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桐生甘太郎
桐生甘太郎
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馨の結婚(第一部)(1~18)

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美鈴さんは黙ったまま、しかめ面で『ニコマコス倫理学』を読んでいた。そして僕は、持ってきてあったノートに文章題の参考書の中にある問題を書き込んで、「ワンポイントアドバイス」として示されている方法を、なるべく具体的な言葉として展開してその下に書き、その上で何問か解いてみた。

本に書かれているアドバイスを理論として自分の言葉で表してから解く、というのは、よく彼女がいろいろな科目でやるらしい。

何問か不正解が続いたあとで、だんだんと正解の数の方が増えていって、僕は最後の難しい問題だけは解けなかったけど、なんだか目の前が開けたように感じた。


彼女は僕にアドバイスをしてくれながらもアリストテレスの本を読んでいたけど、僕は一度だけ、彼女が自分でも気づかずに独り言を言っているのを聴いた。その声は存外鋭く、それから文言にも驚いた。

「…ほんと日本語で書いて欲しい…」

僕がさっき開いた本はもちろん和訳されたものだ。だから彼女は多分、「日本語に和訳されているはずなのに、意味を汲み取れないほどに難解な本だ」ということを言いたいのだろう。それを聴いて、僕もちょっと安心した。美鈴さんは確かに僕よりも学問の力があるけど、それは彼女が才能があるというよりは、いつも努力しようと全力を尽くすことを自分に課しているからなのだ。

僕は文章題の参考書に戻り、「うまくいく」、「きっと解ける」と思い、五度チャレンジして、やっと解へと至った。





「すごいじゃないですか、馨さん!解けましたね!わあ、これすごく難しい!」

彼女は小声ながらも、ひそひそ声で叫ぶように興奮しながら参考書と僕のノートを見比べて、僕を褒めてくれた。僕はちょっと鼻が高くなってきたけど、やっぱり自信がなくて、「僕も、美鈴さんみたいに、頑張りたいし…」とうつむく。

「いやいや!馨さんは尋常じゃないくらい頑張ってますよ!私、自分の勉強についてこられる人って初めて見ましたし!」

彼女がそう言った時、「やっぱり彼女は伊達じゃない」と、とても驚いたけど、そんなに自分に実力があるとは思わなかったので、そのことにも驚いた。

「それに、哲学だって、高校の時の倫理学のすぐあとから掘り下げて知識を深めていけば、馨さんならきっと理解できます。もちろん、本来なら経営学科ですから、それを勧めるようなことはしないですけど…」

そう言ってちょっと残念そうな顔をした彼女を見て、「きっと仲間が欲しくて仕方ないんだろうなあ」と思った。だから僕は一度頷いて両腕を組み、彼女を見つめる。僕は思わず喉に力を入れた。


「僕、勉強を続ける体力なら、自信があるんです。試してみますか…?」


もしかしたら、この時初めて僕は彼女に「挑戦的な目」というものを送ったかもしれない。すると、美鈴さんは頬を赤くして背け、口元を震える手で隠そうとした。

「どうしました?」

もしかして、急に偉そうな態度をしてみせたから、怖がられてしまったかなと思って、僕はちょっと彼女に寄り添うように、テーブルに身を乗り出した。彼女はびくっと体を引いて、上目がちに僕を見つめ、真っ赤な顔で少し俯き加減のまま、ささっと周囲を見渡した。


「今…馨さん、すごくかっこよかったから…びっくりして…」

そう言った美鈴さんは、居心地が悪そうにもじもじとしているのに、僕に目を奪われたように、じっとこちらをを見つめていた。

「えっ…ほ、ほんとですか…?」

知らず知らず汗をかいてしまうような緊張が僕を包んで、それから胸に強い喜びが湧き上がる。

「かっこいい」。そんなことは生まれて初めて言われた。さらに、好きな人に言われるなんて、これ以上嬉しくなる条件はもう、くっつけようがない。

「そ、そうかな…えへ、嬉しいです。なんか、信じられないけど…美鈴さんにそう言ってもらえると…。いやあ、嬉しいな」

もらった言葉を味わうように、僕がそう繰り返すと、彼女は何か言いたげな含み笑いをして、僕の前でテーブルに両肘をつき、手の上に顎を乗せて僕を見上げた。


「今度は、可愛いです」


その時、僕たちの立場はあっという間に逆転した。さっきまでは僕が彼女を恥ずかしがらせたりしていたのに、今度は、どこかに隠れたいくらいに恥ずかしかったのは僕の方だった。

「そ、そんなことないですよ!僕は男だし、そんな可愛いとか…!」

恥ずかしさで体中が熱くなって、僕は顔の前で手を振り回す。

「か、馨さん!声!声抑えて!」

「あっ!す、すみません…」

大声を出してしまって決まりが悪く、おそるおそる周囲を見回すと、本棚の間に二、三人の人が居た。でも、彼らは特に僕たちに注目しているわけではなかったので、僕は内心で謝りながら、一応曖昧にその全員に会釈をするように顔を伏せる。美鈴さんは楽しそうに笑いを堪えていた。

でも、なぜだろう。彼女が僕を「可愛い」と言って見つめた時、僕は驚いたのだ。あの時の彼女の目は、まるで僕しか見えていないように満足そうで、僕の心をあけすけに見つめていて、どこか妖艶に見えた。僕はそう考え始めて、慌てて首を振って勉強に戻った。