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桐生甘太郎
桐生甘太郎
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馨の結婚(第一部)(1~18)

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改めて見れば見るほど、その日の美鈴さんは可愛かった。足運びはうきうきと軽やかで、それに合わせて赤いスカートが白いレースに透けて揺れる。よく見れば足元も深い紅色のパンプスで、バレエシューズのように足首に細いベルトが掛けられていた。彼女の白く華奢な足首に真っ赤な細いベルト。僕はそれをあんまり見ているのはいけない気がして目を逸らそうとしたけど、「もう自分は彼女とお付き合いをしているんだ」と思い出して顔を上げる。

「靴も、かわいいですね」

そう言うと彼女は、また恥ずかしそうにしたけど、少しだけ慣れてきたのか、僕を見つめて微笑み、「ありがとうございます」と返した。





さて、大通りから遠い路地を歩いていくつか角を折れてたどり着いたのは、小さなイタリアンのレストランだった。網目状になった路地の角にその店は建っていて、両隣を、コインパーキングと小さなオフィスビルに挟まれていた。オフィスビルの方には、入口のガラス戸に「〇〇商事」と書かれている、人気のない個人商店のようだった。周囲はそうしてひっそりとしていたけど、美鈴さんが指で指し示したお店は、窓ガラス以外の壁に赤と白のタイルがモザイク状に入り混じって、明るく楽しそうな雰囲気だ。

店の入口が道にはみ出さないようにと出入り口付近が一歩奥まって作られていて、ドア横には立て看板があった。看板の一番上には店名がアルファベットで「Rosso e bianco」と書いてある。なるほど。タリアンだから「赤と白」か、と僕は思った。その下にはメニューが続いている。

「今日のピッツァ 
イワシとトマト
辛口サラミ

魚料理
スズキのグリル

肉料理
ヒレ肉のロースト

パスタ
ボロネーゼ
ペペロンチーノ」

と書いてあった。僕は「けっこうちゃんとしたイタリアンなのかな?」と思って、「行きましょう」とドアを開けた美鈴さんについていった。


ドアに取りつけられていたベルがカランコロンと大きな音を鳴らすと、店内の美味しそうな食べ物の香りが僕の鼻に飛び込んで来る。ハーブの爽やかさや、肉の脂の焼けた香り、小麦の香りが混じったそれらは、大いに昼時の空腹に刺激的だった。

しばらくして若いお姉さんが「いらっしゃいませ」と出てきたけど、美鈴さんを見て急に嬉しそうに飛び上がりそうな笑顔になって、「あら久しぶり!ご来店ありがとうねえ!」と、いくらか砕けた言葉を掛けた。知り合いなのかな?と僕は思って、美鈴さんがぺこっと頭を下げる動作に、僕も控えめに乗ってみる。

「お久しぶりです。受験も受かって、学校にも慣れたので、やっと来れました」

美鈴さんは親しげにお店のお姉さんにそんな話をしながら、お姉さんに勧められた窓際の四人掛けの席に進んで行く。こちらを振り返って「あなたも」と目で合図され、僕も慌てて席に就いた。お店のお姉さんは僕にも「こんにちは、どうもいらっしゃいませ」とにこやかに挨拶をして、お水とおしぼりを置いてから、「ご注文が決まりましたら、呼んでください」と言い置いて、奥へ引き返していった。

お店の他のお客さんは二組居て、どちらもカップルのようだったけど、彼らも僕たちの来店で興奮していたお店のお姉さんの様子に、びっくりしていたようだ。

「お知り合いのお店なんですか?」

僕はちょっと小さな声でそう聞く。

「ええ。実はこの店のオーナーシェフをしている方が私の父の同級生の方なんです」

「そうなんですか」

「同じく父と同級生だった母とも仲が良くて、父が亡くなった後も、幼い私を連れて、母はよくこの店に来てました。田舎に戻ることになって、「この店に来られないのもさびしい」と言ってたほどで。美味しいんですよ。だから私も上京してからひと月に一度は来てます」

美鈴さんは親しみのこもった、優しく細められた目をしていた。

「それは楽しみですね。おなかもすきましたし。美鈴さんのおすすめは何かありますか?」

僕はテーブルの上に置かれていた、ラミネートされた何枚かの紙がリングで留められたメニュー表を手に取った。すると、美鈴さんは急に僕に顔をぐっと近づけ、片手を口の横に寄せて僕に囁きかける。

「絶対にピザです。感動しますよ。」

そう言った美鈴さんは僕の目の前で訳知り顔で微笑んで、そのあとで、店中に聴こえるようにそれを言うのを我慢しているようにちょっと体を捻った。

「どっちにしようかな~」

美鈴さんはもうメニューを見て悩んでいたけど、人差し指の先を唇の下に押しつけて悩む姿も、興奮している表情も僕は初めて見たし、素顔でリラックスしている彼女はとても可愛らしかった。

「じゃあ、二人で二種類頼んで、半分こしませんか…?」

僕が控えめにそう言うと、彼女は顔を上げて嬉しそうに笑って、「そうですね!そうしましょう!」とはしゃいで賛成してくれた。


お姉さんに注文を伝えてカトラリーの入った箱がテーブルに置かれてから、僕はちょっとの間考えていた。料理が運ばれてくるまでは時間が少しあるだろう。だから、美鈴さんに「両親には隠してお付き合いをする」ということを話そうかと思いかけた。でも、たまにちらちらと厨房の方を振り返っては笑顔になっている今の彼女にはそんなことは言いたくないし、彼女にとって楽しい思い出ばかりなんだろう場所で、そんな話ができるはずもなかった。


でも、なるべく早く言いたかった。あとあとになってそんなことを言い出すのは不誠実だと、僕は思うから。

もちろん今僕が両親を説得できるのがベストだけど、もしそれで完全に突っぱねられて彼女が僕のせいで傷つくようなことになるのも嫌だ。それなら、僕がもっと家庭内で発言力を得られてから宣言するのがいいと思っている。


でも、本当にそれでいいんだろうか?それは彼女に対して誠実な態度だと言えるのだろうか?


僕は自分が言い訳をして逃げているんじゃないかと思って、ちょっとの間考え込んでいた。すると、その様子に気づいたのか、美鈴さんが「どうかしました?馨さん」と声を掛けてきた。

「あ、ああ。なんでもないですよ。ちょっと考え事しちゃってて」

「でも、なんか深刻な顔してましたよ?」

心配そうな顔で水を飲んで、口元がグラスで隠れたまま美鈴さんはそう言った。僕もなんとなくグラスを引き寄せて水を飲み、テーブルに戻す。

「大丈夫ですよ。大したことじゃないし」

「そうですか…それならいいけど、馨さんって考え込んじゃう癖があるから、私にも話してくださいね」

そう言った美鈴さんに、「今は話せないんだけど」とは思いつつも、「はい。きっと」と返した。