Split
植芝がうなずくのと同時に、佐藤はペンライトで底を照らし、原付を巻き込んだ時に付いた塗料片の色を確認した。原付と書いた横にライトブルーと書き足し、ペンで空いている方の手をぽんぽんと叩いた。
「セルシオはどうでしょうか」
「黒、多分初代。エアロがついてました。ナンバーは二桁やと思います」
「植芝さん、何か、武器になるようなものを持ってましたか?」
佐藤が言った。やりとりを繰り返している内に、植芝は気づいた。柏原はほとんど話さない。つまり、佐藤が頭脳で、柏原は実務を担当しているのだろう。
「素手ですよ。ナイフはダッシュボードの中です。三人いました。柏原さんと同じぐらいの背で、若かった。一人は足首を折ったので、何らかの形で病院に運び込まれてるかと」
植芝が言うと、佐藤は丸を三つ書いた。
「三人の顔は見ましたか?」
「覆面でした」
佐藤は目と口の位置にバツ印を描いた。柏原が言った。
「穂坂さんに、車から出て逃げるように、教えましたか?」
「それは、言ってません」
尋問されている気分だった。特に柏原は、その視線をずっと外さず、黒縁眼鏡の後ろで、植芝の一挙一動を追っているように見える。張りつめ出した空気を雲散させるように、穂坂が手を振りながら言った。
「これはね、私の凡ミスです。日ごろから車から出るなと言われてたんですけどね。でも、四人おったんちゃうんか?」
佐藤は、顔をもう一つ描いた。自分で書いたセルシオという字を見ながら、言った。
「整備不良でしたか?」
「マフラーを改造してましたね」
柏原はポケットからPDAを取り出した。パソコンを極限まで小さくしたような代物で、そこに情報を入力すると、立ち上がった。
「一周してくるわ」
佐藤が鍵を渡すと、柏原はスカイラインに乗り込んで、エンジンをかけた。植芝は、佐藤の顔を見て言った。
「もう出るんですか?」
「はい。セルシオを最優先で探します。スクラップになってる可能性もあるので」
「同行していいですか?」
植芝が立ち上がった時、佐藤はペンのキャップを締めて、一度スカイラインの方を向いたが、すぐに向き直って首を横に振った。
「あなたは、面が割れてるでしょう」
「どこから探すんです?」
「港から探します。ここに来るまでに見て回ったんですが、堤防沿いに、放置自動車が置かれてますよね。見つからなければ、私が人を当たりにいきます」
そこは、植芝が第一候補に考えていた場所だった。一時的に車を隠すには、うってつけの場所だ。少なくとも、自分の車庫に入れておくことはないだろう。植芝は、諦めて再び腰を下ろした。
「そこまで把握してるんですか、ならお任せします」
そう言った時、バックミラー越しに柏原と目が合っていることに気づいて、植芝は思わず目を逸らせた。佐藤がトランクを二度叩き、スカイラインはそれが合図になったように倉庫から出て行った。植芝は言った。
「行かないんですか?」
「はい。わたしは残ります」
佐藤は座って背を丸めると、穂坂に言った。
「差し支えなければ、盗まれた額を教えてください」
それ自体、知らなかったのか。植芝が呆気に取られていると、穂坂が『五千万円』と言い、佐藤はホワイトボードを一度振り返ったが、書かずにうなずいた。
直弘は、ほとんど夕食を食べなかった橋野の部屋の前で、言った。
「大丈夫なん?」
帰ってきた時、すぐに何かが起きたのだと分かった。車庫の中に置いてあった段ボール箱や工具箱がひっくり返されていて、ペンチとドライバーが床に散らばったままになっていた。
「大丈夫や、車はすぐどけるから」
橋野は、ドア越しに言った。音楽を聴く気にもならないし、携帯電話は静かなままだ。田島に電話を入れたいが、直前で抜ける羽目になったのは、こっちの方だ。
「喧嘩?」
ドア越しに聞こえてくる、直弘の呑気な声。橋野は追い返そうと思って大きく息を吸い込んだが、直弘からのプレゼントの黒いクッションをぽんと叩いて、無言で息を吐き出すだけにとどめた。
「まあ、そんな感じ」
「そっか」
足音が去っていき、橋野は静まり返った部屋の中で、考えた。何一つ、状況が分からない。しかし、いずれは聞かなければならないのだ。こちらから聞いた方がいい。それで非難されても、役目を果たせなかったことは事実なのだから、受け入れるしかない。橋野は、田島の携帯電話を鳴らした。通話が始まるなり、橋野は言った。
「もしもし、出れんでごめん。大丈夫?」
「ハッシー、来んで正解やったで」
「どういう意味?」
「中身な、紙やってん。ありえんやろ?」
田島の、乾いた明るい口調。橋野はベッドの上に座り、続きを待ったが、田島も反応を待っているようで、沈黙が流れた。橋野は、窓の外を見ながら言った。
「紙?」
「そう、ナカムーが狙ってたんは、ただの見栄っ張りやったんや」
「マジか。坂間と戸波は大丈夫なんか?」
「メットは頭殴られただけやから、オッケー。ハゲは足首折ったから、しばらく車椅子ちゃう」
田島の軽い口調が、スピーカー越しどころか隣の惑星のように、遠く感じる。橋野は言った。
「待ってや、怪我したん?」
「スクーター倒した時に、巻き込まれた。てか、人って見た目で分からんよ。あの運転手、マジで強かったからな。今、ナカムーのとこにバッグを運んでる。また後でゆっくり話そう」
橋野は、電話を切ってからも考えていた。リアバンパーに傷があったタクシー。
あれは確実に、フランケンだったはずだ。
最小限の電気が点けられているだけの、暗い作業場。スポーツバッグを差し出して、田島は首を横に振った。
「中身は、紙でした。穂坂のおっさんは、フカシですわ」
中村はファスナーを開けると、がっくりと肩を落とした。撫で肩がさらに角度を増して、こけしのように見えた。田島と戸波に視線を走らせて、傷跡を労うように眉をハの字に曲げた。その後に続いた感情を全て抑え込んだように小さく息を吐くと、全てを圧縮したような悪態をついた。
「くそっ」
「すみません、グダグダでした」
田島が言うと、中村は何もない空間を指差した。
「坂間は?」
「そこは予定通り、轢き逃げということで。実際、足首折ったんで、病院からは出れんと思います」
「橋野くんは?」
「ゴルフがバッテリー上がりで、結局現場には来てません」
中村は、戸波の方を向いた。
「車はどないしたんや? お前のセルシオか?」
「そうです」
戸波は言いながら、自分がとんでもない間違いを犯したのではないかと思い至り、首をすくめながら田島の方を見た。田島は言った。
「時間がなかったんで、自分がそうするように言いました」
「それはかめへん。セルシオはどこにいてんねん?」
「いつも停めてるとこです」
戸波が即答し、中村は歯を食いしばりながら首を横に振った。
「そいつだけは、急いで処分した方がええな。パーツ屋に今から連絡しとくから、今日中に持って行け。それにしても……、自分らには申し訳ないことをした」
中村は金庫を開けると、五万円を輪ゴムで括った。三束作ると、田島に渡した。
「車代や。五万ずつ、三人で分けろ。うまいもんでも食って、忘れてくれ」