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エッセイ詰め合わせ

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【親よりも外の人の方が偉い】で伝わるなら、似た意味で【親より外の人の方が怖い】という意味でも伝わるかもしれない。

 親よりも世間の方が怖いと思ってしまったら外の世界では安らぎは得られにくだろう。
 もし親が子を虐待していて外でも横柄なら、外の世界には親程の驚異なんて感じないだろう。
 子を虐待しながら外では腰が低いとかなら、外は親以上の驚異(恐怖)であるからして、社会不安、社交不安症になるかもしれない


日本人は不安症が多いらしい。日本独自のお辞儀文化なんてのは、腰の低さも観測されやすい状態であるからして…




○10代での、できちゃった結婚は避妊失敗なんだろうか…

本文

女は少しばかりというか、かなり男の認識が甘い。男に対して『子供ができたら変わる』なんて決して思ってはいけない。

10代でのデキ婚の離婚率は80%である。20代ででは50%。内心離婚したいが、世間体を気にしつつ我慢している男の暗数を含めると…

デキちゃった結婚では、ほぼ幸福になれないだろうことが保証されてる。




○不登校12万人超えの原因。

本文

キッカケは塾や携帯かなと思う。

塾に行く生徒同士は一緒にいる時間が多くて、コミュニケーション回数が多く連帯感が高まる。そうでない人は、友達を認識するときの連帯感の格差を認識し、【まるで人として必要とされてないような錯覚】におちいる


最近は携帯の普及により、それがより加速する。、クラス内にある空気【人として必要とされてる感】【必要とされない感】について生徒が感じる格差が増大している。


いわゆるスクールカーストが、よりはっきり【見える化】してる。


この問題は恐らく当事者にしか分かりにくい。



また学校を欠席してても【卒業しさえしすればいい、勉強さえ頑張ればいい】な価値観が正当化されやすい(結果論主義にて)。余計に人間関係の放棄が優先されやすい。そうなるとカーストの最下層に行き着きやすく、でも一旦最下層に行き着くと、【最下層故に誰も相手にしなくなる】


カーストの一番下というのは、ただ孤立するという意味でなく、【人としていらない】というレッテルを貼られたようなもので、、イジメられる確率も高まる。

仮にイジメがなくとも【無言のイラナイ】圧を受け続ける。

一旦そこを体験すると、友達を作る資格さえないような雰囲気に飲み込まれるかもしれない。。勉強がてきても欝になり、将来に絶望しか見えなくなっても、おかしくない。

最近の世代は勉強できなくても恋愛してる人とかいたりで、これでもかと幸せを見せつけてくるだろうと思う。孤立者が受ける【いらない人間感】の圧力は強くなってる。

この負の環境に耐えきれる子供がいるとは思えない。










○ニート『働いたら負けかなと思っている』


『働いたら負けかなと思っている』10年以上前、メディアにてそのセリフを発したニート以降、多くのニートがテレビインタビューを受けたが、そこから偏見を持たれて被害にあってるニートな多いかもしれない。


被害というのは、『若者の自殺率が世界一になっていること』

に関係するかもしれない。


日本は受診率が低いので実態は分からないが、あの社交性イメージの強いアメリカ人でさえ、社交不安障害が1500万人であるからして、日本人の中にも相当数それを抱えた者がいるはずである、


社交不安障害あると、その症状ゆえに、メディアには登場する確率は低いだろう。元気で特別悩みのないニートのみがテレビに映るからして、ニートは世間的に『怠けの象徴』のようなレッテルが貼られやすい。


最近はSNSを通して病んでるニートを見つけることはできるものの、そこにたどり着く者は、病んでるニート自身か、ニートが身近にいる家族くらいしかいない。

ニートの関係者になる前から事前にニートの実情を知る機会なんて『ほぼない』と言っていいだろう。
私見だが、リア充ニートを探すより、
今にも死にそうなニートを探す方が簡単である。









○鬱についてをネットで調べたまとめ



あらすじ

鬱患者に励ましは逆効果という

本文

当方の知識としては励ましてはいけないとして認識してたんだけど、色々と調べるに必ずしもそうではないらしい。

まとめると励ましは【鬱状態であることが良くない】という意味が伝わりかねず、当人にとって【鬱が悪い事】重たい認識になり、それ自体に鬱る。


うつな人を心配するのも【心配されるような出来事】として解釈されかねず、当事者にとっての問題のスケールが大きく解釈されて鬱る。

とはいえ、心配されても励まされても素直に喜ぶ人もいる。そういう鬱患者は、うつ診断された時に「ああ、そうだったのか…」と安堵するパターンである。

うつ診断されて安堵できない人、悲観してしまうタイプの人と接する時が要注意であり、笑顔で挨拶し接したとしても『あ、わたし最近笑ってない』とか思われ悲しまれて鬱る。症状重いと『その笑いに笑顔で返さんといかんの? 気を使うなぁもう…』と思われて更に鬱る。

人によって、鬱に対する認識の違いのせいで、受け取り方が180度違うらしく、対策方法はコミュニケーションの主導権を握らないことで、相手の話に合わせる形からなら失敗しないそう。

だが、俗にいう「ワガママ」精神が根底にあるうつ患者に会話の主導権をにぎられてしまうと
プライベートを侵食されはじめ、逆にこちら側が鬱になるという事態があるそう。
それへの対策に決定的なものはない。




○芸能人同士の不倫問題は表に出せない


本文

 芸能人同士の不倫が表に出るのはほんの一部だと思う。

寝取られ侮辱エピソードなんてのは

双方のタレントとしての名誉毀損に関わる。たとえば子供がいれば子供が取材ターゲットにされるリスクあるからして、

内々に飲み込むんだろうが、

消化できないまま、仮面夫婦を演じていると、『罰せられることないパートナーについて』を永続的に観測し続けてしまう。


愛情あると、『罰を与えないこと』をあえて決断するが、

愛憎あると『罰を与えなかった』という事情が消化できない。


問題なのは、『罰を与えない。憎しみを持たない』決断をした後に、それを、許容できず愛憎になる。ということ。



有名人においての不倫問題は、一般人の不倫問題とは、かなり異なるのではないか。自身(被害者)が病んでる最中に、罰を免れた相手が笑顔でテレビに出続ける。自身の過去の苦しみを、あたかも、『なかった』かのような態度を見させられる日々である。












○学校は限りなく刑務所に近い施設2



あらすじ

『少年犯罪データベース(外部サイト)』を読めば性善説なんて存在しない事がわかると思う


本文

学校には、将来的に刑務所に入るだろうサイコパスな者も混じってるのだからして、そういう施設に自分の子供を通わせるのは、そのまま『刑務所に通わせてる』のと同じ危険性になる

作品名:エッセイ詰め合わせ 作家名:西中