馨の結婚(第一部)(1~18)
僕たちはその日、レガシィで待ち合わせをしていた。そして、僕が先に店に着いて珈琲を飲んでいた時、マスターは美鈴さんの話をしてくれた。マスターは懐かしそうに、でも少し淋しそうな目をしてこう話し出した。
「あの子はねえ…いつも一人で来ては、珈琲を飲みながらずっとうつむいてた。まるで、一人になりに来るためみたいに。そういう時間が欲しくて来るお客さんは多いけど、その中でもあの子は一番淋しそうで、それに、ちょっと話しかけると、元気よく答えようとして無理してるのがわかるから…見ていて心配な時もあったよ…。まあ、「ここに来られてるんだから大丈夫かな」って思ってたりもしたけどね」
「そうだったんですか…」
僕は、美鈴さんが高校までずっといじめに遭っていたという話を思い出して、ここで一人で珈琲を飲みながら、彼女が何を考えていたのか思いめぐらしていた。
僕がうつむいて考え込んでいるのをマスターは分かっていたのか、それからこんな話もしてくれた。
「うちはなぜか常連さんは、調子が悪いと来なくなって、元気になるとここに来る人が多いんだよね。それに、天気が悪い日に、みんな避難してきたみたいに集まったりして賑わうような、変な店でね。その時に、あの子もよく居るんだ。まあ、だからそこまで心配はしてなかったけど…君をここに連れてきてから、あの子は本当に元気を取り戻したみたいで、安心したよ。あの子の過去に何があったのかは話してもらってないからわからないけど、それももう拭えたみたいだね」
そう言って、マスターは僕を励ますように笑った。
「わあ~。綺麗~!」
美鈴さんもお店に来たからと、マスターが奥から、銀色の小さな丸い箱に入った指環を持ってきてくれた。楕円形の古い小さな箱にもう少し幅が大きい蓋がかぶせられているだけで、その蓋を取ると、細い紙が絡まった紙パッキンの上に、ちょこんと二つの銀色の指輪が乗っていた。
その二つの指環は、片方が少し大きめで、もう片方は小さく、どちらも全体を均一に金槌で叩いたような小さな凹みがあって、それがお店のランプを照り返して、確かな銀色できらきらと光っていた。
「すごーい!マスターこんなの作っちゃうんだあ~」
美鈴さんは小さい方の指環を手に取って高く差し上げ、光に当ててみようとしていた。僕も残った自分の指環を手に取って手のひらに乗せ、ゆらゆらと手のひらを動かして、様々に表情の変わる輝きに目を見張っていた。
「さて、それでお値段だけど」
「あ、はい」
僕はそこで慌てて財布を取り出す。その時美鈴さんも自分が持っていたポシェットに手を伸ばそうとしたけど、「僕が君にあげたいんだ」と言うと、美鈴さんは顔を赤くして席に就き、ちょっと恥ずかしそうにもじもじと待っていた。
「二万円になります~」
「はい、じゃあお願いします。ありがとうございました」
マスターはちゃんとレジにあるコイントレーを手元に用意していたので、僕がそこにお金を置くと、マスターはにこっと笑った。
「ありがとうございました、マスター」
美鈴さんもマスターにお礼を言った。僕たちはお互いに、手に持っていた指環を着けるはずだったけど、僕は家族に見られてはいけないので、首から下げることにするんだと、マスターにも話した。
「あ、じゃあちょっと待ってて。ちょうどいいものがあるから」
僕の話を聞いて、急にマスターがまた奥へ引き返していき、戻ってきた時には、ちょうどよい長さの細い革紐を手にしていた。
「これね、革細工を作るのに出た端切れから、切り取ったやつ。あげるよ。これに通したら?」
「何から何まで、すみません」
僕がそう言って頭を下げ、革紐を受け取ると、「いいのいいの、捨てるやつだったし」とマスターはにこにこして首を振った。
僕はその革紐に指環を通してきつめに端を結び、首に下げてみる。それから、やっぱりちょっと申し訳ない気持ちで美鈴さんを見た。
「いつも指につけていたいけど…」
「大丈夫、私、すごく嬉しいもん。ありがとう。馨さん」
彼女はふっくらと微笑み、薬指に輝く銀色の光に目を落として、しばらくの間見つめていた。
僕は家に着いて、ベッドの中で眠る前に、服の中にしまってあった革紐を手繰って指環を取り出し、顔の前に差し上げて眺めていた。同じものを今、美鈴さんも身に着けている。
これで少しは彼女が淋しい思いをしなければいいけど、と思っていた。
それから、自分たちの約束が形になったことに満足して、指環を服の中にしまい直し、室内の空気に冷やされていた小さな金属が、胸の上で温められていくのを感じながら、僕は眠った。
作品名:馨の結婚(第一部)(1~18) 作家名:桐生甘太郎