馨の結婚(第一部)(1~18)
やがて、窓に掛けたカーテンの隙間から、白みだした明けの空が僕の部屋に滑り込み、朝が来る。
僕はそれがなぜだか、しようがないほど嬉しくて、朝が来るのを早く確かめたくて、小走りで窓に駆け寄った。そして元気いっぱいにベランダ側のガラスに掛かった幅の広いカーテンを左右とも開けて、朝の光の上澄みで部屋を満たした。
まだ柔らかで涼し気な光は、霞のように僕の部屋に広がり、僕はその清浄さで心まで洗われていくのを感じた。
そして僕は、さっきまで自分が幸せにうなされていたベッドをふと振り返る。それからまた美鈴さんのことを思い出した。
「彼女はまだ眠っているだろうか?それとももう起きて、勉強をしているかな?」と僕は考え始める。それから、パジャマ姿で布団にくるまっている美鈴さんを思い浮かべた。
僕は、彼女がすうすうと寝息を立て、ふかふかの布団を体の上にきちんと掛けて、片手だけを布団からはみ出させて眠っているような気がした。
彼女の滑らかで少しだけうねる長い黒髪が、眠っている間に少し乱れて枕の上から零れ落ち、布団の上に流れて朝の薄い光でつやつやと輝くのが目に浮かぶようだ。
彼女の表情は、眠っていれば誰もがそうあるように、和らいで幼く見え、すんなりと寝かされて少し頼りなく下がり気味の眉も、閉じられた瞼の縁の長い睫毛も、髪と同じくひっそりと薄陽を照り返すだろう。それから、色白で肌が透けて見えるような美鈴さんの頬は、今も自然と薄紅色をしていて、唇はバラの花びらのように、瑞々しい紅色に違いない。
僕はそうやって、目の前のガラスに映し出すように美鈴さんの寝姿を想像していた。そしてはっと我に返り、自分が勝手に美鈴さんの立ち入ってはいけない領域に忍び込んだような気がして、慌てて頭を振った。
早く会いたいな。一晩中、彼女のことを考えていたんだから。
そう思い返して、また僕は少し恥ずかしい気持ちになる。こんなにも急に手に入った幸せを、僕はどうしたらいいのかわからないし、今朝までのように彼女に熱し続けていたら、何か悪い事態を招きそうな気もして、不安にもなった。そしてそこで、ふとある疑問が湧く。
彼女は、僕をどんなふうに好きなんだろう?どこまで僕のことを好きなんだろう?本当に大好きで、真剣に考えてくれているかな?
そこから先は、僕はぼんやりと不安の中に佇み、知りようもない彼女の気持ちの答えを探ろうと、漠然と考え続けた。
もちろん彼女は人との関係に真剣な人だし、僕とのことを遊びのように考えられるような人ではないことは、もう、僕が一番よく知っているはずだ。
もし彼女が僕に飽きてしまったり、僕を嫌うようになるとしたら、僕が彼女を満足させてあげられない人間だったという結果だけかもしれない。
僕は、人との会話は小さい頃からちょっと苦手だった。だから、相手のことを考えながらとてもよい返事ができているかについて、いまだに自信はない。それに、「気遣いがよくできる」なんてほめられたこともない。僕がほめてもらえるのは、学校の成績だけだった。
そんなことばっかりに注力してきたから、僕は自分が人に優しくできる人間かわからないどころか、「やったことがない」とすら言えるかもしれない。
美鈴さんには、優しくしよう優しくしようと心掛けてきたけど、それも上手くいっているのかわからない。もしかしたら彼女は、僕が失態を演じていても見て見ぬ振りをして、僕を傷つけまいと黙っているだけなのかもしれない。
だから、美鈴さんが僕と付き合ってみて、やっぱり僕は聡明な彼女からは底の浅い人間に見えたり、彼女のような細やかな気遣いができない僕に彼女がうんざりしたり、僕は言葉が足りないからそのことに彼女が傷ついたり、男らしさもないから飽きられたり…。
なーんだ。僕なんて、いいところの一つもないじゃないか。でも…。
「それでも、彼女のことを誰よりも一番に考えて、わがままを言い過ぎたり傷つけたりしないで、いつも彼女を気遣って、どうしても彼女が僕から逃げたくなんてならないように、そばに引きとめておきたい。」
それが確かな答えのはずなのに、彼女が本当に僕と「ずっと一緒に居たい」と思ってくれるか、そして本当にそうしてくれるか、僕にはやっぱり見えなかった。
早く会いたい。彼女に会って、不安など消えてしまう、あの優しい笑顔に包まれたい。
僕は溢れそうな愛を重いため息にして少しだけ逃がした。このまま一人で考えに沈んでいたら、彼女を想う気持ちに苛まれて、僕は息もできないだろうと思った。
作品名:馨の結婚(第一部)(1~18) 作家名:桐生甘太郎