短編集78(過去作品)
井沢は元々自分が自信家だと思っていた。自信がある人間ほど自分に対しての他人の目が気になるのかも知れない。だがそれは見かけの自信であって、本当の自信でないことからまわりが気になるのだ。
「見かけの自信だって立派な自信に繋がることだってある」
そういう先輩がいた。
「いつも自分に自信を持つことで、自分の中の潜在能力が発揮できればそれに越したことはない」
これが先輩の考え方だった。
「自分がまわりの歯車であっても、自分ひとりが築き上げるものであっても、自分に自信がなければ立派な役目は果たせないさ。それがこの世に自分が存在しているということの証みたいなものじゃないのかな」
その話を聞いてからの井沢は、見かけだけでもいいので自信を持つようになった。だが、いつもその裏に不安が付きまとっていたことを認めざるおえまい。それだけに自信を持つことの裏表について、いつも考えている。
井沢にとって文芸サークルへの入部が不純なものであったが、シナリオを勉強しているとそこに奥深さを感じるようになった。小説のように漠然としたものではなく、時間配分や、思い浮かべた情景を忠実に描かなければいけないことが分かってきたのだ。それは勉強を重ねるごとに感じることで、興味が次第に深くなってくる。
シナリオの賞もいくつかあり、それに投稿することも楽しみの一つだった。最初の頃は入選を狙うより、作品を仕上げることに喜びを感じていて、一つの目標に向って頑張っている自分が誇らしく思えたものだ。そんな自分に自信が持てるのも当然で、自信があるからこそすべてがうまくまわっているように思えるのだ。
有美子も同じようにシナリオコンテストに投稿していた。デートをした時の夕食の時間など、よくレストランでシナリオ談議をしたものだ。恋愛ものを主に書いている有美子と、サスペンスものが多い井沢とでは、お互いに接点がなさそうであったが、細かい描写やストーリー展開などの話になると実に感銘をうけるところがあった。テレビドラマを題材にして話をするのが一番分かりやすく、それについての意見は尽きることがない。
「素人だから気が付くところもあるのよね」
「そうだね、いろいろなドラマを見ていると、共通点もあるし、それぞれシナリオライターの個性も見えてくるよね」
「何を言いたいかっていうテーマもさることながら、展開のテンポも考えなければいけないので難しいのかも知れないわ。テーマをあまり表に出すと歯切れの悪いテンポになりし、テンポを大切にすると、今度はテーマがハッキリと見えてこなかったりするかもね」
「あまり深く考えすぎない方が却っていいものができるんじゃないかな? 僕はそう思うんだけど」
「確かにそうかも知れないわ。でも私はしっかりと自分の中で個性を確立させたいの。そのためにはある程度のルールや創作作法を身につけておかなければいけないと思うの」
有美子の考えには説得力があった。さすがにシナリオライターを目指したいと言っていただけのことはある。井沢もシナリオに嵌まっているが、プロを目指そうとまで思っていない。話をすればするほど、目指しているものの違いを感じる井沢だった。
井沢の方はそれでもよかったが、果たして有美子の方はどうだろうか?
一生懸命にシナリオを書いているとたまにスランプに陥るのか、急にイライラし始める時期があった。そんなに長くは続かないが、理由もなくイライラし始める。
――ああ、またストレスが溜まっているんだな――
と感じ、あまり自分もカッカしないように心掛けている井沢であったが、有美子の一番嫌な部分を見ることは、さすがに気持ちのいいものではない。
学生時代、有美子は結局シナリオで賞を取ることはなかった。それに引き換え井沢は三年生の時に佳作に選ばれたことがあった。
「おめでとう。やったわね」
有美子も一緒に喜んでくれた。しかしその顔には明らかに妬みがあることに気付いた井沢は、苦虫を噛み潰したような何ともいえない表情をしていたことだろう。
それから彼女とは疎遠になった。
お互いに別れようという話をすることもなく、自然消滅してしまった恋愛だった。後味が悪かったことはいうまでもない。
もちろん、有美子とは肉体関係もあった。彼女の豊満な肉体におぼれた時期もあったかも知れない。男としての本能で彼女を抱いたこともあった。それを素直に受け入れてくれた有美子が別れてから考えるといとおしくて仕方がない。
しかし、お互いに別れ話をして別れたわけではないので、却ってもう一度付き合うことは不可能だった。中途半端な関係のまま別れたのである。
――こんな別れ方ってあるのだろうか――
何度自分に問い正したことだろう。しかし結論が出るはずもなく、言い知れぬ寂しさだけが残った。
有美子の影を追い求めた時期もあった。シナリオの話をしている時は激論を交わすが、彼女としての有美子は実に従順だった。あまり出しゃばることもなく、いつも井沢の一歩後ろを歩いてくるようなタイプの女性である。そんな有美子の影だけを追いかけたのだ。
そんな時だった。
先輩が落ち込んでいる井沢を風俗に連れていった。最初こそ、
「いや、自分はいいですよ、そんな風俗なんて……」
と言っていたが、さすがに先輩の好意なので無にするわけにもいかなかった。
――そんなところに行ったって結局虚しさだけを持って帰ることになるんだ――
という思いが強かったからだ。
渋っている井沢を知ってか知らずか、先輩はお構いなしに引っ張っていく。初めてみる風俗街のネオンサインに戸惑いを隠せずキョロキョロしている井沢を見ながら先輩はニヤニヤと笑っている。さぞかし先輩からは、ひよっこに見えるのだろう。
「話をするだけでも気分転換になるんだからな」
これが先輩の考えだった。ネオンサインを見ているうちに自然と気分転換ができていくような不思議な気分になっていた。罪悪感が自然に消えていく。このネオンサインはそんな魔力を持っているように思えるが、一人で来たとしてもそこまで思えるだろうか。
有美子の顔がちらついていたが、次第に意識の外に置かれていた。呼び込み屋が近づいてくるが、さすがに先輩はうまくかわしている。中には先輩の顔を見て近づくのをやめる人もいるくらいで、このあたりにしょっちゅう顔を出しているように思えてならない。
いつも地味な先輩が、こんな華やかなネオンサインの中にいるなど、普段では考えられないことだ。
そこで出会った女性とは一夜限りの恋人同士、恋愛感情というよりも、おねえさんのように甘えられる雰囲気が嬉しかった。
「どうだい。こういう所は下手に着飾るよりも本当の自分を見せた方がいいんだぜ。そうすれば相手も心を開いてくれて、すくに打ち解けられる」
店を出てから先輩が教えてくれた。最初こそ部屋に入ってからどうしていいか分からずに立ちすくんでいたが、そんな自分を見るなりウキウキしている女性が頼もしかった。
「確かにそうですね。最初、まったく違った世界だという偏見を持っていましたが、普通にお話できるところが嬉しいですね。最初は緊張してまったく話ができなかったけど、肩を揉んでくれたことで緊張もふぐれ、普通の会話ができました」
作品名:短編集78(過去作品) 作家名:森本晃次