Split
まさにその通りだ。一緒に積み込んだ魚獲りのネットは、畳まれてはいるが相当場所を取っていて、柏原はそれをまたぎながら、操縦席に一度座った。死体を海に捨てる時は、作法がある。重石とネットを使えば、死体自体は浮き上がってこない。柏原は、腕時計に視線を落とした。相手が運搬船であることを考えると、一時間ぐらいのリードタイムを与えた方がいい。そして何より、レンタル業者が後から腰を抜かさないように、血や薬莢は全て回収する必要がある。柏原は桟橋に上がると、倉庫までの道を歩き始めた。植芝が、自分たちに繋がる物を敢えて残していないか、確認しておく必要がある。これ以上の回り道は許されない。
海にいると、夜明けがよく分かる。そのきっかけから、実際に太陽が姿を現すまでの間は、一日の間で保田が最も気に入っている時間帯だった。エンジンの点検というのは、退屈な仕事だ。一度動いてしまえば、よほどのことがない限り止まらない。しかし、発電機だけは気にしておいた方がいい。エンジンに問題が起きれば、全員がその音や振動ですぐに気づくが、発電機だけは、電球が暗くなったことに気づいてから点検しても、すでに死んでいて手遅れになっている可能性が高い。保田は両足に伝わるエンジンの振動を楽しみながら、まだ真っ暗と言っていい空を眺めていた。出港して、約一時間。豆粒ほどの大きさに見える漁船のストロボ以外は、三百六十度が真っ黒な景色。保田は、道連れにされた六台の車と、『顧客』である植芝の持ち込んだコンテナボックスが保管されている荷室に降りた。島岡も町川も、全く関心を寄せていないようだったが、この六台は、高く売れる。初代のスターレットに始まり、パブリカ、クジラクラウン、コルト、ベレットと続く。極めつけはシルバーのハコスカで、反対側に到着したら、そのまま私物にしたいぐらいだった。保田はハコスカの後ろに回ると、四角いテールライトが四つ並ぶ後部を見つめた。片側から出されたマフラーはスポーツカーにしては控えめで、いつまでも見ていられる。保田は煙草を抜くと、火を点けた。煙を存分に吸い込んで、煙草の先端が真っ赤に光った時、平手打ちのような音が鳴ってトランクの真ん中が裂け、ライフル弾が保田の頭を真っすぐに貫通した。
空いている手でトランクを静かに持ち上げると、佐藤は荷室に足を下ろした。サプレッサーの先端から細い煙を上げるクリンコフのスリングを肩に回すと、保田の死体を持ち上げて、ハコスカのトランクに押し込んで、静かに閉じた。十二時間、同じ体勢で息を潜めていた体を伸ばし、クリンコフのストックを展開させると、佐藤は操縦室を見上げた。階段は薄い鉄板を塗装しただけの簡素なものだ。相当静かに上がらないと、気づかれるだろう。階段の下までたどり着くと、佐藤は靴を脱いで片手に持ち、凍り付くような鉄板の冷たさに顔をしかめながら、音もなく階段を上り始めた。
町川は、人との会話を極端に避ける性格だったが、それは自分が返事をしている間、周りの音が何も聞こえなくなるからで、実際に人と話すのが嫌いなわけではなかった。地平線を眺める島岡を横目で見ながら、言った。
「さっきの音、輪留めが外れたんかな」
陸と違って、海の上で鳴る音というのは、数種類しかない。町川は、微かな甲高い音を聞いた気がしていた。島岡は一度振り返ったが、苦笑いを浮かべた。
「地獄耳やな、エンジンやろ」
「エンジンやったら、保田に聞いてみんと」
町川は、釣り竿ケースからレミントン八七〇を抜いた。ステンレス製のマリーンマグナムで、散弾は六発装填されていた。その一発目を装填すると、無神経な金属音に島岡がびくりと肩をすくめた。
「お前、船を穴だらけにするつもりか?」
「外さんから、安心しろ」
操縦室から出ると、防寒着のフードを頭まで被り、町川は二階のデッキに立って、並ぶ車を眺めた。不用意に動いたり、ぶつかったりしている車はない。最後尾のハコスカの、さらに後ろ。そこにオイル染みのような跡を見つけた町川は、目を細めた。何かを零したような跡がある。頭よりも体が先に理解した。あれは血だ。町川は散弾銃を低く構え、階段に向かって走った。最上段に差し掛かった時、階段に沿って体を低くした佐藤は、その足首を撃った。足首の骨とアキレス腱が真っ二つに割れ、町川はよろめきながら散弾銃の引き金を引いた。散弾が佐藤の頭上を掠め、手すりに跳弾した一発が、佐藤の左耳の一部を削り取った。目の前で散弾銃の遊底が引かれるのが見え、それが戻る直前に、左手で持っていた靴を離した佐藤は、その銃身を掴んで自分の方向へ引っ張った。町川がバランスを崩して自分の体を乗り越えるとき、背中を掴まれたことに気づいた佐藤は、咄嗟に自分の左足を手すりの間に差し込んだ。佐藤の体は、ふくらはぎの筋肉を支点に引っかかり、階段の途中で逆さまに止まったが、町川はそのまま階段を転げ落ちると、最下段で首の骨を折って死んだ。佐藤は左足が折れていないことを確かめながら、手すりを掴んで立ち上がり、靴は諦めて走り出した。操縦室のドアを開けた時、島岡はようやくリボルバーを取り出したところだった。
「植芝は?」
佐藤は、足を引きずりながら間合いを詰めた。島岡は、リボルバーを持っていることが逆に自分を不利な立場に追い込んでいるということに気づいて、床に捨てた。狙いは植芝だ。島岡がそう思った時、佐藤は島岡の右手を撃った。親指と人差し指を残して、残りは真っ二つに砕けた。
「どこ?」
佐藤はほとんど掴みかかれる位置まで近づくと、手を吹き飛ばされた衝撃で口を開けないでいる島岡の体を強く押した。壁に叩きつけられた島岡は、湿気た発煙筒のように真っ赤に染まった右手を持ち上げると、船長室に向けた。
「……、部屋の中に」
「鍵は?」
佐藤はそう言ったが、答えは、島岡が腰につけている鍵束にあった。島岡はそれをベルトから抜くと、佐藤の足元に放った。
「黄色の七番。なあ……、植芝を狙ってきたんやな?」