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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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馨の結婚(第二部)(19~27)(完)

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もう一人の三年次の先輩の話に移ろう。彼は美鈴と同じく、皆川教授を信奉する人たちの中の一人だった。

彼はもう博士論文に取り掛かっていて、運良く働き口を見つけ、企業の研究者としての将来が待っていた。また、この彼は目鼻立ちも良く、なおかつとても気のつく心根も優しい人で、非の打ちどころがないと言ってよかった。

書棚が高くて美鈴には手の届かない本を取ってやったり、研究室の整理を手伝ったりと、彼はよく美鈴の面倒を見て、美鈴と研究についての意見を交わしたり、共に皆川教授との議論を楽しんだりした。

ある日、学食で美鈴と彼は一緒に昼食を食べていて、美鈴のトレイには生姜焼きの定食、彼のトレイには麻婆丼が乗っていた。美鈴は食事に夢中になっており、彼は美鈴を見つめて、もたもたと麻婆豆腐をレンゲで掬っていた。

「僕は思うんだけど」

彼はこう切り出した。美鈴はそれに気づいてちょっと箸を止めて、「学友」の喋り出すのを待っていた。

「君は人間関係という点で言えば、僕にはなんの興味も持っていないかもしれない、そう思うんだ」

出し抜けにそう言われて、美鈴は顔を赤くした。世話になっている学友に対して持つにしては、あまりに情けが足りないように思う自分の感情が暴かれたからだ。彼はそれを見て、少し悲しそうに目を細めた。

「もちろん、そんなことで君を責めたりしないけど、僕は自分のわがままを言わせてもらうと…」

そこで彼は美鈴を見つめて少し間を置いた。美鈴は目を逸らすことができなかった。

「僕を見て欲しい。そう思うんだ。…本当に、望みはないのかい?」

美鈴はそれに答えなければいけなくなった。普段世話になっているので、美鈴はそれに胸を痛めた。そして彼女はうつむく。

「…ごめんなさい…」

「…そう」

彼は一言、「そう」と言っただけで、それからせっせと麻婆豆腐と米を口に詰め込み、そのまま黙って席を立った。美鈴も黙ったまま、彼が居なくなるまで食事の手を止めて、やっと彼の背中が学食の扉の向こうに見えなくなってから、また生姜焼き定食を食べ始めた。


その晩、美鈴は馨からいつも夜にかかってくる電話を取った。

“もしもし、僕だよ”

「うん、今日もお疲れ様」

“うん、疲れた”

馨は笑ってそう言い、その日の仕事の辛かったことや驚かされたこと、それからこれからの希望や不安についてを、外部の人間である美鈴にも話せる程度まで、話して聞かせた。

「そうなんだ。毎日大変そう。そういえば、日本に帰ってきたら今度はどんな仕事に就くの?」

“多分、まず初めは子会社を任されることになると思う…もし本社に何もなければ。でも、状況はそう良くないということを父さんからも聞いているから、まだわからないけどね”

「そっか…」

“でも、ゆくゆくは本社で経営に携わらなくちゃいけない。だから子会社についてはよく知っておきたいんだ。社員の生活もかかってるしね”


そう言った馨の声は、不安よりも可能性について考えようとする慎重さと、意欲があった。それで美鈴は少し安心した。


「そっか。すごい。私、今すごい人と話してるみたい」

そう言って美鈴は笑った。

“君だってすごいよ。教授秘蔵の研究者の卵なんだから”

馨もそう言って明るい声で笑った。

「ふふ、それほどでも」


それから二人は少しの間、会わない間にお互いの意識がずれてしまわないよう、隙間を埋めるように話をした。しかし、美鈴はこれまでも、この日も、「自分に言い寄る男が時たま現れること」については、馨に一切話しはしなかった。

本当なら、恋人が近くに居ない状況で男に言い寄られるなど、心細くなってしまうこともありえるし、馨に話して不安を解消する方が美鈴も楽だろう。だけど、美鈴は馨の支えになりたかった。だから、遠い国から帰ってくることができない今の馨に対して、自分のことで不安を与えたくなどなかった。彼女は、そういう時に黙っていられる女性だった。


馨との電話を切ると彼女は、少しの不安はありながらも、さっきまで聴いていた馨の声に包まれているような安心感を布団の中にしまって、自分もそれにくるまってしまい、眠りに就く。


彼女の寝顔は子供のように素直だ。また、光を放つ両目が閉じられた彼女の顔は、真昼とは違うしとやかさを見せる月見草のように、ひっそりと輝いていた。