Split
田島と話したきっかけは、バイクのエンブレムが描かれた筆箱。特にこだわりはなかったが、戸波は『ホンダ派』ということになり、田島は自分が『スズキ派』だと言って、勝手にライバルと決めて笑った。坂間も一緒にいたが、突然話しかけた田島に呆れたように笑っていて、戸波に『いきなりごめんな』と言った。いいコンビだと思っている内に、話す機会が増えてトリオになった。
『お前は、ノーヘルでも大丈夫やな』
中学校に上がってすぐで、まだ四月も終わっていなかった。バイクの話をしていた田島の一言。自分の重い前髪を指しているということに気づいた戸波は、その言葉の軽さに一瞬呆気に取られて、笑った。
『せやな、すでに被ってますって、ゆうたったらええねん』
自分でも言い聞かせるように、戸波は言った。放課後、アイロンの話をした。田島は謝ったが、『どうでもよくなってきたわ』と返して、二人で笑った。
戸波は壁にもたれかかり、テレビをつけてニュースをぼんやりと眺めた。何もしていないのだから、ニュースになるわけがない。来週の、中村屋のバイト。当日にミーティングがあるのは分かっているが、色々と知っておきたいことはある。三時間話を聞いたが、仕事の話は数十分程度だった。それが済んだら、ニュースと睨めっこする日が続くのだろう。しかし、橋野の運転なら、あっさりと逃げ切れそうな気もした。バイト先のガソリンスタンドで田島から紹介されたとき、新しいおもちゃを見つけたのかと勘違いした。橋野はそれぐらいに場違いで、落ち着いていた。しかし、握手をしたときに、決して穏やかな気性ではないということを悟ったし、ヤマギノで、他校の自分より大きな生徒に喧嘩を売っているところも見た。
面白い奴だと思う。異色の友人。しかし、こういう荒っぽいことからは距離を置かせた方が、四人組は長く続くのではないかとも、思えてくる。戸波はしばらく、アナウンサーの真面目な顔と睨めっこしていたが、坂間に電話をかけた。
ポケットの中で携帯電話が震え出したことに気づいて、坂間は腰かけている車止めから少しだけ尻を浮かせて、フラップを開いた。『メット』という表示に、アライのヘルメットの写真。こんな登録のされかたをする人間は、一人しかいない。
「もしもし、おばんです」
坂間が言うと、戸波は笑った。
「悪い、取込み中?」
「いんや、休憩中」
坂間は立ち上がると、夜中の人気がない材木置き場を歩きながら、息を大きく吸い込んだ。自身が警備員のアルバイトをしているから、警備員の仕事やサイクルについて詳しい。田島と戸波は、中村屋の仕事が決まって初めて興味を持ったように、坂間の地味なアルバイトについて色々と聞きたがった。
「来週の話?」
「まあ、そうやな。来週の話」
実際には用事などないのだろう。坂間は地面に唾を吐いて、材木をぐるぐる巻きにしている飛び出た針金に触れないよう気を付けながら、詰所までの道をゆっくりと歩いた。
「警備員なんて、やる気のない奴の集まりやからな。大抵のことには目瞑りよるで」
坂間は、それこそ百回は言って聞かせた持論を、再び持ち出した。自身がそうだし、二回り年が離れた『同僚』は皆、この仕事に熱意を持って取り組んでいるようには見えない。中村からざっくりと聞いた話だと、倉庫に繋がる道は二本あって、相手がどちらを通るかは日によって異なる。
「俺と代わるか?」
坂間は言った。結論や行先のない会話は、苦手だった。戸波は、『標的』がその二本の道のどちらを通ったかを見届けて、田島に連絡を入れることになっている。それを見ることができるのは、小型貨物用の駐車場。警備員の詰所の反対側で、手薄になる時間帯と重なっている。それでも、警備員の生態が気になる心情は分かる。
「今さら、役割は変えられんってか、無理やんな」
戸波の言葉に、坂間はうなずいた。そう、無理だ。戸波は加減して人を痛めつけることができない。本当に殺してしまう可能性がある。中学校二年生の時、危なかったのだ。廊下で起きた二対二の喧嘩で、戸波は消火器をフルスイングして、相手の頭を狙った。外れたから良かったが、もし直撃したら、相手は死んでいただろう。坂間が、数分に渡って散々『殺してやる』と言っていた相手を庇って頭を下げさせた時、二人の真上を消火器が横切った。廊下に面した教室の窓は、枠ごとなぎ倒されて八枚割れた。
「そっちは、田島と俺に任せろ。警備員は心配すんな。あんなん、お菓子で買収できるから」
坂間はそう言いながら、自分がお菓子一袋で持ち場を離れたり、それから起きることに目を瞑ったりできるか、一瞬考えた。同僚なら、酒で簡単に寝返りそうだ。でも、俺は酒を飲まないから、自信を持って断言はできない。第一、戸波はビビっている。そんな人間には、どんな言葉をかけても同じだ。結論が出たように、坂間は言った。
「捕まっても、執行猶予やろ。見張るだけなんやから」
しばらく会話が続いた後、坂間は電話を切って、思った。気楽なもんだ。田島と俺は、実際に相手と対面する。戸波も応援に来ることになっているが、当てにはできない。橋野は? ドライブは楽しかったが、初めから数に入れていない。結局、自分の逃げ道は、自分で作らなければならない。
二日が過ぎた。一度ぐらいは、誰かが車庫に下りたはずだ。手狭になっているように感じ、ゴルフが停まっているからだということに、少し遅れて気づくだろう。それは、誰の車なのか。答えられる人間はいない。ただ、鍵を渡されただけだ。橋野はキャンパスの中を歩きながら、時折、携帯電話の着信を気にかけていた。昼からの一コマ分の空き時間に、『あの車は何?』という問い合わせが、元治か直美から入る。あるとすれば家にいる直美からだろうが、果たして借り物という短い答えで乗り切れるのか、自信は全くなかった。港湾道路に停めておくという案もあったが、いざ使おうとしたらタイヤが四本ともなくなっているとか、車自体が盗まれているなど、悪い想像ばかりが頭を巡る。大学生活と、それ以外。完全に切り離されて、二つの生活を並行して送っているようだ。
昼が過ぎて、キャンパス全体に人気がなくなったところで、メールが入った。覚悟を決めてフラップを開いたが、メールは直弘からだった。
『昨日の晩、オヤジとオカンが車の話しとった。オカンは焦ってたけど、オヤジは友達の車ちゃうかって』
こちらが考えていた言い訳は、すでに元治の頭の中にあった。橋野は驚くのと同時に、ゴルフを車庫に入れて以来、ずっと入ったままになった肩に力が少しだけ抜けるのを感じた。返信を考えていると、続けてメールが届いた。
『もう二十歳になるんやから、心配すんなってさ。オヤジは意外と理解あるんやなって、ちょっとびっくりしたわ』
理解があるのか、関心を失ったのか。後者なら、今後は小言を言われないで済む。出て行くのも自由だ。ゴルフに乗って出たまま、帰らなくても構わない。橋野は返信を打った。
『そうなんか。揉めてないみたいで良かったわ』