて、急激に音が消えたように思えたのは、気のせいだろうか。
足元は土と枯れ葉が散乱していて、音を出すようなものは何一つ見当たらなかった。けれども、ふり返った向こうに広がる近代世界にはどうにも音が隠れているように見える。あの路面の下に何か、何かがじっと潜んでいて、(しかもそいつは悪魔的に私を魅了しているような)それらが微かな音を出しているような、そんな悪い妄想ばかりだった。
足の裏がゆっくり、ゆっくりと土に沈んでいく。そんな気がしてしまうほど、動かずに道路を見ていた。
少し向こうで藤紫色の花が小さく揺れた。花から花粉のようなものがふわりと舞った。蜜蜂ではない。その揺れの方向にあった長い草が大きく揺られて、そして元の位置に戻って凛としていた。その時、消えた音の正体に気が付いた。
音が消えたのではない。音が馴染んだのだった。近代道路を越えて、私は本当の意味で自然の中にやってきた。草木が揺られて、擦れて、微かな音を出している。あれは風の音なんかじゃない。けれども風の進んだ足跡のようなものだ。風だけが自由に動いていて、その他は風にやられて微かな音を出している。そうやって発生した音たちが、ここらに充満していて、隙間が見えないのだ――それが自然というものだった。
電車によって運ばれてきた、あの風とは全く異なるやつらが、ここらを支配している。風は自由に進んでぶつかった自然たちを押しのけていく。誰も身勝手な風を咎めない。しばらく滑空した風はどういうわけか消息を絶って、自然はまた凛と生きだす。風が残した音の残響を自身に纏わせて、自然らしく生きていく。
その繰り返しが何度か続いて、景色の土台を固めている。体がその流れを心地よく受け止めていた。鼓膜は小さく揺れる自然の音に緩み、心臓の鼓動も自然に適応しようと緩やかに落ちてゆく……が、止まらない。
少し遠くから野太い音が聞こえてきて、それが山に反射した風たちの音だと夢想する。自由に進んで吹き飛ばせない物体の前で雄たけびを上げている。そして離散して、そこが風たちの墓場となる。きらきらとした体液など見えないが、風たちの体がゆっくりと壊されていく。そこに儚さが。そんな、そんなゆっくりとした夢想だ。


風がまた、どこかで絶たれた。自然は自分の持ち場に戻って生きている。丁寧に敷き詰められた自然の音の下、そこに自然たちとは別の音が聞こえた。どこかに人間がいるのだろうか。潤滑油が枯渇した機械が軋んでいるのだろうか。いや、この音はそこまで汚らしい音ではない。むしろ心が落ち着く、そういう類の音だ。川の音によく似ていた。
風が私の後ろの方で生まれてきて、無邪気に傍を通り過ぎていった。微かな、川の音が風に押し流されて、……聞こえなくなった。風には水の匂いは感じられなかった。
風が向かってゆく方向に、川はあるらしい。今頃風は川の水気を吸い込んで、すっかり重くなっている。もしくは冷たく乾いた冬の空気の中で異質なものとなっている。冬の川。私は次の目的地を見つけたような気になっていた。川で、何をやるのか、その後はどうするのか、そういう予定というものは一切考えていない。

 
進むたびに景色は知らないものを少しずつ足していく。油絵のようだった。知っているものが遠のいて、ふり返っても落ち葉は足跡を刻まない。次第に近代道路は景色にとけて一面の落ち葉道になった。
 夢の中にいるような、時間が不均等に進む景色にいる。
 右の草むらは飴細工のようなきらめきを表面に持っている。冬らしくない。生きていくための養分を根から吸い上げていないような、もっと別のところから養分を吸っているようだった。食虫植物のそれに似ていた。生長の前後が見えない。
 かと思えば落ち葉は急激に死んでいく。私が踏んだ瞬間、微かに湿っていた落ち葉が枯れて、冬らしくなっていく。私がもう一度冬を運んできたような、いや、まるで私が冬そのものになったような気さえしてくる。
作品名:川と海の境には 作家名:晴(ハル)