エッセイ詰め合わせ
子供の自殺なんてのは、刑務所なんだからして、それは起こるべくして起こる出来事である。学校に楽しい思い出があるからと楽観的に正当化している人は、あくまで勝ち組の視点であり、運に恵まれただけってのを忘れない方がいいかも。
子供のやることだから威力は小さいかもしれない。が、それは大人から見た視点でしかなく、
子供だからこそ、加減を知らない。
たとえば
鼻血が出るかどうかを試す為に殴るとか、暴力の証拠が残らないように髪の毛を引きちぎってしまうとか、ただ1回殴られた腹いせに1000倍返しするとか、あるかもしれない。
これらは『子供が一名鼻血を出してるだけ。』『子供が1人ケンカに負けてアザを1つ作っただけ』に見えるかもしれない。
ことが起きた背景にサイコパス性が隠れていても、実質的な被害が全治1ヶ月以下ならば、きっと問題にならないだろう。
大人は『子供故に加減を知らなかった』からこそ、許していく。
被害者側としても、そのサイコパス性の重要性は子供だからこそわからない。将来的な殺人者予備軍だとしても子供だからこそ、思いもよらない。大人が求める様に公にでも謝罪されたら、そのまま疑問なく許すしかないだろう。
イジメの場合はそれが日常的に起こってこそ被害者ぶることもできるし、加害者の異常性質を訴えることもできる。
しかし、サイコパスの全てがイジメの加害者となりて、悪目立ちする筈もない。
多くのサイコパスは、イジメなんていう悪目ちな行為はしない。何らかのイザコザでカッとなり、異常な暴力性を発揮する。
しかし、それは概ね『1回だけの出来心』として解釈されやすい。、つまり良い子顔しながら謝れば済むし、反省の振りをすれば済まされる。
仮にサイコパスでなくとも、子供だからこそ事故が起こりやすい。
たとえば傘やホウキを拳法の遊びにて振り回して、そばに誰かいるとは気付かずに、誰かの目を突いてしまうとか、
拳法のマネしてキンタマ蹴ってしまうとか、まあまあ、ありうると思う。
仮にそれらが意図的だったとしても
教育には性善説が持ち込まれる故に
『事故』になるように意識される。
教師は、実のところ刑務官の様な立場にあるが、その自覚はないだろう。
囚人同士のいざこざを解決しても給料変わらないし、問題が表面化したら指導力の無さを責められるだけ。
違いがあるとしたら、根強くモンスターペアレントに恨まれるか、根強く囚人に恨まれるかの違いである。
忘れてはいけないのは
将来的に刑務所に入ったり死刑されたりするかもしれない者と、そうでない者を一緒にしてるという、こと。
『少年犯罪データベース』※ネット参照
を調べると、いかに子供のヤバさがわかると思う。
性善説なんて有り得ない。子供だからこそヤバイのである。
○社会不安障害に対して使う抗不安薬の作用について
本文
人により合う合わないがあるそうで、
合わない人は、たとえばイライラや怒り等の副作用がある、
効き目が良すぎる人は、万能感からハイになってしまい自信過剰になる。
程よく合う人は、気にすべきでない些細な問題は「ま、いっか!」という気持ちになり、 。分量を増やすと「どうでもいいや!」になり、無気力感や倦怠感に。
薬をやめると必ず離脱症があり、それは主に不快感覚である。、長年薬を使ってたり強い薬剤を使用していると、症状が強くなるそう。
http://kigatukeba-sad.sblo.jp/article/106262383.html
URL先の体験記では比較的軽めの薬を6年利用し、離脱症状は約3年続いたそう。当方の勝手な印象だが、離脱症状についてかなり詳細に書き込まれていると思う。
大まかに解説すると、離脱症状はいつもある訳ではない。波があり、酷いときは、『生きた心地がしない』気持ち『いっそ、死んだ方が楽になる』と思うこともあるそう。
しかし、ブログ主は断薬に耐えた事に後悔は無いそうで、耐えてよかったと言っている。しかし、人により条件が違うからして、誰にでも断薬がお勧めできるかというと、懐疑的だという。そもそも離脱症状に耐えてまで薬を絶つ意義があるのかとか。。
ブログ主は当初から断薬を意識していて強い薬は使わなかった。と書き記してる。
もし、離脱症状を克服しようとするならば、サイトの情報を参考にして欲しいそう。
○社会不安障害
本文
親アレルギー、親アナフィラキシーショック
ニートな負い目が強過ぎる果てに
親に対してアナフィラキシーショックを起こすようになりました。
パニック障害的だが、パニック障害でもない。
社会不安障害の果てのなにか、であり
こうなると、思い出すだけでも苦痛する
憎悪でおかしくなる。
こうなったのは、プレッシャーをかけてきた親にだって原因があるからして、
親を憎悪する。
○気が付けば社会不安障害
気が付けば社会不安障害(現メイラックス断薬日記)というサイトが気になって読んでいるんだが、最終的には断薬が成功して健康的になるだが、そこまでに6年かかっている。
薬で不安感を除去するのは簡単そうだが、断薬は大変らしく、治療開始前から、かなりの覚悟が、必要とされる。まるで麻薬を断ち切るかのようなスケールに思える
当方も診断サイトで重度な社交不安障害ありきと評価された。ただ、その症状にはブログ主とは、一部異なるところがある。
ブログ主は症状が、『ある時』を境に突発的に発生していて、それが重度なこと。
当方の場合は、物心ついた頃から自覚してて、じわじわと、20年かけて成長して重度化したような感じ
不安症や不安障害に慣れると被害者意識が芽生える
全ての社交不安障害者がそうなるのではないだろうが
症状と長年共存していると、当事者にとっての症状の存在感は常識になるからして、
それは『世界の常識』のようにな認識になり、『皆の常識』『理解される事情』のようになる。
しかし、『理解されにくい』のが、メンタル系の障害であるかして、『理解される筈なのに、理解されない!』みたいな、不満が貯まる。というよりも、長年障害に耐えてるからこそ、『褒められて当たり前』になるからして、
結果的に不安症がなくならない限り被害者意識から、逃れられない。
おりしも、被害者意識は、社交性から逃避行動を正当化するからして社会的を求める周囲関係者は、不満を感じて、その欲求不満をぶつけてくる。が、それは更なる被害者意識を芽生えさせて、逃避行動を誘発させるに至るが、
被害者意識があるゆえに『逃避した』のではなく『させられた被害感』
部屋からでられなくなり、自閉症患者のようになってしまう引きこもりは、恐らく社会不安障害であるケースだろう。日本は根性論文化ゆえに医療機関への診断率が低いので患者数は少ない。
、アメリカでは似た意味で定義される『社交不安障害者』は1500万人いるからして、日本も部屋から出られない引きこもりの存在は、まあまあ、当たり前の社会事情かもしれない。