小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

Split

INDEX|9ページ/37ページ|

次のページ前のページ
 

 植芝は、今年四十歳になる自身の体を点検するように、握りこぶしを作ると、力を抜いた。十代後半から二十代の終わり近くまでを、海外で過ごした。最初は、ちょっとした『頼まれ事』だった。それが口コミで広がり、その報酬は、二十代に入ったばかりの植芝にとって、自分にはこれが一番向いているのではないかと思わせるのに十分だった。日本に帰ってくるきっかけになったのは、十七歳の時に日本を出た時と同じだった。そこまでする必要があったのかは、今となっては分からない。しかし、穂坂がスポーツバッグに金を満たして『悪人ごっこ』をする段になって、警護をできる人間を探し始めた時に、珍しい『海外での警護経験』が目に留まったのは確かだった。それから十年間、穂坂の手足となって、充分生活できるだけの収入も得ている。
 もし、自分が病気や怪我で離脱することになったら? 植芝がそう聞いた時、穂坂は『その時は、お前を探したのと同じ方法に頼る』と言って、笑った。つまり、病気も怪我も御法度ということだ。海外と内地を行き来するための人脈は、今でも保ち続けている。しかし、一から仕切り直す労力を考えると、日常生活で起き得る危険を極端に避けるよう心掛けた方が、話は早かった。実際に十年もの間、その習慣を続けている。穂坂は、そんな植芝の海外での生活経験が羨ましい様子で、一度出てふらりと帰ってきたのはどうしてなのか、思い出したように訊くことがあった。世界を見たかった、と答えているが、実際にきっかけになった出来事は違う。
 人を殺したのだ。二十九歳の時に、海外で妻を。そして、十七歳の時には、国内で自分の父親を。
    
 立ち姿から、変わった。自分でもそう思う。二十歳になった。専門学校で教わったのは、人としての立ち振る舞い。ホテル従業員というよりは、その卵を孵化寸前まで育てるのが、専門学校の仕事。二年で殻を破れるかは、こちらにかかっている。華崎は、手持ちの服の中で最もフォーマルに近いブラウスの襟を整えて、姿見の前で気を付けの姿勢を取った。口角がわずかに上がっていて、真顔でも笑顔に見えるから、子供の頃からよく『幸せそうな顔』と言われた。高校二年生の時、どこへ進学するかという話になって思ったのは、藤川と同じように大学へ通うのは無理だということだった。四年という途方もない年月を過ごして、就職をするのは二十三歳になる年。当時十七歳だった自分からすれば、それは想像もつかない未来の話だった。当時、自分の考えていた選択肢は、一つだけだった。それは、高校時代の三年間を支えたアルバイト先のアパレル店で雇ってもらい、そのまま働くこと。実際、店長からは卒業を心待ちにされていた。『その真顔は、ほんまに得よ。いつも機嫌が良さそうに見えるから』と、何度も言われた。今は、全く違う業界で生かせる自信がある。
 学費のことを考えると、進学なんて別の世界のことに感じた。藤川と話した日の夜、華崎は食卓でその話をした。小学校時代から変わらない細い足のテーブルの上には、母の泰代と作った料理が並ぶ。向かい合わせに座った泰代の箸が一瞬止まり、一言『心配しないで』とだけ呟いた。華崎が小学校四年生の時、泰代は離婚して、自分の手で一人娘を育てることを決めた。事業の資金繰りで、父が誰にも言わずに親戚へ借金をしたことが、決定的な楔を打った。三人家族から一人が目減りして数年が経ち、華崎が中学校に上がった年に、泰代は事情を話した。
『こうするしかなかったんよ。佳代の人生まで、ダメになるかも分からんから』
 十三歳だった華崎が今でも覚えているのは、そう言った時の、泰代の毅然とした表情。少しだけ歪んだ窓枠から隙間風が漏れていて、言葉を演出するように、天井から吊られた照明の傘を揺らした。今は新しい窓が取り付けられているし、もう再現されることはない。
 泰代の『心配しないで』という一言で食卓が中断され、華崎は箸を持ったまま、立ち上がった泰代の後ろ姿を目で追った。泰代は、押し入れから通帳を出してくると、華崎の手元に差し出した。違う世界から現れたように感じる通帳の名義は華崎本人になっていて、中を開いた華崎は、自分が藤川や他の生徒たちと何も違わないし、自分の人生にやりたい事を試すだけの振れ幅があることを悟った。贈り物を時間をかけて消費するタイプではないというのは、自分でも分かっていた。だから、専門学校を選んだ。二年間を過ごす内の最後の一年は実質『研修』で、習うのは就職先でそのまま使うことになる知識だから、無駄がない。
 二十歳を迎える年になっても、相変らず真顔でも笑顔に見えるのは、変わらない。でも、いつも機嫌が良さそうに見えるということは、誰からも心配してもらえないということでもある。人間である以上、内心は笑っていないときの方が多い。感情を読み取ってもらえず、自分の甘い表情が自分自身を刺す凶器のように感じたこともあった。その行動を起こした根底にあるのは、喜怒哀楽のどれなのか。自分でも分からないときがあるのだから、他人ならますます分からないだろう。華崎は、鏡に向かって笑顔を作りながら、思った。私だって、人の気持ちが分かっているとは言えない。もう、大昔のように感じる。田島が通う高校の文化祭に行こうと思ったきっかけは、卒業してすぐに再会した友人の一言だった。
『田島のクラス、分かるよ』
 田島は、一年生の時に一緒のクラスで、三年生のときは、垣根なくクラスが混ざるグループ学習で一緒になった。どこからか口数が減って、田島は聞き役になっていた気がする。それでも、中学校を通しての印象はずっと変わらず『いい奴』だった。自分でも変な表現だと思う。しかし、それが田島を最も的確に表している自信があった。
 振り返ってみれば、それは中学校という閉じた環境の中で成立する約束事に過ぎず、一旦道が分かれれば、続く保証などなかった。その証拠に、自分が田島のためにとっていた『いい奴』という言葉は、あの日、正式にその役目を解かれた。喜怒哀楽のどれを当てはめていいのかもわからなかった。
 帰り道、藤川は『あれはないわー』としきりに言っていたし、それに合わせて文句でも言えばよかった。でも、私が怒りを表現すると、相手からすれば突然ゼロから沸点に達したように見える。だからあの時、『馴染めてないんかもね』と言って、藤川のそれ以上の文句を押し込めた。
 喜怒哀楽を勝手にフィルターして『喜』か『楽』にしてしまう、この顔。今となっては、そこまでの不便さを感じない。むしろ仕事に就けば、感情を隠し通せることが武器になるに違いない。この二十年間は、結果的に正しかったのだ。華崎はもう一度、全身を点検した。ジーンズに少しだけフォーマルな印象を与えるブラウス、黒髪。派手なのは良くない。髪をアップに括ったとき、落ちかけた西日に照らされるテーブルの上で携帯電話が鳴った。メールが一件。
『来ました。近くで時間潰してます』
 華崎は笑った。気の早さは、この交流が始まった八年前から変わらない。
 当時、私は十二歳だった。
    
 三人の頭が同じ方向に傾き、橋野がアクセルを開けながらステアリングを戻していくにつれて、定位置に戻った。後部座席で戸波が拍手をしながら、言った。
作品名:Split 作家名:オオサカタロウ