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桐生甘太郎
桐生甘太郎
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馨の結婚(第一部)(1~18)

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第九話 初めてのデート








デートの日までは、僕たちはなんとなく落ち着きもなく、ちょっと距離を詰めることも気が引けてしまって、少しぎくしゃくしていたかもしれない。お互いに意識し過ぎてしまって突然の顔の近さにためらったり、でも自分のためらいで相手を傷つけないように、お互いの距離に肯定を与えていった。でもそれは大学でのことなので、「学友としての慎み」を守りながらやらなければいけない気がして、どうしようもなくもどかしいじれったさを感じていた。

一度、勉強会の時に美鈴さんがお手洗いに立ち、僕は経営学科のレポートを終わらせておくはずが、「まあこれは簡単だし」と油断をしてテーブルにもたれかかった途端、気づかないうちにするりと眠ってしまったということがあった。

「…さん。馨さん。起きてください。馨さん」

僕は名前を呼ばれて、目を開ける前に頬を何かで突かれている感じがして、眠りから無理に引き上げられたことでそれがちょっとうっとうしくて、唇をひしゃげさせて、頬で押し返す。すると、美鈴さんが「ふふふ」と笑ういつもの声が聴こえた。

「あっ、ご、ごめんなさい…!」

僕は目が半開きのまま美鈴さんに向かって起き上がろうとする。彼女の首元くらいしか見えず、瞼をこすってなんとか眠気を払おうとすると、僕の視界に彼女が屈み込んで映った。それはあんまりに近くて、彼女のきめの細かい白い肌や、柔らかそうな髪の毛の束、それから潤んだ瞳が目の前に現れ、僕は思わず少しだけ体を引いてしまった。

すると彼女も僕がはっとしたことに気づき、慌てて顔を離して「すみません!」と謝る。

「い、いえ…大丈夫です…」

僕はなんとかそう言った。でも、あと十センチの距離に居た彼女の香りや、色つやのいい頬の色や儚く細い髪、それから、見ただけでどんなに柔らかいかわかるような唇が頭の中に焦げついて、そのあとはろくろく顔も見られなかった。


僕は、「早く週末が来ないかな」と待ち遠しかったし、その日になったら彼女と手をつなぐことだってできると思って毎日が楽しかった。




でも、当日の朝、僕はまったく予期していなかったことにおおわらわになった。




「着ていく服、どうしよう…」

僕は朝食の後でクローゼットを開けてそのまま立ち尽くし、十秒ほど経った時にやっとそう言った。

僕はいわゆる「女性が隣に居る男性に来て欲しい服」なんて持ってなかったし、そもそもそういった服がどういうものなのか、考えたこともなかった。パーティーに連れて行かれた時、母さんに「こっちの方が色が合うわ」と声を掛けられて胸元のハンカチーフを差し替えられたことはあったけど、結局僕は自分が着ていていい気分になれる柔らかなカーディガンや、サイズの合ったジャケット、ゆるやかな長袖のシャツが好きだった。


両親には美鈴さんとのことは秘密にしている。父さんはこれだって干渉したがるだろうし、母さんも良く思わないだろう。二人とも、「家の跡継ぎ」の僕のためと思い込んで、どんな横槍を入れてくるかわからない。このことは、近いうちに美鈴さんに話そうと思っている。


だから、いつも父の服装をチェックしている母さんにアドバイスを求めることはできなかった。それに、父さんも母さんも今日は昼食会と会議だとかで、相変わらず家に居ない。

仕方なくクローゼットの中から黒いロングTシャツを出して、下に履くのはベージュのチノパンにした。なんだか薄ぼやけた印象だったけど、美鈴さんに今度好みを聞いてみることにしよう。


それから僕は念入りに歯磨きと洗面をして、髪を整えて、久しぶりに眼鏡を掛けた。薄い青色の縁で、自分で眼鏡屋に行って高校生の頃に買ったものだ。大学に行く時などはコンタクトにしているけど、ちょっと気取りたい時には、僕はこの眼鏡を好んで掛けている。でも、これが美鈴さんの気に入ればいいけど。そう思って、それから美鈴さんの服装を思い浮かべて胸をわくわくさせ、家を出た。





美鈴さんが「待ち合わせはここがいいです」と、めずらしく自分の希望を僕に言ってくれたのは、美鈴さんの家の近くにある地下鉄路線の最寄り駅から、二駅過ぎた駅の改札だった。「改札が一つしかないし、おすすめしたいレストランがあるんです」と彼女はちょっとだけ得意げに微笑んでいた。




そろそろ11半になる頃合いに、僕は美鈴さんに指定された待ち合わせの改札に着いた。そこは、人がごみごみしているというよりは、なんとなく閑散としていて、あまり降りる人も居ない駅のようだった。僕は、「住宅街の中にある駅なのかな」となんとなく思いつつ、まだそこには居なかった美鈴さんを待つために、改札前の壁に張り出した大きな柱に寄りかかっていた。


「馨さん!ごめんなさい遅れちゃって!」

そう言って改札の奥から美鈴さんが走ってこちらに近づいてきたのが、それから十分後のことだ。美鈴さんは待ち合わせに五分遅れただけなのに、どうやらホームに降りた時から駆けてきたらしく、改札を慌てて通って僕の目の前まで走ってくると、胸を押さえてはあはあと息を切らしていた。

「そんなに慌てなくていいのに。まだ五分しか過ぎていませんよ。僕も来たばかりですし」

「で、でも…」

「大丈夫です。じゃあ連れて行って下さい」

「は、はい!」

彼女は、僕をレストランまで連れて行くということを思い出して、元気よく返事をした。そして僕の前に立って歩き出し、僕を振り返る。


美鈴さんは、白いレースの掛けられた赤い膝丈までのスカートを履いて、小さな刺繍が左胸の上にある、半袖のシフォンのブラウスを着ていた。そろそろ夏になるから、この間まで着ていたようなカーディガンやジャケットは、彼女は身に着けていない。

髪は今日は編み込みではなく後ろで一まとめにしてあって、長い前髪も一緒に引っ詰めにしてあったけど、とても丁寧にまとめられて、銀色の細工の付いたバレッタで留めてあった。


改札から出口へと進んでいく間、何度も僕を振り返ってスカートをひるがえす彼女は、いじらしい。地上へのエレベーターを降りる前に、僕はそれを言ってしまいたくなった。なんだか、周りに人が居たら、素直に言えなさそうだから。

「あの…」

「はい」

弾む息も収まって落ち着きを取り戻していた美鈴さんは、僕に振り向いた。長い睫毛。落ち着いた柔らかい光をまとう、大きな瞳。僕はそれに目が眩んでしまいそうになり、慌てて目を逸らした。

「今日も…素敵です…」

やっぱりうつむいてしまったけど、美鈴さんは僕の左手を取って「ありがとうございます。馨さんも、その眼鏡、とても素敵ですよ」と言ってくれた。その時、エレベーターの扉が開いて、僕たちは人通りの少ない狭い道に出て行った。