エヴァンス
ですが、ここで起きた出来事を知ってしまったら、この世界で過ごした時間を忘れられなくなるかもしれない…」
それが悪いことなのかと問おうとした。だが、普段の優しい印象と異なるロザリオ居て、問うのを止めた。
「蓮様には過去を知るだけの覚悟があるのですか?」
契約じみた言葉に躊躇う蓮だが、知りたかった。
ロザリオは複雑そうな笑みを浮かべると…
「それでは少し、昔話でもしましょうか」
○
「不思議だとは思いませんでしたか?」
「昨日、私は蓮様に治癒魔術を施しました。その治癒魔術があるにもかかわらず、お姉様はどうしてあのような姿なのか、疑問には思いませんでしたか?」
言われて見ればそうだ。蓮は、そのことに気が付かなかった自分に驚いた。
「ええと、魔族には効果が無い……とかですかね?」
首を振るロザリオ
「じゃあ、ロザリオさんやエヴァンスさんたちサキュバスは完璧な治癒能力を持った魔族ではない?」
「いえ、サキュバスはずば抜けてその能力は高い方です。お姉様がそれでもなおあの姿になったのには理由があるのです」
ロザリオは言いながら塔の最上階へ蓮を案内した。
最上階には大きな石碑が一つ
「この石碑はお姉様の手足の墓なのです」
ロザリオはそう言って、昔、ここで起こったことを話し始めた。
-
――――――――――――――――――――――――――――
■回想シーン
-
…銃声が魔界に響き渡る
それがなんの音なのかは、サキュバス達には分からなかった。
サキュバスは元々人間界にさほど興味がない。1990年当時、大部分のサキュバス達にとって人間はただの餌。命まで取る必要性すらない相手だった。
それ故に、人間がどんな技術を持っているのかを詳しく知る者はほとんどおらず、一部の好事家だけが知っているだけだった。
そうして、不用意に人間へ近付いたサキュバスは、男が放つショットガンによって絶命した。
銃というもの自体はサキュバス達も知っていた。しかし、彼女達の知る銃というものは、せいぜい火縄銃であり、ショットガンのように弾丸が拡散するものが存在しているとは知らなかった。
「妙に、騒がしい」
エヴァンスは愛用のエストックを引き抜く。恐らくはまた手合いの者が押し入ってきたのだろうと、そんな風に軽く考えていた。
魔界の風習で、貴族はいつでも下克上をされても良いという決まりになっている。特に家や血に拘らないサキュバス族の世界では恐ろしいまでに実力主義だった。そのため、力を付けた若者が道場破りのように貴族の館に挑戦してくることがある。
エヴァンスの剣武は最高レベルともいわれた。淫魔族はもちろん、悪魔族を含めた魔界全体で見ても、エヴァンス程に剣術に長けた者は誰一人としていなかった。
魔族は、生命力が異常なほどに強く、寝首を掻かれたくらいでは死なない。
殺そうとしても再生するので魔族同士は殺し合いを基本的にやらない。よって魔族との戦いとは、武道の試合のように行われるものであり、勝った者は、年に数回行われる貴族院にそれを報告する。そして、新たな貴族として認められたり、格が上がったりする。
エヴァンスは疑問した。
階下の騒がしさが急に静かになった事。待っていても挑戦者が現れないこと。
「怖じ気づいたのか?」
エヴァンスは久々に剣が振るえることにワクワクしていただけに、挑戦者が現れないのを、がっかりしていた。
しかし扉の外には気配はあった。
中を伺うような気配に、エヴァンスは武者震いした。そして、
「入ってもいいぞ」 と声をかけた。
バンッと大きな音がして、腰だめに銃剣を構えた男が入ってきた。
「ハハッ! こんな所にもベトコン女の腐れプッシーが居やがったぜぇ! ヒャッハア!」
※ベトコン=ベトナム戦争の折に、ベトナム人兵士に向けられた用語
※プッシー=アバズレ女を意味する。当時、アメリカとそれに準ずる韓国等の連合軍の一部がベトナムの地で、国際法に違反して非戦闘員を殺害する事例が多発した。その理由となったのがアバズレ女で彼女達は連合軍に身体を売る仕事で生計を立てていた。そのアバズレ女の中には戦争で家族を殺された女性たちが混じっていて、性の相手をする振りをして軍人の寝首をかき、殺害するという事案が少なくなかった。それに対処する為か、暴走した一部の軍部が民間人や敵兵かを区別せず、見境なく人々を虐殺した。国連は公式見解を出していないが、専門家の間では罪なき民間人が数万人規模で殺害されたとの憶測が飛び交った。殺害ついでにレイプ等も横行したとされ、それら複数の問題を総称して【ライダイハン問題】と呼ばれる事もある。
「ハハッ! こんな所にもベトコン女の腐れプッシーが居やがったぜぇ! ヒャッハア!」
言うや否や、ショットガンが火を噴いた。エヴァンスは、とっさに銃口の射線上から離れる。だが、
「――っ!」
左肩に二箇所、焼けるような痛みが発生する
※ショットガン=散弾銃 放たれた弾丸は小さな玉の集合体で、拡散する様に飛び、真正面に立っていなくとも被弾する。ショットガンは動きの早い動物を狩猟する目的に使われる。現代日本でも一部のハンターは所持を認められている。
エヴァンスは、とっさに銃口の射線上から離れるものの左肩に二箇所、焼けるような痛みが発生する。明らかに射線から外れたはずなのに弾が当たったこと。銃声よりも多い傷跡もそうだが、それよりも、こんな小さな傷に痛みが在ることに驚いた。
魔族は並大抵のことでは死なない。首と胴体が切り離されても、近くに並べて三日ほど安静にしていれば治るほどだ。
それ故、痛みという感覚は、よほどの大怪我、人間ならば即死しているような痛みでなければ感じることはない。
エヴァンスは抉られた傷口を見る。何からの魔術の匂いがした。エレメントに神聖性を付与してあるのだろうか? 肉が焦げている臭さを感じた。
エヴァンスは訳が判らなかった。目の前に存在する人間は一体何なのか、使用人達がどうしてしまったのかも分からない。
「よく避けたな! ハアッ! そこらの腐れプッシーどもとはできが違うようだなァ!」
そう言って、次弾を装填する男。エヴァンスは動揺しながらも反応した。
エヴァンスの背中から蛇の翼が展開し、エヴァンスの身体を守る盾のように前に回される。しかし、サキュバスの翼は本来、男性器へ快感を与えるための器官が進化したもの。防御力など皆無だった。
とはいえ防御可能な堅さにすればよいだけの事。エヴァンスは自らの翼を睨み付け、魔眼を発動させ硬質化する。
石化の魔眼、それはサキュバスの基礎能力の一つであり、サキュバス族ならば誰もが持つものでもある。本来の用途としては精液を得るため、男性器を勃起させる際に、補助的に用いるものだ。到底、攻撃に使えるようなものではない。
しかし、ラピスの称号を冠せられたラピス家の者たちはその能力を特化させ、対象の拘束。防御力の増強や、得物や防具の耐久度を底上げするなど、応用性の高い魔術に昇華させていた。