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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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 佐藤は港の近くのスーパーに寄り、テナントで服を一式買った。雑貨屋で帽子を手に入れ、コンビニで釣りスポットを案内する雑誌を買った。港の周りを歩き、穂坂が管理する錆びた倉庫を見上げながら、その裏手に続く雑草の生い茂った道を抜けた。雑誌を開きながら釣り人の後ろを歩いていると、仕掛けを作っていた一人が言った。
「今日はあかんよ、魚が逃げてもうとる」
「そうなんですか?」
 佐藤は、釣りの雑誌を片手に持ったまま、話しかけてきた釣り人の装備を観察した。その目線が、自分の体の上を動いていることに気づいた釣り人は、少し俯いた。
「初心者の人かな?」
「はい、まだ道具もないんですけど、雰囲気だけでも楽しもうと思って」
 佐藤が歯を見せて笑うと、釣り人は同じだけの魅力を返そうと最大限努力するように、ぎこちない表情を作り出した。
「そう。ここはいいスポットよ。あの船さえおらんかったら、今日も釣れたやろうけど」
 釣り人は恨めしそうに、一番手前の船着き場に係留されている船を見つめた。佐藤は、その船の外観を観察した。車両運搬用のチャーター船。さほど大きい船ではない。収容できるのは、普通車なら十台以内。
「珍しい形してますね」
 佐藤が言うと、釣り人はうなずいた。
「多分、車関係の業者やろうけど。見たことない船やわ。いつまでおるんやろなあ」
 しばらく、魚の料理法について話を聞いた後、佐藤はその場を立ち去った。一度振り返って、釣り人が水面に集中し始めたのを確認すると、穂坂の倉庫に繋がる細い通路に入った。埃だらけの窓から中を覗き込み、車が六台停まっていることを確認すると、潮風に晒されて腐食し、ドラム缶で支えられている薄いトタンを強く引っ張った。人が一人くぐれるぐらいのスペースが姿を現し、佐藤は中へ滑り込んだ。元々、車が出荷を待っている。それは間違いない。佐藤は、目立つ色をした車の間を歩きながら、一台の窓に貼り付けられたマニフェストに目を通した。車体にうっすらと浮いた埃が、マニフェストには見当たらない。出荷予定日は、一週間後。これはおそらく、植芝か、その脱出を手助けする人間が差し替えたものだ。佐藤は携帯電話で写真を撮ると、トタンの隙間から抜け出して、折れ曲がった端をドラム缶を動かして隠した。来た道を引き返し、釣り人に会釈して通り過ぎると、柏原に電話をかけた。
「植芝を逃がすためのチャーター船が来てる。一週間後に港を出るわ。手際がいいね」
 佐藤の言葉に、柏原は笑った。
「確かに。でも、逃げたい人間のやることは、たいてい一緒やな」
 電話を切ると、柏原はシャツの裾をまくりあげて、刺し傷を鏡で確認した。血は止まっているが、あまり手荒な真似をすると、傷口が開く可能性が高い。
        
 中村屋の看板だけが残った。厳密に言えば、ブルーのスポーツバッグと、紙切れも。中村とは、バブル期からの付き合いだった。夜十時のラーメン屋は閑散として、味噌ラーメンは嫌々かき回されているように、鉢の中を逃げ回った。寄松は、中村が姿を消して以来、連続して四回、味噌ラーメンを食べていた。三回目は店主もさすがに驚いたようで、その場で割引券を手書きすると、手渡した。今回のラーメンはその割引券で百円引きになるが、小銭の勘定自体が、今の寄松の神経を逆撫でした。五千万円の内、少なくとも半分は、自分の懐に入るはずだったのだ。毎日、取り立てのように現れたところで、相手が逃げた後なら、全く意味がない。しかし、田島や橋野が、何も考えずにふらりと現れる可能性もある。五千万円に繋がる手がかりを知っている確率は限りなく低いが、少なくとも、今自分が把握しているよりも多くの情報を持っているのは確かだ。寄松は水を飲み干すと、勘定を済ませて言った。
「お待たせです。ほな、行きましょか」
 客のペースは早い。駅前で降ろしたと思ったら、一人。住宅街で降ろしたら、その先で手を振っている姿が見えて、また一人。ラーメンを食べに寄ったら、隣の客が、仕事中なら乗せてほしいと言ってきた。五千万円の前では何もかもが霞むが、ここまでの繋がりの良さは、長年の運転手経験でも、そうないことだった。寄松は、ナビを見ることもなく車を走らせながら、考えた。気味が悪いのは、中村屋に集まっていた戸波と坂間が、襲撃の夜に立て続けに死んだことだった。片方は車に轢かれて、片方は夜中に病院を抜け出して、田んぼに落ちた。二人とも、目立つ人間だったのは確かだ。音の大きい車に、周りの迷惑など考えない大きな話し声。誰にいつ叩きのめされても文句を言えない人種だが、穂坂には、そんな二人をねじ伏せる腕っぷしはない。あるとすれば、あの運転手だが、自分が駆け付けた時は、頭から血を流しながら四つん這いになっていた。足音は聞こえただろうが、あの現場では、誰にも顔を見られなかった。堂々巡りになる考えと対話しながら、寄松は目的地までの道を粛々と走らせた。薄暗い灯りを頼りに車を進めると、ゆっくりと停車して、シフトレバーをパーキングに入れた。電灯の消えた真っ暗な船着き場を指差して、言った。
「七番、でしたね」
 答えずに、センターコンソールから身を乗り出すと、柏原は寄松の胸にナイフを振り下ろした。一発目と二発目が肺を貫通し、三発目が喉に吸い込まれた。寄松は声を出そうとしたが、切り開かれた喉から押し出された血が、フロントガラスに飛び散っただけだった。四発目は頬を貫き、五発目は下顎に吸い込まれて、舌の付け根を裂いた。生まれた瞬間からそうすることを決めていたように、自分の顔を滅多刺しにしている男が、数字を呟いている。それが、刺している回数だと気づいた寄松は、切り刻まれて、口すら自由に開けられなくなった顔を動かした。その目がようやく合った時、柏原は言った。
「二十回。もうええやろ。死ね」
 柏原は、血まみれの手で売上金を入れるジップロックを広げると、札だけを掴んで、タクシーから降りた。寒さに首をすくめながら、港とは反対方向に歩き始めた。明日の朝には、警察が集まる。植芝は、自分が出入りする港で『強盗に殺された』寄松の事を、偶然とは解釈しないだろう。
 どの道、これで植芝の行き先は、田島に絞られた。
      
 大学生になって、一年のサイクルが過ぎた。後期の成績は、自分を取り巻く状況から切り離されたように、前期と変化がなかった。橋野は、新棟と旧棟を繋ぐ渡り廊下に置かれたベンチに座り、一年間で取得した単位を数えていた。もし、あのニュースを見た後だったら。こうはいかなかったと思いたい。すでに、五日が経っていた。しかし、ニュース映像は頭に刻まれている。一切の感情を見せないような、角ばったテロップ。事実だけを淡々と伝える、アナウンサーの口調。だから、側面衝突と報道されている。卒業アルバムから切り抜かれた、華崎佳代の写真。
作品名:Split 作家名:オオサカタロウ