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桐生甘太郎
桐生甘太郎
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馨の結婚(第一部)(1~18)

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「哲学への道」の第一回目の講義が終わり、生徒が教室からはけてゆく時、僕は鞄に持ち物をしまいながら、彼女を見ていた。彼女も僕と同じように鞄に資料などをしまって立ち上がる。僕は思わず足が前に動きそうになった。



でも、立ち上がった彼女の横顔を見た時、僕は何もできなくなって、そのまま突っ立って彼女を見送ってしまった。



彼女の真面目そうな眉と、迷いなく次の教室を目指しているのだろう目に、僕は彼女への尊敬を確かにした。



だからこそ、「彼女と知り合いたい」という僕の願望は、ひたむきに学業に専念する彼女にとっては、ただ邪魔なだけなんじゃないかと思ったのだ。





僕はその日の講義も全部終わり、帰ってからも勉強をしたが、寝る前にベッドに倒れ込むと、そのまま夢の中に滑り落ちていく意識の中で、彼女の横顔と、揺れる結び髪を思い出して、幸福な気持ちに包まれて眠った。




だけど、この時はまだ、自分が彼女に恋をしているなんて、僕は気付かなかった。







昼の学食の賑わいは僕は好きだったけど、あまり自分は輪の中に入っていけないので、いつも余った空席のテーブルを見つけては、そこで好物のカレーライスを食べていた。


その日も僕はカレーの乗ったトレーを抱えていそいそと空いたテーブルに就き、小さな声で「いただきます」と言って、スプーンを手に取り、ごはんとカレーを口に入れた。うん、すごく美味しい。ここの学食も、やっぱり美味しいな。


一人で喜んでカレーを食べていると、目の端に誰かが映って、顔を上げる前に「すみません、ここ、いいですか?」と聴こえた。僕は返事をしようと顔を上げかける。

「いいです…よ…」


僕の声は途中で途切れた。目の前に居たのが、「彼女」だったからだ。


彼女はおそらく「Aランチ」であろう生姜焼きの乗ったトレーをテーブルに静かに置き、僕の斜め前に座って、「ありがとうございます」と言った。


その時に初めて僕は彼女の笑顔を見て、体が痺れるくらいの喜びに襲われた。




まだ知り合いでもないし、言葉を交わしたこともないのに!それなのに、もう僕は、「一緒に食事をする」という幸運が得られた!




そのことで僕は舞い上がってしまって、しばらく顔を伏せたまま、じっとして震えそうになる体を抑え、テーブルの下でぎゅっと両手を握った。でも、いつまでも興奮は収まらず、彼女が静かに食事をしている音に耳をそばだてていた。


「あの…食べないんですか?」

不意にそんな声が降って来て、僕ははっとして顔を上げ、すぐにスプーンをまた手に取る。

「あ、た、食べます!カレーライス、好きなんですよ!」

「ふふ、そうなんですね」

僕はすっかり気が動転していたので、言わなくてもいいことまで言ってしまって、でも彼女はそれを怪しむこともなく、また笑顔を返してくれた。僕はそれがとても嬉しかった。天にも舞い上がる気持ちというのはこういうことを言うのだろう。

そして僕は、味も何もわからなくなってしまったカレーライスをせっせと口に運んで、その間に必死に考えた。



もしかしたら彼女は、僕が今、声を掛けて、友人になって下さいと言っても、嫌がらずに聞いてくれるんじゃないか…?


彼女の気持ちに甘えてしまうことにはなるけど、こんなに優しい人なら、突然の申し出だったとしても…!


その間に彼女は生姜焼きを二枚口に運び、美味しそうに食べていた。


いつまでも迷ってばかりいたら、彼女の食事が終わってしまう!思い切って声を掛けよう!


でも、なんと言えば…?


そうだ、入学式の挨拶は僕だって聞いていた!それでいこう!彼女の食事はまだ半分も進んでいない!少しなら話せるぞ!