入眠逢瀬
6.感触
目が覚めて自分一人になっていることが分かっても、紀三郎は胸のドキドキが治まりませんでした。なにせ、大好きな灯さんと接吻してしまったのです。あの柔らかい唇の感触を思い出すと、胸がズキンズキンと高鳴っていてもたってもいられない気持ちになってしまいます。それだけではありません。さらにその気持ちは、紀三郎に新たな気持ちを呼び起こしてしまうのです。
(もっと灯さんと一緒にいたい。もっと灯さんと触れ合いたい)
紀三郎はそんな考えを胸に秘めて、日常生活を過ごすようになったのです。
しかし、灯さんと逢うようになってからというもの、紀三郎は勉強時間がめっきり減ってしまいました。彼女に逢えるのはいつも夜中ですし、逢った後は床に入る時刻になってしまいます。この勉強時間の不足が何をもたらしたでしょうか、言うまでもなく更なる成績の悪化です。今まで、紀三郎は体育と操行以外は常に上位の成績を維持していました。体育は元来得意ではないため仕方がないものですし、操行は眠るようになってから下げられてしまったものです。しかしそれ以外の科目は、甲乙丙丁の最上位である、甲を何とか維持し続けてきていたのです。
ですが、灯さんと接吻を交わしてから数日後、1学期が終わりを告げ通知表が手渡されました。紀三郎はどうせいつも通りだろうと高を括り、その手渡された通知表を開きます。するとそこには、幾つかの科目で乙の評価が下されていたのです。これを見た途端、紀三郎は激しいショックを受けました。自分でもいくらか成績が下がっているだろうという自覚はあったものの、ここまでひどいとは思っていなかったのです。
落ち込んで家に帰った紀三郎は、両親に恐る恐る成績表を渡します。成績表を見た二人は、追い打ちをかけるように大きな雷を紀三郎に落とします。自分でもショックを受けていた上にこの仕打ちです。紀三郎はいろいろな感情がないまぜになり、すっかりやりきれなくなってしまいました。
その夜、紀三郎は灯さんに慰めてもらおうと机に向かいます。案の定、ものの数分と経たぬうちに抗い難い眠気が訪れ、そして目覚めてから感じる背後の気配。紀三郎は振り向いて、その正体である灯さんに駆け寄ります。
「そんなに悲しそうな顔をして、どうされたんですか」
灯さんは紀三郎の顔つきを見て、心配そうに問いかけてきます。灯さんはいつだって、こうして優しく紀三郎を受け入れてくれるのです。
「今日、通知表をもらったんだ。でも3科目も甲から乙になっちゃって……」
紀三郎は今日起きた一部始終を、しょげた顔で灯さんに話します。
「そうでしたか。でも乙だって、十分素晴らしいことだと思いますよ」
灯さんはそう言って、紀三郎に笑いかけてくれます。でもその直後、暗い顔つきで言いました。
「紀三郎さん、もしかしてですけど、私がお邪魔をしているから成績が下がってしまっているのではないですか?」
その言葉を聞いて、紀三郎は思わず下を向いてしまいます。紀三郎は今回、成績が下がってしまった理由を、大きく二つあると考えていました。一つは眠りこけてしまうこと。そしてもう一つが、灯さんとの逢瀬に勉強時間が取られてしまうことなのです。
「ううん。そんなことないよ」
紀三郎は灯さんにそう言いますが、どうしても目を見て言うことができません。ワンピースの前で重ねられている彼女の美しい手を見ながら言うのが、精一杯なのです。
「……そうですか。それなら良かったです」
灯さんは表情を曇らせながらも、コクリとうなづきました。その表情や仕草を、紀三郎は見逃しません。
(灯さんのためにも、ちゃんと勉強しなくちゃ)
紀三郎はそう決意して、ちゃんと灯さんの顔を見据えたのです。
そんな話をしているうちに、長い時間が経っていました。紀三郎はいつものように、眠気への不安を覚えます。
「灯さん、また布団でお話しよう」
正直、布団に入ればよいというものではないのですが、とりあえず紀三郎は布団に入ることを提案します。こうすれば、眠ってしまってもあまり違和感はないだろうという気持ちと、灯さんに近づけるという下心で。
「はい。わかりました」
灯さんはするりとワンピースを脱ぎ捨て、紀三郎が横になっている布団に入ります。間近で見る灯さんは可憐で、相変わらずいい匂いがして、紀三郎はこの瞬間を望んでいたのに心臓が早鐘のように打ってしまいます。
「今夜も、接吻をお望みですか」
灯さんは笑みを絶やさずそう言って紀三郎の顔を両手で抱え、自らの顔を紀三郎の顔に近づけて口づけをします。こないだは、あっという間に唇をふさがれてしまったので見られませんでしたが、目をつむり唇をすぼめて迫ってくる灯さんは、本来の美しさも相まってとても艶かしいものでした。
「んっ……」
そしてこないだと同様、柔らかい唇同士が接触します。しかし、今回はそれだけではありませんでした。次の瞬間、紀三郎の唇を何かぬとぬとしたものがこじ開けてくるのが分かります。紀三郎は怖くなって唇をギュッと閉じました。しかしそれはお構いなく、貝をこじ開けるかのように紀三郎の唇のあわいを攻めたてるのです。
勢いに負け、紀三郎はこわごわと唇を開きます。そこに入り込んでくるたっぷりと液体をまとった存在。その時やっと、紀三郎はそれが灯さんの舌であることを理解しました。そして彼女のそれに自らの舌を絡めます。
(これが灯さんの……)
紀三郎は口腔での快楽に酔いしれ、夢中で舌を動かします。息が苦しくなるまでそうしたあと、ちゅぷんという音を立てて二人の唇は離れました。
「紀三郎さんは奥手な方なので、つい大胆になってしまいました。軽蔑しないでくださいね」
灯さんは照れながらそう言います。この人があんな口づけをするなんて……。紀三郎はその落差に驚き、目線を下に落とします。それはちょうど掛け布団の上端から垣間見える、灯さんのキャミソール越しの胸元に注がれているかのように見えました。
「……次は、こちらですね。紀三郎さんが積極的になってくれて、私もうれしいです」
紀三郎がそこを欲していると思った灯さんは、彼の両手を取ります。その美しく白い両手は、初夏の陽気のせいか少し汗ばんでいました。
「どうぞ。お好きになさってください」
灯さんはそう言って、自身の胸に紀三郎の手のひらを少しづつ近づけていきます。紀三郎はその勢いにすっかり圧倒されてしまって、されるがままになっていました。
(触っちゃっていいのかな。でも、触りたいな)
心中で葛藤しながらも、両手は灯さんを振りほどくことができません。そしてやがて訪れるふにゅんとした感触。
(これが、灯さんの胸……)
「いかがですか?」
灯さんは顔を赤らめながらも、笑いかけてくれます。女性のこんなところを触ったら怒られるという先入観しか持っていなかった紀三郎は、その笑顔をとても不思議に感じたと同時に、この人が女神か何かのように思えたのです。
しかし、その灯さんの果実をじっくりと味わう暇もないうちに、またも紀三郎に眠気が訪れます。紀三郎はまた灯さんに失礼なことをしてしまうなと思いながら、彼女の目の前で眠りに落ちていきました。