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噺は世につれ 世は噺につれ

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 ゑん朝は一つ溜息をついて懐に手を差し入れた。
「……やるよ……」
 紙入れを出し、入っていた一万円札を全部テーブルの上に置いた、それはくしくも五枚あった。
「え?」
「正直に言うが、俺は今のを話半分に聞いていた方が良いと思いながら聞いてたんだがね、そんな自分がどうにも嫌になってな……本心を言えば今だって全部信じてるわけじゃねぇよ、この金だって馬鹿なことをしてるのかも知れねぇと思ってる、だけどよ、噺家がそんなことじゃいけねぇとも思うんだ……さっき、身投げが出てくる噺をやったばかりだと言っただろう? 『佃祭り』ってぇ噺だ、小間物問屋の次郎兵衛がお店の金をなくして身投げしようとしていた女に金をやって助け、それが巡り巡って自分の命が救われたってぇ噺なんだ、浮世離れしてるだろう? 今の世知辛い世の中にそんなことは起こりっこねぇよな、だけど俺は噺家だ、この時代に生まれついちまったから仕方なしに今の世に生きちゃいるが、噺の世界の人情を忘れちゃいけねぇんだって気づかされた気がするよ……この金でまた逃げても良いし、好きなことにパッと使って娑婆への未練を断ち切って自主するのも良い、お前さんの好きなようにしな……だけどよ、死んじゃいけねぇよ、何年かかるか知らねぇがいつかは出て来れるんだ、生きてりゃ何かいいことだってあるってもんだ……さあ、取っておきねぇ」
 女はしばらくその金を見つめていたが、ゑん朝の方へ押し戻した。
「今のあたしには要らないお金……お気持ちだけ頂きます」
「……どうするんだい?」
「……やっぱり自首します……もしヘマしないであの人と一緒になれてたとしても、いつ警察にドアを叩かれるか怯えて生きなくちゃいけないし、あたしが捕まった時のあの人の顔も見たくない……それが嫌なら罪を償うしかないのよね……もうどうせ逃げ切れっこないし」
「そうかい……だったら好きなだけ飲み食いしな、それくらいは受け取ってくれるだろう?」
「お酒の方はほどほどにしておくけど……酔っぱらって自首するのも変ですもんね」
「違ぇねぇ」
 ゑん朝がそう言って笑うと、女も釣られて微笑んだ。


「ここまでで……」
「そうかい?」
 ゑん朝は女が交番へ行くのに付き合った。
「色々とありがとうございました」
 女はゑん朝に深々と頭を下げると、真っ直ぐ交番の方へ歩いて行った。
 そして警官と何やら話した後、両手を揃えて差し出して手錠を受けると、ゑん朝の方に振り返って軽く頭を下げた。
 そこまで見守っていたゑん朝も軽く手を挙げて応えた。

(なんだか妙な一日だったな……あれで良かったのかな……良かったんだよな……)
 家に向かって歩き出したゑん朝はそう思った。
 なんにせよ、この現代でも人の心の根っこの部分は変わっていない、時代が世知辛くなってそれが表に出にくくなっているだけなんだ、そうも思えた。
 そしてこうも思った。
 噺家になって良かったな……と。
 人を笑わせながら、温かいものをひとつづつ客の胸の中に残して行けるならば、こんな良い仕事は他にあるわけがない……と。
作品名:噺は世につれ 世は噺につれ 作家名:ST