噺は世につれ 世は噺につれ
個室と言っても三方が囲われているだけで通路側はオープンな、いわばコーナーのようなものだが、大きな店なのでガヤガヤとしていてこれくらいなら話を人に聞かれることもないだろう。
女もそう思ったのか、コートを脱いでハンガーにかけた。
(ほう……)
歩道橋の上ではやせ型に見えたが、コートを脱ぐとその下はとっくりのセーター……今はハイネックとか言うのだろうが、ゑん朝の世代ならば『とっくり』だ……そのセーターの上からだが女の胸はかなりある、ハンガーをかける時に立ち上がって後ろを向いたのだが、黒いミニのタイトスカートに包まれた尻の形も良い、柳腰なので実際の大きさよりも大きく見えるのもなかなかの見ものだった。
面と向かって座ると、かなりの美人でもある。
歩道橋のように薄暗い所では得てしてそう見えるものだが、明るい所で見ても印象は変わらない、しかもほとんどすっぴんのようなので地が良いのだろう。
もっとも、細い眉に切れ長の目、唇も薄めの和風美人なので濃い化粧はむしろ似合わないのかもしれない。
まあ、それはさしおいて……。
「歩道橋に居たわけを聞かせてくれるかな」
ゑん朝は本題に切り込んだ、『お腹が空いている』などと言うからにはそれほど深刻な話にはならないだろうと考え、さっさと話を済ませて後はやったりとったりしたいと思ったのだ。
「それにはあたしの仕事から話さないと」
「だったらそいつから聞かせてもらおうか」
女が身を乗り出し内緒話をするようなしぐさを見せたので、ゑん朝も少し腰を浮かせた、女の顔が近くに寄るとふっと髪が匂った……化粧品や香水の匂いではない生身の匂いがちょいとなまめかしい。
「あたしね、詐欺師なのよ、結婚詐欺」
「ほう……」
ゑん朝は改めて女を見た、なるほどすっきりした顔立ちの美人だしプロポーションもかなりのものだ、それでいて派手な感じではないので引っかかる男はいるだろう、ゑん朝自身も四十近くまで独り身だった、その頃なら引っかからない自信はない……まぁそれを打ち明けるからには、ゑん朝を獲物と見ていないと言うことにもなるが……。
「実は三股かけててさぁ……それがバレちゃったのよ」
「なるほど」
今度は『三枚起請』と来た……だがそれだけで自殺願望が生まれるとは思えない。
「その中の一人ね、もちろん引っかけるつもりで近寄ったんだけどさ、見かけはパッとしないし稼ぎも特別良いわけじゃないけど優しくて良い人でね……後の二人からお金を巻きあげたら一緒になりたいと本気で思ってたのよ」
「そう言うことなら、金を巻き上げてからなんて言わずにさっさと他の二人とは切れちまえば良かったんじゃないのかい?」
「そうも行かなくてねぇ……そもそも結婚詐欺始めたのは母親の入院費用を工面するためでね……まあ、母親は亡くなっちゃったからもういいんだけど、少し借金もあってさ……まともな銀行なんか貸しちゃくれないからサラ金よ、返さなかったら後々面倒でしょ?」
おやおや、お次は『文違い』かい? まあ、俺は半ちゃんじゃないけどな……と思いながら黙って聞いていると、女は先を続けた。
「もうちょっとってとこだったんだけど、あたし、ヘマやっちゃってさ……」
「どんなヘマだい?」
「婚約指輪……」
「指輪?」
「間違っちゃったのよ」
「確かにそいつは上手くねぇかもな」
「でしょ? よりによって本命と会う時に違う指輪つけて行っちゃったのよ、どっちもダイヤで似てたんだけど、カモからもらった方が一回り大きくてさ、『その指輪どうしたんだ?』って聞かれて『前から持ってた』ってごまかそうとしたけど、ダイヤの立爪なんて普通婚約指輪にしか使わないじゃない?」
「まあ、確かにそうかも知れねぇな」
「ルビーの方だったら何とかごまかせたんだろうけどねぇ……それで本命はおシャカ、罵倒されてればまだ良かったのかも知れないけど『信じてたのに……』とか言われると堪えてねぇ……それで仕事に身が入らなくなってね、カモの方の一人がね、『おかしい』と思ったんだろうね、探偵に調べられて結婚詐欺師だってバレちゃってさ……今は逃亡の身ってわけ」
「まあ、こう言っちゃなんだが身から出た錆ってやつだな」
「だよね……ついさっきのことなんだけどさ、アパートに警察が来てね、あたしはとっさにコートと靴だけひっつかんで窓から抜け出して来たってわけ」
「なるほどね」
「でもそこまで来たらもう逃げきれないよね、運の尽きってやつ……初めて本気になった男にはふられるし、捕まれば何年食らい込むかはわかんないし、なんかもう生きててもしょうがないかな……って思ってたところだったの、『死のう』ってとこまでは行ってなかったけどね、そんな時、身投げに間違えられたってわけ」
「当たらずと言えども遠からじだったわけだ」
「そういう事、逃げる時にハンドバッグ持って出なかったから一文無しだし……ここ、奢ってくれるんでしょ?」
「ああ、そう言ったな」
「とりあえず何か食べられるだけでも嬉しいよ、お腹空いてたから夜風が余計に身に沁みてたところ」
その時、注文した酒とつまみが運ばれて来た。
「まあ、何でも頼みな」
「ありがとう」
女はそう言って何品か注文し、店員が離れると言った。
「娑婆で食べる最後の食事かもね」
「自首するつもりかい?」
「う~ん、どうしようかな……」
「そうした方が良いぜ、少しでも心証が良くなるかも知れねぇからな」
「かもね……でも……」
「でも、なんだい?」
「あたしだってさ……好きで結婚詐欺なんかやってたわけじゃないんだよね……」
「そいつは聞いた、お袋さんの為だったんだろう?」
「元気な頃は仲良かったわけでもないんだよね、お互い気が強いから喧嘩ばかりしてた、でもね、脳卒中で倒れてね、お医者さんから『おそらくもう目覚めることはないでしょう』かなんか言われるとさ、動けなくたって良い、喋れなくたって良い、とにかく生きてさえいてくれれば良いって思ったんだよね……父親とはあたしがまだ物心つく前に離婚しちゃってたし、兄弟もいないから、この母親が死んだら一人ぼっちになるんだと思って怖くなっちゃってさ……自分で思ってたよりさびしがり屋だったんだね……結婚詐欺に引っかかるような男ってのも多分同じ、さびしがり屋だから人を疑いたくないんだよ、きっと……」
「そうなのかも知れねぇな……」
噺の世界で遊女に騙される男と言うのは大抵自惚れ屋か能天気な男のように描かれる、ゑん朝もそう演じて来たが、その心の底にさびしがり屋の部分が隠されていると言われればそんな気がする。
「そんなところが見えて来るとさ、あたしも騙すのが辛くなってねぇ……あの人を本気で好きになったのも、もうこんなことを続けたくないって気持ちがあったのかもしれないね、あの人もさびしかったんだろうけど、あたしのさびしさを埋めてくれたから……二人でなら生きていけそうな気がしてたんだ……そんな時に母親が亡くなったって知ってね、あたしにはどうしてもこの人が必要なんだって思ったんだ……」
「……」
「結局、ヘマやらかしたせいで全部だめになっちゃったけど」
女は笑って見せたが、その目尻に小さく光るものが浮かんでいることをゑん朝は見逃さなかった。
作品名:噺は世につれ 世は噺につれ 作家名:ST