Split
佐藤は答えず、島岡の頭を撃った。鍵束を拾い上げると、横向きに倒れた島岡の死体をまたぎ、クリンコフのセレクターをフルオートの位置に合わせた。鍵をゆっくり差し込んで解錠すると、窓から中を覗き込んだ。ベッドの上に寝転がる足が見えた。佐藤は、大きく息を吸い込むと、同じ速度でゆっくりと吐き切り、部屋の中へ飛び込んで銃口を向けた。目が痛くなるくらいに暖房が効いていて、植芝は横たわったまま動かなかった。佐藤は、植芝の印象が随分と変わったことに気づいた。それが本人であることは、間違いない。しかし、野球帽やサングラスに加えて、マスクまで身に着けている。佐藤は、一向に動こうとしない植芝の野球帽を取った時、植芝が死んでいることに気づいた。咄嗟にクリンコフの銃口を入口に振ったが、人の気配はなかった。目を忙しなく瞬きさせながら、佐藤は小さな机の上に視線を走らせた。ナイフが置かれていて、血がついている。佐藤は、植芝の右手を掴むと、手袋を抜いて裏返した。応急処置されているが、手の平の一部が裂けている。切られたのではなく、刺した時に自分で切った傷だ。野球帽は目立たない色だったが、裏側が血で濡れているのが分かった。頭頂部を覗き込み、致命傷になったのは頭の傷だということに気づいた。最後に佐藤は、サングラスを取った。左目の半分がかさぶたになっていて、開けられないぐらいに塞がっていた。野球帽を植芝の顔に被せると、佐藤は、黒いダッフルバッグの上に置かれたリュックサックを開き、荷物を探り始めた。すぐにバッテリーの切れたPDAを見つけ、全ての悩みから解き放たれたように、小さく息をついた。
柏原は、車が消えてがらんとした倉庫の中を抜けて、反対側の入口から外に出た時、古い通用門が開きっぱなしになっていることに気づいた。グロックの位置を意識しながら、通用門から倉庫まで続く、雑草の茂った道を歩き始めた。途中、血の跡が壁にこびりついていることに気づいて、足を止めた。きびすを返すと、柏原は急いで桟橋まで戻り、モータボートのエンジンをかけた。雑草に隠れているが、すぐ後ろにバイクが倒れているのが見えた。
それは、スズキのバンディットで、傷一つなく磨かれていた。
靴を拾って凍える足を入れると、佐藤は、耳を中心に血で濡れた顔の左側を庇いながら、ハコスカの前まで戻った。クリンコフの安全装置をかけてスリングを肩に回すと、コンテナボックスの前に立った。出港直前に積み込まれるのを、ハコスカのトランクの中から見ていた。蓋を持ち上げて反対側に倒すと、佐藤は言った。
「なんで、わたしの言うことを聞かんかったの」
「……、色々あって」
田島は、致命傷になる位置を刺されていた。佐藤が手を差し出すと、その手を掴んだが、起き上がることを躊躇しているようだった。佐藤は言った。
「刺された?」
田島はうなずいた。その言葉がきっかけになったように、力を込めて起き上がった。佐藤は、傷口に突破口を見つけたように新しい血が流れ出す様子から、目を逸らせた。殺したい時に狙う位置からは少し逸れていたが、もう長くはもたない。肩を貸して、コンテナボックスから引きずり出すと、ハコスカの後部に寄りかかる形で座らせた。佐藤が向かい合わせに腰を下ろした時、田島はライフルに気づいて言った。
「顔を見たら、殺すんやろ?」
佐藤はクリンコフのスリングを肩から抜いて、傍らに置くと、首を横に振った。咄嗟に飛び出しかけた、『あなたはどの道、死ぬから』という言葉。それは、プリンターから出力されたように頭から浮かんだが、今は声にならなかった。代わりに、佐藤は言った。
「あれがわたしって、すぐ分かった?」
「香水で」
田島は、佐藤の目をまっすぐ見て、言った。手の感覚はすでになくなっていて、自分の感じる冷気が冬の風なのか、自分の体温なのかも、曖昧になっていた。佐藤は、耳についた血を拭いながら、言った。
「どこで?」
「何が?」
田島はそう言ったが、すぐに言葉の意味を理解して、自分に呆れたように笑った。
「港で、ずっと待ってた。ついさっき……、いや、夜中にあいつはふらっと出て来たんや。殴り合いになった。強かったわ。結局、刺されたしな」
人のやることは、当てにならない。佐藤は一旦、目を伏せた。
「植芝の頭を殴った?」
「あいつ、植芝っていうんか。殴ってはないけど、殺すつもりで壁に叩きつけた。……、なあ、全員殺したん? 植芝は、お前は生きたまま海に投げ込むって、言うてた」
田島は、それが気にかかっているようだった。自分を海に投げ込むつもりだった人間の明暗は、気になって当然だ。佐藤はそう思いながら、歯を見せて笑った。
「この船で生きてるのは、うちらだけやで」
その言葉に、田島が少しだけ頬を緩めた時、佐藤は続けた。
「植芝は、わたしが引き金を引く前に、死んでたけどね」
「……、なんで?」
「殺すつもりで、壁に叩きつけたんでしょ。頭の傷は、後から来るから」
佐藤は、その後に続く田島の表情の変化を、伏し目がちに見つめた。復讐を果たした人間の目ほど、空っぽなものはない。
「ゴルフの運転席に座ってたんは、友達?」
佐藤が言うと、田島は歯を食いしばって、少しだけ体を起こした。今にも、その右手が飛んできそうだ。佐藤は、少しだけ顔を引いた。守りたい人間が残っている限り、その目は光を失わない。佐藤が見つめていると、田島は言った。
「友達やったら、どうする?」
「なんもせんよ。わたしの運転の評価を聞きたかっただけ。あのタイミングで曲がるって思った?」
田島は、目の前から一瞬で姿を消したスカイラインを思い出して、目を大きく開いた。
「あの、無茶な右折したん……」
田島が、自分を名前を呼びたがっていることに気づいて、佐藤は言った。
「わたしは、佐藤。あのスカイラインも、わたしが用意したんやけどね。植芝に盗まれて、全部台無しになった。関係のない人も死んだし」
田島は静かに聞いていたが、青白い顔を佐藤から少しだけ逸らせて、呟いた。
「佐藤さん、若いやんな?」
「それ、みんな聞いてくるね。二十二やで」
そう言うと、佐藤は田島の隣に座り直して、田島と同じように、ハコスカの後部に背を預けた。血の匂いが強くなり、佐藤は、この仕事で柏原と自分が見たことや、今日までやってきたことを全て語った。誰も生き残っていないことを知った田島の顔が、満足そうに笑顔へ変わっていく中で、ひとつだけ傷を抉った瞬間があった。
「知らんおっさんか……。あいつの親父やったんやな」
それが、斉間を指していることに気づいた佐藤は、言った。
「華崎佳代は、友達?」
田島はうなずいた。華崎の写真をニュース映像で見るまでは、こっちから命を差し出してもいいと思っていた。すぐ隣でまっすぐ前を見つめる佐藤に、言った。
「この後、どうするん?」
「わたしの発信機を辿って、仲間が船で迎えに来るよ。フランケンを二十回刺した人」
田島は笑いながら、佐藤の横顔を見つめた。佐藤が、視線に気づいて顔を向けると、その目を見て言った。
「俺の死体が、上がらんようにしてほしい」
「行方不明になりたいの?」
佐藤が言うと、田島はうなずいた。