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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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二〇二〇年 十月 現在
     
 あっけないぐらいに、何も残っていない。住宅街というわけではなかったが、取り壊された跡はぽっかりと空いていて雑草が茂り、不動産屋の電話番号が書かれた張り紙が、トラ柵にしがみついている。かつてラーメン屋があった隣は、コインパーキング。世代が変わったというよりは、深い意味を持たない場所に格下げされたようにも感じる。当時はここが学生生活の中心点で、会話の中でも軸のような役割をしていた。橋野は、当時から変わらないブロック塀にもたれかかった。よく、ここに四人並んで、あの中村がやってくるのを待っていた。腕時計に視線を落として、気づいた。事前に調べていた通りの行程で、少し巻いているぐらいだ。隣に三人がいる体で記憶を探っても、時間に追われることはないだろう。
 坂間が坊主頭で、戸波がヘルメットのような頭をしているから、二人ともそれにちなんだあだ名をつけられていて、田島はいつもあだ名で呼んだ。ハゲとヘルメット。それは、中学校時代から付き合いのある田島だから許されたことで、橋野自身は二人をその呼び名で呼んだことはなかった。そこは自ら、三人と一人として付き合うことを選んでいた。自分は、戸波からすれば、ただの標的。戸波が何かちょっかいをかけたら、逃げられないよう相手を羽交い絞めにするのは、坂間の役目。一度もそんな目に遭ったことはないが、それは田島を通じた友人だったからだ。
 田島はどうして、自分を友人に選んだのだろう。それは、今でも不思議に思う。文化祭の日、華崎を前にして銅像のように表情を変えなかった田島は、その次の週に、坂間と戸波に紹介した。郊外のガソリンスタンドで、田島のバイクに二人乗りで向かった。田島が『普通の生徒』と『不良』を渡り歩いているとすれば、坂間と戸波は完全に、あちら側の人だった。高校の連れという短いフレーズで紹介されて、排気ガスの匂いが残る給油ブースで、二人と握手を交わした。それ以来、二人の目には常に『田島の連れだから』という但し書きが浮かんでいたように思える。危うい四人組。今、大人の目線で振り返れば、危険信号はいくらでもあった。三人と一人という、いびつな立場を使うことだってできた。例えば、田島のやろうとしていることをやめさせたり。田島は、一度でも正しいと確信さえすれば、自分の言うことを聞いたはずだった。しかし、それは三十四歳という年齢に辿り着いて初めて分かったことで、当時は選択肢の一つとして頭に浮かびすらしなかった。車に戻ってエンジンをかけると、オーディオから小さく鳴っている音楽が耳に留まった。プロディジーのアクションレーダー。大学時代によく聴いた中でも、この曲は特に記憶に残っている。当時、いつもメールで済ませがちだった田島から珍しく電話がかかってきた夜も、聴いていた。あの時、俺は何て言ったのだろう。やり取りは覚えていない。印象に残る言葉を発していたら、それもセットで覚えていただろう。例えば、『やめろ』とか。
 それさえ言っていれば、あの電話の後に起きたことは全て、避けられたかもしれない。
    
    
二〇〇六年 二月 十四年前
    
 ヘッドホンからの音漏れが耳障りに聞こえて、橋野はオーディオの停止ボタンを押した。空気がしんと冷えて、雑音交じりの田島の声だけになった。
「何それ? 強盗ってこと?」
 橋野は、口に出すのもためらわれるように、声を落として言った。田島は『強盗』に代わる言葉を探しているのか、しばらく黙っていた。橋野は自分の頭で理解した内容を、繰り返した。
「その穂坂ってのは、貸倉庫のオーナーなんやな? 常に現金を持ち歩いてて……、護衛がおるん? で、その現金を盗むん?」
「管理しとる倉庫を、順番に見回る日があるんやって。運転手と、穂坂しかおらんらしい。写真見せてもらったけど、運転手はなんか、しょぼい奴やったわ」
 田島の、興奮気味な言葉。橋野は思った。あの後、中村屋にずっといて一緒に話を聞いていれば、もしかしたら自分も乗り気になっていたかもしれない。しかしこれは、中村屋の『これをあそこに運べ』や、『あれをここへ持ってこい』といった単発のバイトとは訳が違う。
「マジで強盗やぞ」
「穂坂ってのは、有名な成金やねんて。相当金にがめついらしい」
 田島の言葉は、強盗を正当化する理由にはなっていなかった。そもそも正当化する言葉は、この世にないはずだった。
「ナカムーは、その穂坂って奴と仲が悪いん?」
「どうも、昔に金を貸しとるらしいな。見せびらかすぐらい持っとる割に、中々返しよらんらしい」
 そういう事情なら、中村が可哀想にも思えてくる。同時に、あんな強面の男から金を借りておいて、返さずに放置できる穂坂の方が、より怖いように感じた。
「ちょっと、そいつらの写真送るから、ジャッジしてや。俺は橋野の目を信じる」
 一旦電話が切られ、メールが届いた。添付ファイルには、二人の男の顔写真。名前は書かれていないが、どちらが穂坂かはすぐに分かった。目つきに鋭さはなく、むしろ優しい印象すらある。もう一枚の若い方が、運転手。面長で、どこかぼんやりとしており、護衛や運転手といった風情ではなかった。どちらかと言えば、宅配ドライバーにいそうな顔だ。橋野は田島の携帯電話を鳴らした。
「なんか、しょぼいな両方。若い方も、護衛って感じちゃうし」
「そうやろ。三人がかりやったら、勝てそうな気せえへん?」
 人数に自分が含まれていないことに気づいた橋野は、次の言葉を待った。田島は、笑った。
「いや、ハッシーに一緒にやれとは言わんで」
 でも、電話でわざわざ伝えてきたのは、理由があるはずだ。橋野は、田島が本題に入るのを待った。
「とりあえず、金を奪うとするやん。で、その後逃げなあかんやろ」
「運転か」
「そう、ハッシーにはドライバーをお願いしたい。車は、ナカムーが用意しとる」
「ちょっと待ってや、いつやる話なん?」
 橋野が言うと、田島はカレンダーをめくっているらしく、ぱらぱらと乾いた紙の音がした。
「来週」
「急すぎん? なんなん、俺は待っとったらいいん?」
「そう。その辺の段取りはこれからやねんけど、とりあえずその車を、安全な場所に置いときたいねん」
 うちの車庫。橋野は眉間を押さえた。田島はずっと、それが言いたかったのだ。車庫にその『逃走用の車』を置いといて、三人を逃がすタイミングで出動する。そういうことだろう。
「うち、二台もよう停めんで。第一、親に何て言うんな」
「借りてる車とか、なんかテキトーに」
 橋野家名物の食卓裁判の場で、言ってみろよ。橋野はそう思ったが、田島なら裁判に参加している全員を殴って、立ち去りそうだった。
「その車、でかいん?」
「えー、九七年型のフォルクスワーゲンゴルフやな。GTI。速い車のほうがいいやろ」
 自分で買ったというのは、無理がありすぎるだろう。中古だとしても、二百万円近くする車だ。その車の名義や保険はどうなっているのだろうか。橋野は言った。
「その車、誰のやつなん?」
「知らん。見せてもらったけど、ナンバーはついてる。ハッシー、マニュアル大丈夫やんな?」
「大丈夫やけど」
作品名:Split 作家名:オオサカタロウ