馨の結婚(第二部)(19~27)(完)
第二十六話 娘さんを僕にください
教授と僕はもう0時近くにもなって美鈴さんの部屋を訪ね、ドアスコープで確認したのか、美鈴さんは慌てて扉を開けた。
「皆川教授!?どうしたんですか!?馨さんも…こんな時間に…どうして…?」
美鈴さんは突然のことに驚き、僕を見て一瞬泣きそうな顔になった。僕は彼女の肩に両手を置く。
「…美鈴さん、君の実家に行く支度をして。僕たちは結婚するんだ」
彼女は僕を見て、おそらく母さんに会ったことを思い出していたんだろう、かすかに首を横に振っていた。
「ど、どういうこと…?だって…」
僕は彼女が母さんから受けた傷が大きすぎたこと知る。母さんが勝手に決めただけのはずなのに、「僕とは別れる」という選択から、彼女は恐怖のあまり離れられないのだ。なおさらのこと、彼女を強く見つめて、その肩を握った。
「事情は飛行機の中で説明するから。早く東京を出よう。僕の家族に見つからないうちに」
美鈴さんは大きく目を見開き、頬を硬直させる。彼女はもう半分ほどもいきさつの予想がついたようだったけど、皆川教授のことは不思議そうに見ていた。僕たちは美鈴さんの簡単な旅支度を待って、それからすぐに空港へ向かった。
手荷物やトランクを預けてから、僕たちは飛行機の深夜便で東京から神戸へと向かっていた。僕たちはやっとのことで、通路に挟まれた席を三つ並びで取ることができたので、皆川教授、美鈴さんに僕の順番で座り、シートベルトを締めていた。僕が美鈴さんに事情を説明しようとしたけど、教授が「待ちたまえ」と言って話し始めてしまった。
「この青年は家に閉じ込められていたらしい。君との付き合いを止められて、結婚も許されなかった。だが、どうしても君と結婚するために、どうやらご両親と離れてでも二人で居を構えようと考えたわけだ。しかし、そのためにはこの青年の結婚の証人が必要だ。そして、それは君たち二人の縁を作るきっかけになった私に、是非にとのことだった。私は祝福されない結婚を君に、美鈴君に勧めるわけではないが、了承しないままでは多分、この青年は帰らなかっただろう。知らない人間に家に居座られていては私も困る。だから進退窮まったとでも思って、まずはご実家で、お母さんに相談してみたまえ」
「教授…!あ…ありがとうございます…!」
美鈴さんはやっとのことでお礼だけを言い、それから少しの間泣いていた。僕は、僕の胸に額を押しつけて感涙にむせぶ美鈴さんを抱きしめていた。
しばらくして美鈴さんは僕に肩をもたれて眠ってしまい、僕は教授と話をしていた。
「母は…“僕には一番いい相手を探してやりたい”と思うからか、僕の話すら聞いてくれず、それに父も、母が僕に見張りをつけるのを止めもしませんでした…。家族は全員、執事に至るまで、僕の思うような幸せを優先してくれませんし、だから美鈴さんのことも受け入れてくれません…。教授、教授はさっき、両親に反対された結婚は酷だとおっしゃいました…。僕も、不安はあります…。ですが、僕たちが別れてしまったら…僕は、僕は…自分の人生に期待できることのほとんどを手放してしまわなければいけません…」
僕が教授にこんな話をしているのは、もちろん助言が欲しいからだった。
「そう思うなら彼女を守りたまえ。君ならできるだろう。初対面の人間の家で土下座ができるなら、大したものだ」
僕は教授の部屋の玄関でのことを思い出して、ちょっと両肩を縮める。
「そ、それは…すみません…」
「謝ることはない。褒めているんだ。君はむろん家を出て、たとえ自分が働く場所が今よりもずっと辛くなったとしても、彼女が居て、ほかに邪魔をする人間がいないのであれば万々歳なのだろう。愛情深い、よい人間だ。しかし、彼女は繊細だから、気を配って支えてやるように、これからも気をつけなさい」
「はい」
「それに、何もまだ本当に家を締め出されたわけではない。もしかしたら、これから理解を得られないとも限らんぞ」
「そう、でしょうか…」
不安だったので、僕は自分より少し背が高い教授を見上げる。教授は僕の方を見はしなかったけど、その顔は初めて会った時とは違って、だいぶ柔らかく、そして親しみ深い微笑みだった。
「彼女も、君の両親に許された方がよっぽど気も楽だろうし、罪悪感なく結婚を楽しめる。いいかね、上田君。最後まで諦めないことだ」
「は、はい…」
朝になる前に僕たちは神戸に着陸して、空港から、市街地へのバスに乗った。美鈴さんはまた眠ってしまって、教授も眠たそうに目を閉じてしまった。僕は一人起きていて、自分が異常な興奮状態にあること、そして、疲労で体がぐったりしてしまっていることがわかった。
眠らなければ体がもたない。でも僕は、飛行機の中でも眠らなかった。それより解決法を考えたかった。でも、何も思いつかない。
たとえば“人の気持ちを変える方法”なんてものがあるなら、誰だってそれを欲しがるだろうし、誰もが欲しがるということは、誰もできないということだ。僕はそこまで考えて、一旦は目を閉じようとしたけど、瞼をすり抜けてバスの室内灯が微かにチカチカと見えるのが気になってしまって、やっぱり眠れなかった。
そこは、閑静な住宅街の中にある、小さく古い家だった。不動産会社の名前の看板が貼りだされているところを見ると、借家みたいだ。美鈴さんがその家を指さして案内した時、門が開いて一人の女性が箒とちりとりを持って家の中から出てきた。その女性は、ものすごく小柄な体を割烹着で包み、髪をひっつめて、きびきびと箒で枯葉を集め始めた。
「お母さーん!」
美鈴さんがそう叫んだ時、僕は張り詰めていた緊張が頂点へと達し、手のひらが汗ばみ始めた。それをコートで拭っていると、彼女のお母さんらしき女性が顔を上げる。その人は本当にびっくりしたようで、口を開けてそれを片手で押さえた。そして美鈴さんが駆け寄っていくと、美鈴さんの両腕を包んで、嬉しそうな顔で笑顔になる。
「美鈴!?急にどうしたん!?」
「あ、お母さん…急に帰ることにして…あの、こちらが、皆川教授と、上田馨さん…」
「ええっ!?あなたが!?まあまあ教授、遠いところをわざわざ恐縮でございます!それに馨さんも、美鈴からよくよく聞いていますとも!私は美鈴の母親の京子と言います!さ、ではお上がりになって、どういうことなのかお話聞かせてもらいましょ!」
作品名:馨の結婚(第二部)(19~27)(完) 作家名:桐生甘太郎