小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

入眠逢瀬

INDEX|9ページ/11ページ|

次のページ前のページ
 

8.赦し



「別に好きな人でそれぐらいするだろ。そんなの気にすることないのに」
想太は、棺の上の遺影をまじまじと見つめながらつぶやいた。
「大切な人を汚してしまった、兄さんにはその気持ちがわからないんですよ」
トイレ休憩から帰ってきた春太が、呆れ顔で兄に言う。
「なんだよ、俺は分かってるみたいな口ぶりしちゃってさ。そりゃお前と大叔父さんはよく似ているし、お前は頭もいいからなあ」
「それとこれとは関係ありません。さあ、続きを話しますよ」

 灯さんを想って自分を慰めた日以降、紀三郎は彼女と逢うことにすっかり及び腰になってしまいました。まず会った時に、どんな顔をしていいかわからないのです。あの吸い込まれるような純真な目で見つめられたら、自分のしたことのあまりの罪深さに消え入りたくなってしまうでしょう。それに、紀三郎が灯さんで行為に及んでしまったことを、彼女が知ってしまったら軽蔑するのは目に見えています。そうしたら、彼女はここに来てくれるでしょうか。きっと一人でウジウジとあたしの体を想像して気持ちよくなっている変態だと思って、二度と来てくれなくなってしまうに違いありません。ですが、紀三郎にとってそれだけは絶対に避けたいのです。家にも学校にもどこにも味方がいないこの状況で、安らぎをくれるのは灯さんだけなのです。みんなを見返してやろうと夏休みに牙を研いで勉強に打ち込んでいるこの状況で、心の拠り所である彼女を失ってしまうわけにはいかないのです。
 紀三郎は自分のしたことを後悔しました。こんな思いをするのなら、自棄になってあんなことをするんじゃなかった、そうすれば胸を張って灯さんに逢えるのに、そう思うと自分が情けなくなって、勉強どころではなくなってしまうのです。しかしそうは言っても、ずっと灯さんと逢わずにいれば、次第に想いが募ってきます。逢いたいけれど、逢いたくない。紀三郎は感情の板挟みに耐えることができなくなり、気が進まない中で灯さんに逢うことにしたのです。
 いつものように勉強中、うつらうつらして眠りにつくと、背後の布団に灯さんが座っています。いつもなら飛びついて彼女の来訪を歓迎したいところですが、やましいことを抱えている今の紀三郎では笑顔もぎこちなくなってしまうし、目を見ることすらもできません。
「紀三郎さん。浮かない顔をしていますけど、なにかあったのですか?」
灯さんはいつもと違う紀三郎にきちんと気づき、無邪気に問いかけてきます。紀三郎は、その言葉を聞いて胸を痛めます。いっそのこと、告白してしまおうか。でも、きっと嫌われてしまう。言おうか、言うまいか。またも板挟みな感情が、紀三郎の胸をぎゅうぎゅうと締め付けるのです。
「……」
紀三郎は下を向いたまま黙ってしまいました。というより、そうする他にどうしていいか分からなかったのです。
 しばらくの間、灯さんは紀三郎の返答をじっと待っていました。でも、紀三郎がずっと黙ったままだとわかると、一度小さくうなずいて、おもむろに紀三郎の手を取りました。
「なっ、なに?」
いきなり手を取られて引き寄せられた紀三郎は、よろけるような形になって倒れ込みます。
「わっ」
危ないと感じ、紀三郎は目をつむりました。その途端、顔にむにゅっと何かが押し付けられます。
「紀三郎さん。無理に言わなくても、いいんですよ」
頭上からそんな優しい声が聞こえ、背中に手が添えられて抱きすくめられるような感触。ここにきてやっと、紀三郎は自分と灯さんがどういう体勢になっているか理解しました。僕は灯さんに倒れ込んで、灯さんはそれを優しく抱きとめてくれて、この顔を包む柔らかいそれは彼女のふくよかな胸で……。
 しかし、彼女の腕に抱かれているのはなんという安堵感なのでしょう、紀三郎はそれに感激して、思わず灯さんをギュッと抱きしめ返してしまいます。くびれた腰をさらにくびれさせるほどきつく抱きしめる紀三郎を見て、灯さんはいつものようにニッコリ笑ったようでした。
「……」
紀三郎は灯さんに抱かれて安寧を得ながら、先日灯さんを汚してしまったときのことを思い出します。
(こんなに優しいんだから、もしかしたら赦してくれるかも……)
じわりじわりと、そんな考えが心に忍び込んできます。でも、赦してくれなかったら……。こんな優しい灯さんを、絶対に失いたくはありません。しかしこれ以上、自らの罪を心の中にしまっておくことも苦しいのです。

「……灯さん。あのね」
紀三郎は、灯さんの腕の中でおずおずと切り出します。
「はい。なんですか?」
灯さんは、いつものように屈託のない様子で紀三郎に応えてくれます。いつもならそれがたまらなくうれしいのですが、今の紀三郎にとってはそれが何よりも辛いことでした。
「ごめんなさい。実は灯さんで……、しちゃったんだ」
言葉を発したあと、思わず灯さんをキュッと強く抱きしめてしまいます。怒らないでほしい、どっかにいかないで欲しい、あの優しい顔を怒りで歪ませないで欲しい、そんな気持ちで彼女を骨も砕けよとばかりに抱きしめていたのです。すると、頭上から灯さんの返答が聞こえました。
「なにを、しちゃったんですか?」
灯さんのその声音はからかっているそれではなく、心底わからないというトーンでした。思わぬ言葉に、紀三郎は動揺してしまいます。なぜって、自らがしたあさましい行為を本人の前で具体的に説明しなければならないのです。こんなに恥ずかしいことがあるでしょうか。
「……えっと、僕、灯さんの事を考えて、えーと、その、自分の性器をしごいて……」
紀三郎はたどたどしい言葉で説明を始めます。灯さんはそんな彼を抱きすくめたまま、じっと話を聴いていました。
「……さ、最後は、と、灯さんの、ものすごくいやらしい姿を想像して、射精しちゃったんだ」
言い終えた瞬間、紀三郎は自分がどんな目に合うだろうかと考えました。ひどい言葉で詰られるだろうか、平手打ちが飛んでくるだろうか、突然突き飛ばされるだろうか、でもそんなことで赦してくれるならまだありがたいのです。何よりも、灯さんの心が離れていってしまうことの方が苦しいのです。
 しばらく二人は同じ体勢のままでいました。しばらくして、灯さんはそっと紀三郎の背中に回していた右手を彼の頭に持ってきて、撫で回しながら言いました。
「そうでしたか。私のことを想って……」
「……嫌わ、ない?」
紀三郎は顔を上げ、顔を見て恐る恐る問いかけます。灯さんは恥ずかしさのせいか、顔を真赤にしていましたが、それでも優しく紀三郎に応えます。
「ちょっと驚きましたけど、嫌いにはなりませんよ」
彼女の手は、変わらず紀三郎の頭を撫でてくれていました。
「だって、それだけ私のことを想っていてくれたのでしょう? むしろとてもうれしいことです」
そう言って、彼女は撫でていた紀三郎の頭をぎゅっと自分の胸に押し付けます。
「灯さん、ありがとう」
紀三郎は、赦された嬉しさで涙がこみ上げ、さらにギュッと抱きしめている手を強めます。
灯さんは、そんな紀三郎に言い聞かせます。
「でも紀三郎さん、お一人でなさらなくても私、お相手しますから、次は遠慮せずお申し付けくださいね」
今度は、紀三郎の顔が真っ赤になる番でした。


作品名:入眠逢瀬 作家名:六色塔