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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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二〇二〇年 十月 現在
     
 人間は、先のことが予測できない。しかし、行動にはある程度の先読みが必須で、脳はそのように動いている。だから、意に反してコップを落とすということが起きる。十四年前の、あの壮大な計画。中村屋でハンバーガーを囲んで、話した。橋野は未遂に終わった日をどうやって過ごしたか、今でも鮮明に覚えていた。夕食はほとんど喉を通らず、会話もほとんどなかった。直弘は学校で起きたことを面白おかしく話していたが、それに反応するのが精一杯で、部屋に上がってからは音楽も聴かずに、携帯電話が鳴るのを待っていた。結局自分から電話したが、あの時の田島は明らかにバランスを崩していた。平均台から落ちている途中の人間を一時停止して会話できるとしたら、まさにあの時の田島のようになるのだろう。
 坂間は轢き逃げの被害者として、病院送り。田島は骨こそ無事だったが、脇腹に真っ黒な痣ができていた。そしてバッグに入っていたのは、ただの紙切れ。もし、ゴルフで待っていたら、どうなっていたのか。想像もつかない。橋野は、地図アプリと実際の景色を見比べながら、石段を上がり始めた。結局、訪れるだけで、十四年の年月を要した。
『坂間が被害に遭った、轢き逃げ事件』
 当日の夜、田島から話を聞いた時は、それが全容を表す最も相応しい見出しだった。警察は適切に仕事をしたのだろうか。病院のベッドに寝かされた坂間の姿を一目見て、無茶な運転をしたのはこっちの方だろうと決めつけ、他の事件に取り掛かったのではないか。橋野は未だに、あの事件の捜査が中途半端に閉じられたのではないかと、疑念を持っていた。被害者が死亡者でない場合、轢き逃げ犯の検挙率は六十パーセントほど。生きていれば次があるから忘れろよと、警察自身がそう言っているような検挙率の低さだ。ましてや、被害者は『不良』という文字を額に貼って歩いているような人間だ。何にせよ、事件以来、中村屋はシャッターを下ろして『臨時休業』の張り紙が出されたままになった。
 そして、ただの不幸な轢き逃げ事件でなくなるまでに、二十四時間もかからなかった。
      
      
二〇〇六年 二月 十四年前
      
 丁寧な仕事ぶりだ。植芝は顔に出さないよう細心の注意を払いつつ、柏原の動作を見守りながら思っていた。スカイラインが帰ってきたのは、午後十時半。後退しながら入ってくると、柏原はエンジンを停めてトランクを開けた。佐藤が立ち上がり、少しだけ頑丈そうな椅子をがらんとしたスペースの真ん中に置いた。柏原は戸波の片方の脇を掴むと、力任せに引きずりおろした。地面に砂ぼこりが上がり、衝撃で目を覚ました戸波に、柏原は言った。
「じっとしとけ。椅子持ってくるから」
 目隠しをされているから、何も見えない。戸波はパニックに陥り、両足だけは自由が利いているということを理解すると、立ち上がって走り出した。柏原が素早く体を捕らえて倒すと、同じ口調で言った。
「お前、人の話聞いてるか?」
 柏原は、首筋を掴んで引きずると、体を起こして椅子に座らせた。自分の力では何もできないように、その動きは緩慢だった。佐藤がタイラップを二本持って足元に屈み、椅子の足と結んだ。
「一応、用心だけしとくわ」
 柏原は、戸波の頭をポンと叩くと、後ろに回った。佐藤も同じようにしたが、植芝が立ち上がって口を開こうとするのを、手で制止した。植芝が再び椅子に座り、穂坂も発する直前まで上がって来ていた言葉を、かろうじて飲み込んだ。佐藤は言った。
「名前を教えてください」
 役割が逆転したように、柏原はペンを手に取った。戸波は、肩を震わせながら呟いた。
「戸波……、戸波正人」
 戸波の財布から免許証を抜いた佐藤は、それを柏原に見せた。佐藤が描いた四つの顔。その一つの下に漢字で書き留めると、柏原はロボットのように動きを止めた。佐藤は免許証を財布の中に戻して、言った。
「あなたの役割を教えてください」
 戸波は質問の意味を一度で捉えられなかったように、首を回した。佐藤は戸波の財布を手に持ったまま、言った。
「何をすることになってましたか?」
「ドライバー」
 戸波は言った。柏原が、名前の下にそのまま『ドライバー』と書いて、セルシオの文字と線で結んだ。
「仲間の名前と、目的を教えてください」
 佐藤はそう言うと、返事を待たずにルートバンのスライドドアを開けた。大きな工具箱を持ってくると、戸波の足元に放った。金属がぶつかり合って派手な音を鳴らし、戸波は首をすくめた。植芝は、その様子を見守りながら思った。ここからが、難しいはずだ。尋問をした経験はなかったが、二人には確立された手順があるようで、工具箱をわざと地面に投げたのだということも理解できた。佐藤は工具箱を開けると、ラジオペンチを取り出して戸波の頬に当てた。戸波はその冷たさに顔を背けたが、佐藤は追いかけるように刃先を添わせた。
「何種類か使いますので、順番に紹介していきます。これはラジオペンチ。爪を取り除く時に使います。爪は、また生えます」
 佐藤はラジオペンチを戻すと、プライヤーを取り出して、戸波の頬に当てた。
「これは、プライヤー。歯を抜きます。歯は、抜くと生えてきません」
 佐藤はポケットを探ると、アイスピックを抜いた。植芝が止めようと手を伸ばしかけた時、戸波が言った。
「三人、三人です。中学からの連れで、中村屋のバイトで」
 一気に伝わった情報に困惑したように、柏原は眉をひょいを持ち上げたが、中村屋と書いた上に、王冠のマークを描いた。穂坂の表情から、顔見知りだということを悟ったが、その考えはペン先で遊ばせるだけにして、問い正さなかった。あと三つ、名前が残っている。柏原は佐藤の方を向いて、続きを促すように顎をしゃくった。佐藤がラジオペンチを取り上げて、縛られた手の先を掴むと、戸波は逃れようして手を捻ったが、ペンチの刃先はびくともしなかった。
「中学からの連れについて、詳しく教えてください」
 戸波が話し始め、佐藤は手を解放した。田島和希と坂間昌平の名前が、書き足された。
「坂間は入院してます」
 病院の名前が足された。続いて、戸波自身のアルバイト先であるガソリンスタンド、坂間が警備している資材置き場、田島の実家の住所が書かれ、ホワイトボードは賑やかになった。話を聞いていた植芝は、トラックを運転していたのが田島で、原付で追ってきていたのが坂間だと理解した。それを柏原に伝えたかったが、口を開くことは許されていないということを思い出し、飲み込んだ。ホワイトボードに目を向けた佐藤は、言った。
「目的を教えてください」
「なんか、アホみたいに金持ち歩いとるおっさんを襲えって、そういう話でした」
 穂坂は、自分のことを指す辛辣な言葉に顔を歪めたが、佐藤は何も発言しないよう念押しするように、首を横に振った。
「成金で、バッグに五千万入れて持ち歩いてる。ナカムーから聞いたんは、そういう話でした。運転手がやたら強くて手こずった。自分は、後ろからバットで殴られましたけど、バッグは奪いました」
作品名:Split 作家名:オオサカタロウ