Split
「俺はずっと、自分の事を運が悪いって思ってた。でも、生き残った人間には、そういう風に思ってほしくない」
佐藤は、しばらく考え込むように俯いていたが、うなずいた。田島は自分の望みが初めて叶ったように、ハコスカのトランクに頭を預けた。
「できるんや……、よかった」
その言葉を最後に会話が止まり、遠くからモーターボートのエンジン音が聞こえてきた時、佐藤はもう一度、どうして欲しいか聞こうとしたが、田島は死んでいた。
二〇二〇年 十月 現在
車に人生を賭けたのは、それ以外のことを忘れたかったからだ。橋野は、空を見上げると、交わせなかった言葉を呟いた。
「じゃあな」
突然、姿を消した田島。簡単に逃げ切れるわけがないと思って、生きてきた。それが最近になって突然、オークション会場や、ふらりと入ったレストランで、どちらともなくその姿を見つけ、会話が始まるのではないかと思うようになった。違う名前に変わっていて、もしかしたら、家庭も持って。今から十八年前の、高校に入りたての頃。これ以上ないぐらいに不機嫌な顔の田島が隣の席に座っていて、小さくため息をついた。オリエンテーションがあまりにも憂鬱だったのだ。話しかけて、交流が始まった。そこに、必然性や理由はなかった。ただ、名前の順番で隣り合わせになったのだ。それだけでも、ふてくされた高校生活の甲斐はあった。世の中には、その時点でしか、付き合いの存在し得ない人間がいる。そして、その時点でしか、立ち会えないことも。
今年の初め、イギリスの日本車オーナーズクラブに呼ばれて、イッシ―と『海外出張』をした。現地で身動きが取れない中、直弘から『親父、あかんかったわ』とメールが入った。実家には近づかなかったが、入院生活が始まってからは何度か見舞いに行った。亡くなるまでに何度も峠を越えたという事は、こまめに直弘から連絡を貰っていたから、知っていた。葬式には間に合わず、帰ってからは作業が立て込んで、空き時間を丸一日作るという事自体が、できなかった。それは主任研究員の直弘も同じなようで、仕事の愚痴はよくメッセージで送られてくる。そんな直弘は三十一歳で、今でも実家の近くに住んでいる。どうにか途切れることなく、細い人間関係の糸は続いた。実家に顔は出せなくても、『家族』と名前を付けたSNSのグループは、直弘と母さんの発言が半分ずつを占めている。
先月、直弘から届いたメッセージ。それは、父親の書斎をひっくり返すことに、ついに成功したという内容で、写真が何枚も添付されていた。本がどけられたフローリングの床は、重みで歪んでいた。直弘は、自分の家に持って行く本を選別しているようで、『夜通しかかりそう』と送ってきたきり静かになったが、夜中に再度、メッセージを送ってきた。
『兄ちゃんのやつ、混ざっとった』
それが、このささやかな小旅行のきっかけになった。直弘に送ってもらい、今もゴルフの助手席に置いてある。愛着のあるオーナーなら、誰もが一度は購入を考えるだろう。フォルクスワーゲンゴルフの、サービスマニュアル。自分で買った記憶はないから、間違いなく親父の私物だ。そこには、一台の車に関するありとあらゆる情報が、網羅されている。車に詳しくなくて、それでもどうにかしたい場合は、覚悟を決めてこれを見た方が早い。親父の書斎から見つかったそれは、ワイヤーダイアグラムのページが折ってあった。それを読み解けば、何がバッテリーに繋がっているかが分かるから、故障の原因を特定できる。逆に、バッテリーを放電させることも。
本当に大変なことが起きている時は、誰にも悟らせない。しかし、問題を解決するに当たって、手加減をすることもない。そうやって、親父は橋野家にしかない特権を守ってきた。その特権とは、橋野家の一員であるという事そのものだ。一員は、その家長の手で、手段を選ぶことなく守られる。
橋野は霊園の中を歩き、小さな屋根に守られた橋野家の墓の前に立つと、橋野元治と刻まれた墓石の前に屈みこんだ。直接言葉を交わすことは、もう叶わない。でも、話しかけることはできるし、自分が伝えたいことを、残すこともできる。橋野は名刺を置くと、目を閉じて、手を合わせた。
忘れようとして、ずっと遠回りをしてきた。もう、そのつもりはない。
俺は、ここにいる。