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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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 植芝が四十歳になったという事は、自分は三十八歳になったということだ。ただ、人より少しだけ器用で、船を扱えるだけだと、自分では思っていた。そんな自分のことを『船長』と初めて呼んだのは、二十代の後半に差し掛かった植芝だった。島岡は、植芝とホテルのバーで知り合い、シンガポールスリングを飲みながら話し込んだ。植芝は妻と一緒だったが、妻の視線は常に泳いでいた。自分が安心できる場所は植芝の隣ではなく、それでも立ち去ることは許されていないように、ぎこちなかった。直感で、長続きしないだろうと思った事を、島岡は今でも覚えていた。植芝を船上の警護につけて二年が経った時、いつもより多い荷物を抱えて現れた植芝は、視界が全て海になった時、言った。
『これ、捨てていいか』
 島岡は、植芝が引きずってきた寝袋の中身を、肩越しに覗き込んだ。植芝の妻は、怯えた顔のまま死んでいた。ずっとそのような顔をしていたから、青白くなっただけにも見えた。
『日本に帰るわ』
 あっさりと言い、植芝は島岡の生活から姿を消した。それから十年以上が過ぎて、突然連絡が入った。今度は海外に出たいと言ったから、島岡は『また誰か殺したのか』と訊いた。植芝は答えなかった。島岡が当てがった船員用の宿舎の一室に、出張族のサラリーマンのようにまとめられた荷物と、黒いダッフルバッグを運びこんでからも、その点については黙ったままだ。ただ、反対側に安全に到着できたら、三百万円を現金で渡すと言った。その条件を提示された以上、改めて事情を確認する必要はなかった。段取りのほとんどは、植芝がやり遂げた。業者が倉庫に保管している、六台の車。植芝は自由に出入りできるようで、六台とも運び出すように言った。マニフェストは、島岡の船の名前に書き換えられており、積み込みは今日の午前四時。つまり、約一時間後だった。船員は古い付き合いから、二人を選んだ。もうすぐ起き出すだろうが、今は両方が仮眠をとっているし、そう信じることもできる。
 問題は、植芝だ。今は、出港直前になるまで絶対に部屋から出るなと、釘を刺している。ここ一週間、この町で死んだ人間の数は、島岡が停留したことのあるどんな港町よりも多かった。それが全て植芝の『悪癖』であるように、思えてならない。目と鼻の先で、タクシー運転手が強盗に遭って殺されたことが、とどめを刺した。警察官がなだれ込み、島岡自身も聞き込みで呼ばれた。ありとあらゆる倉庫がもぬけの殻になり、警察が実行犯の痕跡を探し始めた。六台の車を警察がじっくりと検分したらと考えるだけで、逃げ出したくなる。三日で捜査の軸は港から町内に移ったから、今は警察官の姿はないが、人の流れは緩やかになっている。できるだけ目立たないよう、港自体が息を潜めているようだ。島岡自身も、本当なら一時間に一回ぐらいの間隔で、宿舎に植芝がいることを確認したいぐらいだったが、頻繁に行き来する姿を見られるリスクの方が高いと感じて、あえて堪えた。
 午前三時きっかりに、機関士の保田が起きてきて、島岡に一礼すると、船に乗りこんでいった。これから機関部と燃料の点検が始まる。島岡はリュックサックを背負うと、夜中でも構わず海沿いに肩を並べる釣り人の姿を見ながら、船に乗り込んだ。船長とは言っても、格好よく指差したり、指示を飛ばしたりするような威厳を持った存在ではない。ただの操縦者だ。航海士は、武器を扱える町川を選んだ。ほとんど話さず、友人はステンレス製の散弾銃だけ。島岡自身も、操縦室に小さなリボルバーを置いていた。エアウェイトと呼ばれる三八口径で、五発装填されている。使う機会などなく、時折弾が湿気ていないか確認するぐらいで、お守りのような存在になっていた。
 島岡は船から出ると、積み込みのために、町川と一緒に倉庫へ歩いた。六台の車は少しだけ埃を被っているが、年式の割によく整備されているようだった。車に関心がない島岡でも、六台の内一台がハコスカであることは分かった。町川は鍵の束がかけられたボードを手に取ると、先頭のスターレットから順番に、船へと移動させていった。ハコスカが最後に入り、焦げたような匂いを漂わせながら、最後尾に停まった。窮屈そうに町川が降りてくると、煙草を吸っている保田が、目を丸くした。
「名車ぞろいっすね」
 町川は答えなかったが、島岡が代わりに愛想笑いを返した。次は、本丸を起こしに行かなければならない。植芝。厄介事の宿主にして、この気まずい仕事のきっかけ。付き合いは、これで最後になるだろう。島岡がそう思って宿舎の方に目を向けた時、コースターの転がる音が聞こえてきて、後ろから声がかかった。
「こっちや」
 小さなリュックサックと黒のダッフルバッグを背負い、野球帽を深く被った植芝は、深い色のサングラスをかけ、マスクをしていた。『私を職務質問してください』と、大声で言いながら歩いているようなものだ。島岡が呆れたように息をつくと、植芝はお構いなしに、コースターの取りつけられたコンテナボックスを指差した。
「追加で五十万払う。こいつも運んでくれ」
「お前、外に出たか?」
「あんな狭い部屋に、ずっとおれるか?」
 植芝は、話すこと自体が面倒なように、早口で言った。島岡はそれ以上問い詰めるのを諦めた。もう、移動は始まっている。海に出てしまえば、陸上のほとんどの問題からは解放されるのだ。コンテナボックスを押すのを手伝うと、船に乗り込んだ植芝に言った。
「お前が行ったり来たりするときは、何かある」
「そうやな」
 植芝は短く言うと、二階へ続く階段を駆け上がった。操縦室の隣に一室だけ用意された、足を完全に伸ばして寝られるベッドのある部屋へ入っていくと、ドアを閉めた。本来船長の部屋だが、そこを使うことも、三百万円の中に入っている。三時四十五分を指した時、予定通りにエンジンが立ち上がり、甲板全体が揺れた。島岡は、保田に一度声をかけると、操縦室へと上がった。釣り竿用のケースを傍らに置いた町川が待っていて、島岡は防寒着を脱ぐと、覚悟を決めたように一度咳払いをした。
 取引が済んでいる以上は、三百万円分の仕事をしなければならない。
     
 四時ちょうどに、船がのろのろと動き出した。遠くに見える釣り人の一人が立ち上がって、それを待ちかねていたように見送った。小型船が集うドックに係留されたモーターボートの中で、柏原はその船体が港から出て行くのを見送った。体を伸ばすと、ベルトに挟んだグロックの反対側で、刺し傷が少しだけ自己主張をした。寄松を殺してから昨晩まで、田島の実家が見える場所で動きを待った。しかし、植芝は予測を裏切る名人だ。プロでもなければ、素人でもない、最も危険な中間に属する。結局、植芝は田島の実家には現れなかった。今は全てを投げ出したように、予定通り船に乗り込んでいる。『張り込み』の間、ずっと退屈そうにしていた佐藤は、計画を変えようと言った。
『人のやることは、当てにできんね』
作品名:Split 作家名:オオサカタロウ