自殺と症候群
と先生が言うと、誰もすぐには相槌を打つ人はいなかった。
武敏もその話を聞いて、
――まるでドラマ化小説のような話だ――
と感じた。
誰もがすぐに返事をしなかったのは、話を聞いて、話の内容は何となく分かるし理解もできるのだが、
――本当にそんなことがあるのか?
という疑念が頭に浮かぶから、すぐに返事ができなかったに違いない。
「そんな恐ろしいこと」
少ししてから、一人の女の子がそう呟くと、それに皆同調したのか、さらに雰囲気が暗くなっていた。その場が凍り付いてしまったと言ってもいいくらいだが、それはきっと皆がそれぞれに自分がそうなってしまったら、どうしようという意識があったからに違いない。
「今から九十年くらい前に発見された症候群で、発見者の名前を取ってこの名前になったんですよ。でも、症例も結構あるようで、自分も真正の患者を見たことはないのですが、それに近い状況の人は見たことがあります。この症状を知らない人はその人の気が触れてしまったと思うんじゃないでしょうか?」
「確かにそうですよね。普通では考えられない状況ですよね」
と女の子の一人がそういったが、
「でも、ドラマや映画では、似たような話をテーマにしたものもありますよね。特に特撮なんかでは、子供の頃に見たことがあるような気がします」
と、武敏は言った。
そう、あれは特撮の戦隊ものだっただろうか、それともアニメでだっただろうか、世界征服を目論む「悪の結社」が世の中に人間の形に似せた人を送りこんできた話だったんだけど、そのうちにその人たちが、自分のまわりの人と入れ替わるという話だったように思う。正直子供心に怖いと思ったのを覚えているし、気持ち悪かったという印象も強かった。映像のおかげで、本当の恐怖心を味合わずに済んだともいえる。やはり子供番組なだけに、本当の恐怖までは表現できないのだろう。
それを思い出すと、ゾッとしてしまい、前に考えた自殺菌の発想よりも、さらに恐怖を感じた。
――いや、自殺菌の発想があるから、余計にカプグラ症候群の話に信憑性を感じているのかも知れない――
武敏は、カプグラ症候群の話を聞いて、それを自分の小説に組み込もうと考えた。話はホラーであるが、ファンタジー系を取り入れる形で、ドロドロした感覚を少しでも打和らげられればと思った。もっとも、誰かに読ませるために書くものではなく、自己満足でもいいと思っているだけに気は楽だった。
小説は書くだけ書いて、後はアップするだけ、推敲もほとんどすることはないので、一度書き終えてしまうと、すぐに次の作品の構想に入る。
そして、構想もカチッとしたものができていなくても、プロットと言えるほどのものがなくても、アイデアとコンセプトさえあれば書くことができる。「起承転結」などの段落は書いているうちにできてくるものだと思っているからだ。
武敏は、カプグラ症候群の話をある程度まで書いてくると、話が勝手に頭の中で組みあがってくるのを感じた。
――こんなこと、今までになかったのに――
と思う。
まるで見えない何かに操られているかのような発想があり、書き終えた時に感じる満足感まで、想像できるほどだった。
ただ、書き終えた作品は、本当に自分が望んだような作品とは少し違っているような気がする。しかし、知り合いに見せたところ、
「これは面白い」
と言ってくれた。
まだ完成はしておらず、「転」のあたりまで書いたところで見てもらった結果だったのだが、なぜ人に見せようと思ったのかも、自分で思い返してその時の心境を図り知ることはできなかった。
まもなく小説を書き終えようとした時のことだった。
「武敏、お父さんが見つかったって」
と言われた。
どうやら、警察から母親に電話が入ったようで、
「どこにいたんだい?」
と聞くと、どうやら、珠海を彷徨っていたところを発見されたようだ。
「極度に興奮していて病院に収容されたんだけど、自分のこともよく分かっていないようなんだけど、どうも、家族やまわりの人間が皆化け物に見えるって言ってるらしいの」
武敏は腰が抜けそうになった。
――これって、完全にカプグラ症候群じゃないか――
と思ったが、武敏は自分の小説で最後はカプグラ症候群に掛かった人が行方不明になって、発見されるところで終わるというものを描いていた。
完全に中途半端な内容であるが、それがこの作品のホラー的な部分であり、ファンタジーっぽくしてしまったことへの自分なりの辻褄合わせだった。
それが功を奏したのか、父が見つかったという。しかし、父親の掛かったカプグラ症候群がどの程度のものか、話を聞いているだけでは分からない。自分たちを見て、怯えの境地に陥ることで立ち直れなくなるかも知れない。
武敏は父が自殺を試みたと思っていたが、それが本当に自殺だったのか疑問に思う。
――自殺菌とカプグラ症候群、この関連性は永遠の謎かも知れないな――
そう思うと、自分の書いた小説をアップする気には、どうしてもなれなかったのだ……。
( 完 )
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