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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Slicktop

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 気の利いた言葉を返したい。熊井さんみたいに、わたしも頭の回転が速ければいいんだけど。でも、親も結局はただの『生き物』で、沸点を超えれば何だって投げ出すんだと思う。もし、そんな人の温度が、常に熱湯寸前なら? 『投げ出された状態から、どうやって元に戻してもらえるか』ということを、こっちが考えておかなければならない。これが、わたしの気の利いた返し。充分な沈黙が流れて、熊井さんの視線が唐揚げに泳いでいるのが分かる。
「子供も、猫と同じですよ。自分のことしか考えないし」
 この人も、どこか猫っぽくて、手が付けられない感じが残っている。わたしがグラスに視線を戻すと、熊井さんはウィスキーを飲み干した。
「だからかな、ポーカーを見てると、たまに羨ましくなるんだ。おれ、制御系の開発をやってるんだけど」
「ごめんなさい、分かんなくなってきました」
「パソコンの仕事だよ」
 奥でおじさんが、『また始まった』という顔をした。ということは、ここまでの話が熊井さんの『パターン』なのだろうか。煙草をやり取りして、名前をすぐに聞き出せずに、少し人とは違う、風変りなコメントをくれて。
「あの……、本当に失礼ですみません。体おっきいから、てっきりわたし」
「現場系だと思った? よく言われるよ。電車とか、信号を制御するシステムを作ってるんだ。故障したときに青にしちゃったら、とんでもないことになる」
「壊れた時は、赤になるってことですか?」
「そう、安全な方に切り替わるようになってるというか、そういう風に作るんだ。派手な仕事じゃないからね、信号がちゃんと動いたことをほめてくれる人なんていないし」
「でも、間違えたらめちゃくちゃに怒られますよね」
 わたしが言うと、熊井さんはその経験が少なからずあるように、肩をすくめた。わたしは続けた。
「縁の下の力持ちじゃないですか。かっこいいですよ」
 さっきまで体の中で様子を窺っていたアルコールが、一気に駆け上がってくるような気がする。わたしは自分の意志とは関係なく、喉の奥で順番待ちを始めた言葉を、新しいカクテルのひと口で抑え込んだ。
「ほめられたことがあまりないんですよ、わたし。今やってる事務の仕事も、中途半端だし。だから、信号にはすごい共感できます」
「信号に乾杯」
 熊井さんが言うと、マスターが笑った。おじさんもお猪口を持ち上げて、わたし達はその会話をずっと共有していたようにグラスをぶつけ合った。
 店を出たのは、十時前。カウンターと同じ距離感で、熊井さんが隣を歩いている。
「わたし、よく夜の仕事やってる人って思われるんですけど、事務員って聞いて意外でした?」
「いや、深爪だからおれと同業かなって思った。キーボード使ってると、伸ばしてたら曲がっていくじゃない」
 熊井さんはそれとなく、わたしの手元に視線を向けた。地味さと派手さが混在した身だしなみ。少し化粧を薄くして事務員の制服を着るだけで、仕事用の頭に切り替えることができる。
「酔ってるとさ、わけわからなくなるもんだけど。でも、柏岡さんってシャープってか、変わらないよね」
「お酒ね、強いんですよ。健康診断の結果はあまりよくないんですけど」
 わたしがそう言うと、熊井さんは納得したように眉をひょいと上げて、コンビニを指差した。
「ちょっと寄ってく? 駅前のはどうも窮屈で」
 バイパスの近くに建つ大きなコンビニは、駐車場の方が広いぐらいで、空気はしんと冷えている。熊井さんは自分でもおかしいらしく、少し笑いながら焼鳥の缶詰をカゴに入れた。わたしは思わず声に出して笑ってしまい、口元を押さえながら言った。
「まだ、食べるんですね。しかも、鶏肉」
「後口にちょっとだけね」
 ニッカのポケットボトルを追加した熊井さんは、ふと気づいたように、隣の棚に回り込んで、言った。
「マイカちゃん、何歳?」
「三歳ですね」
「じゃあ、これだな。ポーカーはこれが好きで」
 金持ちそうな猫の写真が載った、キャットフードの缶詰。それを二つカゴに入れると、熊井さんは笑った。
「留守番してもらってるんでね、飲みの後はいつもこれで機嫌を取ることになってて。今日はマイカちゃんの分も、おれがごちそうしますよ」
「えー、いいんですか」
「エナジーバーも買ってく?」
 それは自分で買ったけど、猫缶は結局おごってもらった。お店の会計のときもわたしの分を少し持ってくれたし、太っ腹な人だ。駅前で、わたしは言った。
「あの店にはよく来ますか?」
「来るよ」
「次もし会えたら、連絡先、交換しませんか」
「いつ出張で飛ばされるか分からないし、今したいかな」
 熊井さんは反対側のホームから、電車に乗って帰っていった。わたしは、がらんとした車内で、スマートフォンの画面を眺めた。新しい連絡先がアドレス帳に追加されて、お互いのアカウントを確認するためだけの、短いやり取りが残ったメッセージの画面。あれだけぶつかっては戻りを繰り返しながら、何とか『知り合い』になった。かっこよかった? どうだろう。頼りになりそうな感じはある。それでも、会話を止められなかったのは、本能だと信じたい。そこに、自分の意志はなかったと。
 わたしは、自分の意志で生きて、動いているものが苦手だ。その延長だろうけど、それが死んで、食べ物として横たわっている姿も、どこか気持ち悪く感じる。だから、何から作られたのか分からないぐらいに、加工された食べ物が好きだ。食べている実感が湧かないから、罪悪感もない。子供の頃から、よく食べることは悪いことだと教わった。表情がころころと変わるのも、大きな声を出すのも。あまり鳴かないというポーカーちゃんなら、わたしの実家に受け入れられただろう。いいな。羨ましい。猫ですら大人しくできるのに、子供の頃のわたしはどうして、事あるごとに泣いたり、文句を言ったりしてきたんだろう。懲りずに熱湯に指を突っ込んで熱がるなら、悪いのは熱湯じゃない。
 アパートまでの道を歩きながら思い出すのは、熊井さんを反転させたような、自分の性格。わたしは、壊れたらちゃんと赤になるんだろうか? 親はどうだったんだろう。ずっと真っ赤に見えたけど、あれは壊れていたから? さっき、少しだけ残ったプライドを掬い上げて、『ほめられたことがない』なんて言った。実際には、『怒られなかったことがない』というのが正しい。
 熊井さんの『家には無事着きましたか』というメッセージ。アパートに近づくにつれて、はっきりと分かってくること。わたしは、自分で幸せになることはできない。誰かの幸せを参考にして、それを自分の幸せだと思い込む方法しか知らない。だから、熊井さんが食べている姿を見るのは好きだし、唐揚げが自分の所に半分分けられたときには、ちゃんと吐き気がした。
作品名:Slicktop 作家名:オオサカタロウ