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キャロルの喪失

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「そうね、だってこれでもっと声が出なくなったら困るものね」
 こくり、とひとつルゥがまた頷いた。カップを両手で持って一口紅茶を飲む。私も同じようにする。ふわり、と蜂蜜の味。少しでもルゥの声が良くなりますようにとお砂糖代わりの蜂蜜も最近の定番だ。
「……早く良くなるといいね」
 にこり、とルゥが笑う。ありがとう、ということだ。
「ルゥは……」
 不用意に出かかった言葉をそのまま言って良いものか少し悩んで、でも代わりの話も出てこなくて、結局私は言いたいことをそのまま唇にのせた。
「ルゥは声がなくっても綺麗ね」
 きょとん、とルゥが目を丸くさせている。私はなんだか恥ずかしくなってきてしまって、ルゥの顔をあまり見ないようにして続けた。
「あー、うん、ええと、気にしないで、いや、嘘じゃないんだけれど」
 自分で言ってしまったことなのに、収拾がつけられそうになくて私は空のカップを持って立ち上がった。
「あ、洗ってくる!ルゥはゆっくりしてて!」
 返事が来ないこと良いことに私はさっさとキッチンへ引っ込むことにした。
 ママはミラと二人で夕飯の買い出しへ。パパは仕事か何かで今日もいない。二人っきりのお喋りは久し振りだった。口が滑ったな、とシンクに水を流しながら反省する。
 ザーという水のノイズと冷たさがドキドキしている心臓を落ち着かせる。
 なんであんなこと言っちゃったのかな、と思いながらできるだけゆっくりと丁寧にカップを片付ける。

 ずき、と急にその痛みはやってきた。
 気のせいかと思ったけれど、ずきんと波が押し寄せてくるみたいなお腹の痛みが錯覚ではないと知らせてくる。
 なんだろう。こんな風に痛むのは初めてだ。
 我慢できない程ではないけれど、無視もできない。
 水を止めて、カップを水切りかごに逆さに置いてから、トイレの扉を開けた。
「……何?」
 下着を下ろして、それを確認してから、ぶわりと汗が吹き出して止まらない。
 これはなんだろう、どうしてしまったんだろう?
 どうしたら、どうしたら、とそれだけが頭を駆け巡る。

