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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Slicktop

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「えー、可愛いなあ」
 男の人の腕の中で、眠りに落ちそうな表情を浮かべている猫。指紋でところどころぼやけた画面を見ながらわたしが言うと、掲げたスマートフォンの後ろで、実物の男の人が笑った。
「ありがと。猫の話で気が合うなんて思わなかったよ」
 男の人は、熊井というらしい。少し酔いの回った横顔を見ていると、古い知り合いのようにも思えるけど、名前は一時間前に聞いたばかりだ。そして熊井さんは、わたしの名前をまだ知らない。ここまで聞き出すタイミングを逃していれば、わたしに関心がないか、とんでもなく頓珍漢なのか、そのどちらかだ。煙草の火を貰ったきっかけで話し出したから、もしこれからがあるとしたら、わたしはメビウスさんと呼ばれるのかもしれない。それなら、熊井さんはマルボロさんでよかったのに。火をつけてくれるタイミングで『熊井です』と名乗ったから、煙を吸い込んでいて返事するタイミングを逃してしまった。わたしが四杯目の甘ったるいカクテルに口をつけたとき、熊井さんのウィスキーが空になった。
「それ、そのペースで飲んじゃって大丈夫なんですか?」
 わたしが言うと、熊井さんは首を傾げながら笑った。
「それは、明日分かるよ」
 カウンターの奥に座るおじさんが深くうなずいた。みんな、無意識に席の間隔を空けているけど特に決まりはなくて、熊井さんはわたしのすぐ隣に座っている。よく食べる人で、席の前はお皿でいっぱいだ。
「ウィスキーと食べ物って、合いますか?」
 わたしが訊くと、熊井さんはうなずいた。
「ご飯ものは今イチだけど、香ばしいやつとの相性は最高だよ。なんか頼む?」
「わたし? いや、いいです」
 聞き耳を立てていたマスターが振り返りかけて、また別の客の相手に戻っていった。熊井さんは言った。
「おれはとにかく、世界中の食べ物を食べたいんだ」
 この居酒屋は、料理が売りでもある。お酒のメニューが書かれた黒板の隣に、倍ぐらいの大きさの『おしながき』があって、ほとんどのお客さんの目の前には食べ物が並ぶ。でも、わたしの前にはカクテルグラスだけ。お店の趣旨には合っていないのかもしれないけど、安心できる。ここなら、酔いつぶれた姿を誰も見たことがないから。それに、ふらりと一回立ち寄っただけで、猫好きの熊井さんと知り合うこともできた。熊井さんは、カウンターに置かれたわたしのスマートフォンに視線を向けながら、言った。
「写真、見せてよ」
 わたしの、柏岡江梨子という古くさい時代劇みたいな名前。大嫌いだし、正直訊かれるのが怖い。でも、本当にお互いの名前を知り合うような関係になるんだったら、最初にクリアしておきたい。そう思っていると、熊井さんは方針を変えたらしく、わたしの顔に向き直った。
「名前、なんて言うんだっけ? あ、猫じゃなくて……」
 わたしのことを、名前抜きでどう呼んでいいのか分からなかったのだろうか。だとしたら、頓珍漢コースだ。
「メビウスさん」
「え?」
「冗談ですよ、柏岡です。柏岡江梨子」
「いい名前だなあ。おれ、苗字が四文字で、名前が三文字ってのに、憧れてたんだ。熊井治樹だから、三文字ずつでしょ」
 わたしは笑った。変なこだわりだ。でも、そういうこだわりなら、わたしにだってある。
「わたし、写真とか一切撮らない人なんですよ。自分が人のカメラに写るのもいやなんです」
 自分のスマートフォンを掲げると、空っぽのフォルダを見せた。今日はこれで終わり。熊井さんとの関係は切断されたはずだ。前を向いた熊井さんは新しいウィスキーに集中するか、わたしが店を出るか。
「写真より若くはなれないもんね……。あ、なんかごめん」
 熊井さんは呟いて、そのまま俯いてしまった。その横顔をじっと見つめていたことに気づいて、わたしは慌てて目を逸らせた。
「すごい見ちゃいました。ごめんなさい。あの、そんな感じの返しは初めてだったので」
「ポーカーは四歳なんだけど、もう大人なんだよな。子猫の頃を忘れたくないから写真に撮ってるんだけど、見返してこの頃の方が良かったとか、比べることはしないかな。今が一番だよ。生きてるんだから」
 本当にそうかな。でも、その前向きな考え方は得だと思う。そういう人が世話してくれるなら、ポーカーちゃんも幸せだ。でも、猫にしては変わった名前だと思う。
「猫の名前なんですけど。ポーカーって、ポーカーフェイスとかから来てるんですか?」
「子猫の頃、ほんとに表情がなくてね。鳴かないし、どこか悪いんじゃないかって、ずっと思ってたんだ」
 数十分前に注文した唐揚げが目の前に置かれて、熊井さんが言った。
「あざす。あれ、二個多い」
 マスターがわたし達を見ながら笑った。
「サービスだよ。分けて食べな」
「ありがとうございます」
 わたしが歯を見せて笑うと、マスターは一旦逸らせた顔を引き戻して笑顔を作り、役割を終えたように再び去っていった。熊井さんは新しい割り箸で唐揚げを半分ずつに分けると、わたしに言った。
「チューリップっていうんだけど、これは美味しいよ」
「あの……、熊井さん。やっぱり全部食べてください。わたし、肉は苦手で」
「いいんだ? オッケー」
 熊井さんは二つにグループ分けした唐揚げを寄せると、食べ始めた。さすが『世界中の食べ物を食べたい』と言うだけのことはある。さっきの写真についてのコメントは、奇跡的に出たひと言なのだろうか。あのひと言で、一枚の写真も残っていない二十四年間の人生に、正当な理由ができた気がしたのに。唐揚げを食べて、ウィスキーをひと口飲んで、それが混じりあうのをひとしきり楽しんだ後、熊井さんは言った。
「見た目が残ってるとね。想像力がある人ほど辛いんじゃない。これだって、エナジーバーみたいな形になってたら、食べやすいかも」
 今度は、はっきりと分かるように、その横顔を見つめた。一旦同じように俯いたけど、さっきと違って、熊井さんはわたしの方を向いた。
「おれは考え込まないタチだから、マスターが鶏でも、目の前で食べられるけどね」
「多分わたしは、気にしすぎなんですよね」
「昔から?」
 熊井さんの言葉に、わたしはグラスに目を戻してうなずいた。その通り。生まれてからずっとかもしれない。
「だから、猫みたいに気を遣わないで生きられたらって、思います」
「いいね、猫か。そうだ、名前なんて言うんだっけ?」
「マイカです。わたしが名付けたんじゃないんですけどね」
「ポーカーと、マイカか」
 熊井さんはその組み合わせが気に入ったみたいに、小さくうなずいた。わたしも気に入った。それにしても、男の人がひとり暮らしで猫を飼うって、結構細かい性格じゃないと務まらなさそうなものだけど、この人はいい加減に見えるし、豪快だ。
「おれ、二十七なんだけど。ずっと実家で甘やかされてきたから、自分もでかい猫みたいなものでね。猫の世話は大変だったよ。投げ出さなかった親に感謝だね」
作品名:Slicktop 作家名:オオサカタロウ