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桐生甘太郎
桐生甘太郎
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馨の結婚(第二部)(19~27)(完)

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第二十七話 新しい風









美鈴さんの実家の居間は人で溢れかえり、わけても特に僕の母さんは、「こんなところにいなくちゃいけないなんて」といったように、イライラしている態度を隠さなかった。父さんはしかめっ面をして黙っていた。公原さんは神妙に少しうつむいている。そうして、僕たちが囲んでいるテーブルの横に、三人並んで正座をしていた。

美鈴さんのお母さんは、おどおどしながら僕の家族にも座布団を勧めたけど、母さんが「要りませんわ。すぐ帰りますから」と突っ返した。それで美鈴さんのお母さんはしょんぼり項垂れてしまい、美鈴さんの隣に戻った。

美鈴さんはずっと下を向いていて、顔を上げようとしなかった。僕は、大学時代に美鈴さんが嫌がらせを受け、それでも恐怖で下を向いていることしかできなかった彼女を思い出した。母さんは僕を厳しく睨む。

「家に帰りなさい、馨。それから、曾お爺様の銀時計はどうしたの?」

母さんはどうしてそんなことを平気で僕に聞けるんだろうと思っていた。どうしてそんなふうに僕の望みがわからないんだろう、僕の幸福を理解しないんだろうと。

「帰りませんよ。僕たちは夫婦になるんです。あなたたちの家でそれができないなら、別の場所に行くまでです。銀時計は質屋のおじさんにお願いして、三日は売らないようにと約束をしてもらいました」

「まあ!まさかあの時計を…質草にしてしまったのね!?あなたはそんなことをする子じゃなかったわ!」

母さんは人の家であるのも辺り構わず、身を乗り出して喋り始めた。その顔は怒りや侮蔑に歪み、声は刺々しく場の空気を引き裂いた。

「考えてみれば大学に入ってからはあなたは変わったわ…。だんだん私を疎ましそうに見るようになって、お父さんのやり方に逆らったり、公原にまで…。そこにいらっしゃる美鈴さんの影響かしらね?私たちは全員あなたの幸せを考えているというのに、あなたは、夢にうつつを抜かして、現実から逃げようとしているだけだわ!!」

僕は思わず立ち上がって母さんに向かって怒鳴り返そうとした。すると、脇から教授が僕の腕を掴み、凄まじい力で僕をもう一度座らせる。その後教授はゆったりとテーブルに肘をもたせ掛け、ひと口お茶を飲んだ。それから咳払いをして、教授は手のひらを美鈴さんに向ける。美鈴さんはまだ顔を伏せていた。

「…この女性はとてもよい方ですよ。幼い頃に私の著書を読み解くことが出来るほどに聡明で、その私の講義を受けるためというきちんとした動機を持って、財産の少ない中をやりくりして働き、大学に入学なさった。勉強は続けたままね。学部時代の成績も非常に優秀で、講義も真面目に受けておられた。大変頭が良く、堅実で、実直で、努力家だ。それにとても礼儀正しく、しなやかな感性もお持ちです。間違ってもあなた方のように、人の家に急に押しかけてきて喚き散らすような真似はしませんな」

最後の方は教授は母さんを見つめ、ちょっと呆れたようにつぶやいていた。そのことに、母さんばかりか僕も赤面せざるを得なかった。母さんがここにいるだけでも気まずいというのに、この様では、僕だって恥ずかしい。でも母さんは、信じがたいというようにちょっと下を向いて首をゆるゆると振っていたけど、また怒鳴り出す。

「もう、呆れてものも言えませんよわたくしは!なんですどなたも人の家の事情を顧みずに!親の心配なんか無視してしまって!」

「親ならば、子を許してやりなさい」

教授が口を挟んだので、母さんはぎりっと教授を睨みつける。そこで、驚いたことに、父さんが口を開いた。父さんはさっきから、どうやら教授に対して怒っていたようだった。ずっと父さんは教授を睨んでいたけど、教授はそんなの知らんぷりをしていた。

「甘やかしは良くないし、間違った時には叱るのも親の役目です」

父さんはそう言って、母さんも隣で「そうよ!そうだわ!」と叫ぶ。僕は居た堪れない気分で、恥ずかしくて仕方がなかった。自分の両親が恋人の家に来て、理不尽なことを怒鳴っている場に同席するというのは、こんなにも辛いことなのか。見るのも恐ろしかったけど、ちらとだけ美鈴さんのお母さんを見ると、顔を蒼白にして、今にも泣きそうなのを堪えてうつむいている。美鈴さんは顔が見えないほど下を向いたまま、ぴくりとも動かない。

「分かりませんかな、あなた方がどのように結婚したかは存じ上げませんが、「自分たちの結婚は間違いであった」と感じたことは?覚えがありませんかな?」

教授はそんな、今する必要があるのかよくわからない質問を父さんに投げ返した。父さんはやれやれと首を振り、つまらなそうに「ありませんよ」と吐き捨てた。でもそこで、思わぬ人が思わぬことを言った。


「…ないとは言いませんわ」


そう言ったのは、母さんだった。急に母さんは、教授の話に同調し、そして、ひと口ため息を吐くと、突然こんな話を始めた。


「わたくしはこの人と、この子の父親と、昔に出会いまして、結婚しましたわ。でもこの人は、あまり愛情深い人ではなかった。そう思って失望したことがあります。それからこの子が生まれ、わたくしは「この子のために生きよう」と決めました。でもこの人は、仕事仕事で毎日この子にさみしい思いをさせていることを謝りもせずに、あまつさえ、この子に優しくしてくれたある方を家から追い出してしまって…はっきり言って、あの時ばかりは愛想を尽かしかけました…」

僕はその時、その「優しくしてくれたある方」というのは、「幼かった僕とよく遊んでくれていたメイドの木森さん」だったとわかった。でも父さんは、母さんが急に言い出したことにびっくりして怒ることもできずに、硬直してしまっていた。母さんは木森さんを許してくれていたんだとわかり、僕は少しほっとしたけど、今さらそれがこの場で役に立つわけでもない。それに、それがわかって、どうして美鈴さんのことがわからないんだ?

教授は小さく相槌を挟み、母さんは話を続ける。

「わたくしは迷いましたし、諦めたような気になったこともありました。でもそんなものは結婚生活の役には立ちませんし、ましてや子供にとって!母親が諦めるなんていうことは命取りになります!ですから、「父親があまり愛情深くないならせめて母親から」と思うのが当たり前です!この子に結婚生活で後悔してほしくないのです!だって不安じゃありませんか!もしこの子がこの人と合わなくても、堂々と簡単に離婚ができる家ではないんです!聞けば、大学の教授志望だと言いますし、妻が教授職なんてものをしていれば、この子はきっと苦労します!…それに…」

そこで母さんは一度部屋の中を見渡した。あきらかに、この家を嫌って軽蔑しているような目で。


「それに…この人はうちの家が目当てかもしれないじゃありませんか!」


僕は我が母ながら、その言葉に虫酸が走った。だから立ち上がり、母さんたちに「帰れ!」とぶっつけるつもりだった。でも、怒りに我を忘れて加速していく僕の前を、誰かがすっと横切っていくのが、僕の目にゆっくりゆっくりと映った。