 どうしたら。
「……やだ、いたの?電気くらいつけなさいよリィ」
 いつも私を小馬鹿にするその声を聞いたのは自室だった。
 どうやって戻ってきたのかも、どのくらいここで過ごしていたのかも分からない。
 パチリ、と部屋が明るくなる。眩しくて目を細めた。何も見えない。
「どうして床なんかに座ってるのよ」
 眉を顰めて、ミラは私を避けるように回ってクローゼットに鞄を引っ掛けに行く。
「……なあに、どうしたの」
 くるりと振り返って、ミラが私の横にしゃがんだ。同じ目線のミラは久し振りだった。
「なんでこんな真っ暗な部屋で泣いてたのよ」
 ふん、と鼻を鳴らすミラはいつも通りのミラだった。きっとママもパパもいつも通りだ。私だけが、私とルゥだけがおかしい。ルゥの声はもうすぐきっと治るから、そしたら私だけが取り残されてしまう。
「ミラ」
「どうしちゃったのよ。喧嘩でもした?」
「おかしいの、私、おかしくなっちゃったの、ミラ……ミラは私が変になったってきっと意地悪言うだけだから言うけれど……ミラ、どうしよう、分かんなくなっちゃった」
「ちょっと優しくしてあげれば本当に生意気ね、あんた。はいはい、どうしちゃったのよ」
「…………血が止まらないの。気付かなくって、いえ、気付いたの、痛くて……でも、どうしたら良いか分からなくって、ミラ、どうしたら良いんだろう。病気よね、すごくいっぱい出てくるの。し、下着が汚れちゃうのよ。ママになんて言えばいいの?洗って、でも、ベッドも汚れちゃうから、寝れなくって私、ルゥには内緒にして、ミラ、お願い。ミラ、ママには言っても良いから……」
 おさまっていた筈の涙がまた溢れてきて、ぽたぽたと顎を伝っていく。
「ああ、リィ。そうよねぇ、パニックよね」
 私が泣く姿をきっと笑うだろうと思っていた姉は、思ってもなかった優しい声でそう言って私の頭を撫でた。
 パニック。そんな風に言うんだっけ、と的外れなことを思った。
 ミラの目を改めて見つめる。ミラは私を見つめ返して「大丈夫よ」と言った。
「病気じゃないわ。私もそうよ、リィ」
「ミラも?」
「それはねぇ、どうしてもなるものなのよ。でもずっとじゃないわ、一週間くらいそうなってあとは元通り。月に一回くらいね。おいで、リィ」
 そうしてミラは私の手を引くとあれこれと色んなものの置き場所や使い方を指図する。今まで気に留めていなかった棚の中身にこんな秘密があったことに驚いて、そしてミラのなんてことないような振る舞いに段々と心が落ち着いてくるのを感じた。
「……学校でも習ったのにどうして思いつかなかったのかしら」
「まあビックリしたんでしょうね」
 ミラもそうだったのだろうか、と聞くと「あら、私は一人でちゃんとママに相談したわよ。リィと違ってね」と普段通りの調子でミラは言った。私達は自室に戻って、それぞれのベッドに腰掛ける。
「さて、これでリィも少し大人ね。おめでとうって言ってあげるわ。ママも喜ぶでしょ」
「大人」
 この前ママも似たようなことを言っていた。それはそんなに良いことなんだろうか。
「……ルゥは?ルゥも大人になるの?」
「こんな時でも弟の心配して」
 いつになったらきょうだい離れするのかしらこの子達、とため息混じりにミラが呟く。
 ミラはちら、と私を見て「ううん」と何か言いづらそうな声を出した。
「ママ、まだ言ってなかったのね……あのねぇリィ、今からちょっとショックなことを言うけど……」
「何?」
「ルゥのあれは風邪じゃない。あれは男の子が通るステップのひとつなの」
 それが終わったらね、とミラは一旦言葉を切って私の目を見た。ミラの眼差しがとても静かで、私は思わずたじろいでしまう。
「ルゥの声はもう今の声じゃなくなるでしょうね」
「嘘よ」
 ほとんど反射みたいに私はミラのそれに反論した。
「嘘よ、ルゥの声は変わったりしないもの」
「リィ」
「どうして嫌なことを言うのミラ。今日はこんなことがあって私とっても驚いているのに、どうしてそんな酷いことを言うの。ミラは私のこと嫌いなんでしょう。いつも意地悪ばっかり、私の聞きたくないことばっかり、それが大人になるってことなの?私はミラみたいになりたくない、ルゥの声は無くならないの!だめなのそんなことが起きたら!」
 ミラはもう言いたいことは言った、とでも言いたげに「そうね」と穏やかに私の叫び声に近い怒りを受け止めてしまう。
 こんな子供をあやすような姉のことは知らない。
 私の知っているミラは、苦いコーヒーが飲めなくて、偶に門限も破る、ただ大人ぶりたいだけの。
 大人ってなんなの、子供って何?
 なんで大人になるとルゥの声が奪られなくっちゃいけないの?
 私は変わってしまうらしい、それは、もう、なんとなく分かっている。痛みも、あの恐ろしい出血も現実なのだと諭されてしまったから。
 でもルゥは。でもルゥはまだ、きっと美しいままだ。
 だって私とルゥは違う生き物なのだから。
 ミラから逃げるように私は部屋を飛び出して、隣の部屋を叩く。
「ルゥ!ねえルゥ!」
作品名:キャロルの喪失 作家名:大文藝帝國