小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

馨の結婚(第一部)(1~18)

INDEX|70ページ/73ページ|

次のページ前のページ
 



露天のお風呂はまだ昼間なので明るいし、別に誰が見るわけでもないけど、ちょっと恥ずかしくて行く気になれず、僕たちは普通の浴場に入る時、二つののれんの前で別れた。

冷えてしまった体をさっと温めて、僕は早めに部屋に戻り、それからさっきは取り出さなかった美鈴さんへのプレゼントの包みをトランクから出す。そうして僕は「渡す時になんて言おうかな」とちょっと考えながら、その大きめの包みを胡坐になった足の上に置いて、なんとなく顎を乗せていた。そこへ後ろから、襖を開ける音がからりと聴こえた。

「ああ~いいお湯だった~。あれ?どうしたの馨さん。それ何?」

美鈴さんはタオルで髪をまとめ上げていて、旅館の浴衣に着かえ、髪にも睫毛にも、温かい湯の雫をまとわせて、ぴかぴか潤った頬は薄紅だった。

僕も浴衣には着替えたけど、その湯上りの美鈴さんを見て急に緊張してしまって、隠しようもないくらい大きな包みを、慌てて胸の中に隠そうとする。

「なになに?なんか持ってる。大きいの」

「あ、えっと、これは…その…ぷ、プレゼント…」

僕は、まだ湯気が立っているかのようにほっぺたを透き通らせた美鈴さんに覗き込まれて、横を向いてしまった。

「えー本当!?なに!?大きい包みだね!」

「あ、うん。開けてみて…」

僕がおそるおそる包みを差し出すと、美鈴さんは「ありがとう~」と言ってにこにこしながら、包みの口を絞っているリボンを解き、袋の中に手を突っ込んだ。

「わ!なんかふわふわしてる!」

「あ、うん…その…」

僕は何も言うことができずに、「もしかして、二十歳の女性にこんなものを贈るのは失礼だったかな?」と不安になる。美鈴さんは包みからそーっとそれを取り出して、叫び声を上げた。

「やーなにこれかわいい~!クマだ~!大きい!」

それは、僕がショーウィンドウ越しに見つけた、クマのぬいぐるみだった。つぶらな黒い瞳が、ふかふかの生地にちょっとだけ埋もれて、首元には赤いリボンと鈴が下げられ、青いオーバーオールを着た、薄茶のクマ。学校から帰る途中でふと道路の向こう側を見た時に、小さな店のショーウィンドウで一番目立つ場所にこのクマは居て、それなのに誰かに置き忘れられたように、ちょっと前屈みになって僕を見つめていた。

美鈴さんは大喜びでクマを高く差し上げて、両目を輝かせていた。どうやら喜んでくれたみたいでよかった。でも、実はもっと欲しいものがあったりはしないのかな、と僕は一応美鈴さんに聞いてみることにした。

「あの…大丈夫かな、もっと欲しいものとか…」

「大丈夫!かわいい!」

僕に聞かれたことには答えてくれたけど、美鈴さんはしばらく夢中になって、クマを抱きしめたり、頬ずりをして、こちらを向いてくれないほどだった。自分で買ってあげたのに、僕はちょっとクマがうらやましい気がした。


食事の時間まで暇があるねと言って、僕たちはホールの籐椅子に掛けてテレビを観たりした。それから、つっかけを履いて旅館の庭に出て、蕾を膨らませ始めた梅の木や、少しだけ雪のかぶった松の枝、鯉が尻尾を大きく揺らして円を描いている池を覗き込んだりした。

籐椅子に座って体を捩じり、ゆったりと椅子の背に腕をもたせかける美鈴さん、梅の花が早く咲かないかなあと思っていたのか、じっと真剣に梅を見つめたまましばらくその場を動かなかった美鈴さん、鯉をよく見るためにしゃがみ込んで微笑んでいた美鈴さん。僕は彼女が見せるたくさんの表情を胸にしまった。


旅館の食事は美味しかった。色鮮やかなはじかみの付いた焼き魚や、ぴかぴかと光る新鮮なお刺身、それからその地方の銘柄牛やデザートの水ようかんを、美鈴さんは僕よりずっと早く食べ終わってしまった。僕はまだ食事を続けていたので、スプーンを手に、「ようかん、一口食べる?」と声を掛けた。

「えっ、いいの…?」

期待に満ちた目で彼女が僕を見つめるので、その口に水ようかんを一匙入れてあげた。

「んー、やっぱりおいしい~」

「ふふ、よかった」



食後に少しゆったりとくつろいでから、露天のお風呂に行ってみようということになり、僕たちはまたシャンプーセットなんかを持って部屋を出る。ホールの出口にあった「露天風呂 こちらにございます」の張り紙の通りにカラリとガラス戸を開けて寒い外に出る。足元の行灯の灯りを頼りに古い飛び石を進むと、これまた古い木の門があって、そこに紺色ののれんが下げられていた。

「楽しみだね」

「うん、じゃあ」



いいところなのに、お客さんが少ないのはもったいないなあ。僕はそう思いながら、石造りの湯舟の中、熱い湯が出て来る口のなるべく遠いところで温まっていた。

温泉にざぶざぶと新しいお湯が注ぎ込む音の中で、微かに、遠くから誰かが風呂の湯をすくって、それから体に掛けてざばーっと石の床をお湯が打つ音が聴こえてくる。僕はそれに耳をそばだてようとしてしまい、慌てて俯いてお湯に目を落とすと、ゆらゆら波打つ温泉の中に、白い灯りが波打ってぷかぷか浮かんでいるのが見えた。

僕が上を見上げると、鼠色の木綿で覆ったような広い曇り空の中、月がある場所だけがぼんやりと乳白色に照らされて、時々雲が断ち切れると、ちらっと空は明るくなり、月の肌にある影が見えた。

「わあ…」

裸のまま月を眺めて、その月がそのまま遥かから落っこちてくるお湯に浸かっているなんて、なんだか素敵だ。お湯を出たら美鈴さんにこの話をしようと思ったけど、もったいない気がして、僕はしばらくお湯から出なかった。