馨の結婚(第一部)(1~18)
第六話 彼女の事情
僕はわけがわからなかった。なんていうことはない、いつもの学食でまさかそんなことが起こるなんて思わないし、それに、園山さんがそんなことをされる理由もわからない。
園山さんの食事のトレーは、カレーライスで溢れかえり、彼女の服や、テーブルの真ん中あたりまで、カレーが飛び散って汚れていた。
僕は状況がまったく理解できずに、園山さんの脇に立っている女子生徒に目を移す。園山さんは、ただ黙って俯いていた。
その女子生徒は明るいブラウンに染めた長い髪を下ろし、カジュアルなアイボリーのワンピースに、ボレロのようなものを羽織っている。その生徒は手に持っていたトレーを盾のようにして、飛び散ったカレーで服が汚れないようにしていた。
嫌がらせだ。
そしてその女子生徒は、さも満足そうに、傲慢な笑いを浮かべて園山さんを見下し、こう言った。
「貧乏だもんねえ。たくさん食べられる時に食べなさいよ?」
僕はそれを聴いて、まるで自分も馬鹿にされて蔑まれたような、強い怒りと悔しさが、一気に体の中で爆発した。それは留めようがなく、僕の足はひとりでに恐ろしいスピードで動き、女子生徒へと向かっていく。
途中でその生徒は僕に気がつきこちらに振り向いて、僕が尋常でない怒りを抱いていることに気づいたのか、一歩後ろに下がった。その間に僕は三歩進んで、ついにその生徒の二の腕を強く掴む。
体が熱く震えていて、僕は奥歯を強く強く噛み合わせている。腕に力が入るのを止められない。
「ちょっと何よ!痛い!放して!」
その生徒は食堂中に聴こえる大声で喚き立てた。食堂の中に不穏なざわつきが次第に満ちていって、誰もが僕達の挙動を見つめている。そして、静寂が訪れた。
僕は、叫ばないように、怒鳴らないようにと、なんとか自分を抑える。そして女子生徒の両目をきっちり見つめて、睨みつけた。
「…二度としないと誓って下さい」
腹の底からの叫びを、喉元でなんとか押さえ込んで、低く震えた声で少しだけ吐き出す。本当は今すぐにでも怒鳴って叫んで、そこら中をめちゃくちゃにしてやりたかった。
女子生徒は僕が本気で怒っていて、自分をなんとか鎮めようとしているのがわかったのか、少し怯んだ。僕はもう一言続ける。
「謝って下さい。彼女に」
そう言うとその生徒はあからさまに不満そうな顔をして、僕を下から睨みつけた。
「何よ!アンタはなんなのよ!急に脇から出てきただけのくせにえらそうね!」
僕は絶対に諦めまいと思った。そして、ちょっとだけ園山さんに目線を落とす。彼女はおろおろして、でも怖くて何も言えないのか、不安でいっぱいの目を僕に向けていた。園山さんに微かに微笑み、僕は女子生徒に目を戻す。
「謝らなければ、今度は僕があなたにつきまといます。そうしてくれるまで。必ずそうします。だから謝って、二度としないで下さい」
僕がそう言うと、その女子生徒は青ざめて、びくびくと怯えだした。僕は腕を放さず、少しだけ力を込めて横に引っ張って、その生徒の体を、園山さんに向けさせる。園山さんは怖くて仕方がないのか、顔を上げずに俯き、両手をテーブルの下に隠した。
僕はずっとその女子生徒の横顔を睨んでいたが、その生徒は横目で僕を一瞬だけ睨みつけると、大げさなため息を吐いて、「ごめんなさいね」とつまらなそうに吐き捨てた。そして僕の腕を思い切り振り払って踵を返し、去り際にぼそりと「気持ち悪っ…」とつぶやいていった。
僕はその時、もう園山さんの前に屈み込んでいた。
園山さんはテーブルの上のカレーライスを睨みつけ、怒りを押し込めているように険しく眉間に皺を寄せていた。
「もう、出ましょう」
僕がそう言うと、園山さんは顔も上げずに、弱弱しく頷いた。
そして僕達は人を呼んで、自分達もテーブルの清掃を手伝い、園山さんは汚れたブラウスをジャケットで隠して、二人で食堂を出た。
「どこか人のいない場所で…話をしませんか」
僕がそう言うと、園山さんは校舎の廊下で立ち止まり、手に持った鞄の持ち手を両手で何度も握り直した。
「あまり人がいない喫茶店を…知っています…」
作品名:馨の結婚(第一部)(1~18) 作家名:桐生甘太郎