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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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馨の結婚(第二部)(19~27)(完)

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それから日本に帰るまでは、僕は働く意欲も出ず、食欲すら湧かなかった。かといって、仮病などで仕事を休むつもりもない。現地で仲間になったみんなとの別れを惜しむ食事会に出席して、楽しい時を過ごしている間も、僕は姿の見えない“令嬢”の影に怯えていた。


そして食事会から帰った夜、父さんからの電話で、とうとうこう聞かされた。

“買収か共同経営かの分かれ道にまで来た。銀行が頑として、経営再建のためにはどちらかが必要と言い張って聞かない。そうでなければ銀行の人間が出張って来る。独立再建であれば手を引くと言われた。会社を売り渡すなんて、できるはずがない…”

父さんの声は、現状が不満なのか少し尖っていたけど、追い詰められたように疲れていた。

“…すまないが馨、あの話を真剣に考えてみてくれ”

「…はい…」

おそらく“令嬢”との結婚話だろうと思う。こんなんじゃ、「考えるだけ考えたけど、やっぱり嫌です」なんて言える状況じゃない。相手がどんな女性だろうが、親族経営を望む会社に助けてもらうのだから、結婚を拒否したら再建自体を拒否することになってしまう。

父さんはいくらかすまなそうな声で、「悪いが、このあと会議がある。本当に、頼むぞ」と言って、電話を切ってしまった。


「…どうしよう…?」


やっと電話が終わってから、僕の口から出てきたのはそれだけだった。「嫌です」とも、「僕にはもう相手がいるんです」とも、何も言えなかった。でも、どこかでそれを言わなければ、僕は美鈴さんではない誰かと結婚することになってしまう。


そんなの、嫌だ。






日本に帰る時には、仲間が空港まで何人か送ってきてくれて、僕は抱きしめてもらったりして、親しみを込めて送り出された。いい職場だった。名残惜しいくらいだ。それに日本に帰れば、僕はやりたくないことをやらなくちゃいけない。なおなお名残惜しくて、それでも仲間に手を振って、笑顔で別れた。


帰りの飛行機では、一睡もできなかった。夜の便だったし、翌朝から都内の本社で働くのだから、眠らなければいけなかった。


「相手の令嬢が僕をどうしても気に入らなければ、この話は破談になるはずだ」、なんて甘い見通しは通用しないだろう。その彼女だって、自分の家の会社のためと思って、なんとも思っていない僕との結婚を、すでに承諾しているんだろうし。僕はそこでふと、「そんな覚悟は辛いだろうな」、という気持ちになった。でも、そんなことはどうだっていい。


チャンスがあるとするなら、令嬢と二人きりになれた時だ。僕の素直な気持ちでその彼女を説得するしか、僕には方法が思いつかない。どうにかして、うちの会社が駄目にならない方向で。虫の良い話だろうとなんだろうと、僕はそうしなきゃいけない。


そう決めて、いわゆる「お見合い」の日までを、僕は待つことにした。




それから僕は日本に帰ってすぐに、なんの障害もなく役員の一人になって、代表権は持たないまでも、経営に携わることになった。


そのポストに就いて仕事を始めると、不思議なことに、僕はどうやら商売に向いているらしいということが、わかった。必要な情報を集めたら、それに合わせて各部署に大体の具体的な指示を出す。すると、少し満足のいく結果がついてくる。

あとは資金集めだけど、これは才能というより、相手を力づくで言い包めるような度胸がない僕には、少し荷が重そうだと感じた。父さんが銀行と資金繰りについて話し合う場で、僕は隣に座らされて父さんの喋ること、銀行の役員の頑なな態度を見て、そう思った。


それらを一回、二回と会議を経ながら試すうちに、じりじりとお見合いの日は近づいていた。業績は少しずつ上向いているとはいえ、三期目の赤字が出る前に、この話をなんとしても成功させなければいけない。また、僕にとっては、「縁談は失敗にして事業の再建は成功させる」という、なんとも都合の良い二つの要求を通すつもりの話だった。





当日の朝、僕は母さんに入念に服装や持ち物をチェックされていた。その時僕は、いつまでも僕を子供扱いする母さんに少しうんざりするような身近な気持ちと、「必ず令嬢を説得する、これは交渉なんだ」という非日常的に張り詰めた緊張感の二つを感じながら、母さんが僕にまといつく疎ましさの方が、よっぽど有難いんじゃないかと思った。

「これでよし。それじゃあ出発ね。母さんたちは支度は済んでいますから、荷物を忘れずに、車に乗りましょう」


僕たちは父さんの運転する車に乗って、都内の一等地にあるホテルに向かった。運転をしている父さんは黙っていて、時たまちらりとバックミラー越しに僕の姿を確かめては、僕から目を逸らした。それは、僕に謝るのを我慢しているように見えた。

母さんは車の中で相手の令嬢の話をして、興奮を抑えているような素振りを作っていた。“私たちは令嬢のことを気に入っているから、あとはあなたの気持ちだけ”。母さんは必死に喋り倒しながら、自分でもなんとかそう思おうとしているようだった。母さんは笑顔なのに、その眉はどこか悲し気に寄せられていた。