著作権フリー小説アレンジ
エヴァンスの剣の腕は、魔界でも最高レベルといわれた人物だった。淫魔族はもちろん、悪魔族を含めた魔界全体で見ても、ここまで剣術に長けた者は誰一人としていなかった。
もっとも、魔族というものは、生命力が異常なほどに強く、寝首を掻かれたくらいでは死なない。
故に、魔族の戦いというものは、武道の試合のように行われ、勝った方は、年に数回行われる貴族院にそれを報告する。そして、新たな貴族として認められたり、格が上がったりするのだ。
階下の騒がしさが沈静化してきた。しかし、おかしなことに挑戦者は現れない。
「怖じ気づいたのか?」
エヴァンスは久々に自分の剣が振るえることにワクワクしていただけに、挑戦者が現れないことに少々がっかりしていた。
そのとき、扉の外に気配を感じた。
中を伺うような気配に、エヴァンスは武者震いした。そして、
「入ってもいいぞ」
と声をかけた。
バンッと大きな音がして、腰だめにソードオフショットガンを構えた男が入ってきた。エヴァンスは驚く。
「ハハッ! こんな所にもベトコン女の腐れプッシーが居やがったぜぇ! ヒャッハア!」
言うや否や、ショットガンが火を噴いた。エヴァンスは、とっさに銃口の射線上から離れる。だが、
「――っ!」
左肩に二箇所、焼けるような痛みが発生する。エヴァンスは狼狽する。明らかに射線から外れたはずなのに弾が当たったことや、弾が見えないほど速いこと、銃声よりも多い傷跡もそうだが、それより何より、こんな小さな傷に痛みが在ることに驚く。
痛みというものはそもそも、命を守るため、これは危険ですよと本人に知らせるためのサインだ。
サキュバスは並大抵のことでは死なない。首と胴体が切り離されても、近くに並べて三日ほど安静にしていれば治るほどだ。
それ故、痛みという感覚は、よほどの大怪我――人間ならば即死しているような――でなければ感じることがない。
こんな腕に穴が空く程度で感じるはずがないのだ。
(ならばこの痛み、なんだというのだ)
エヴァンスは抉られた傷口を見る。何かの魔術の匂いがした。火の元素(エレメント)に神聖性を付与してあるのだろうか? 魔族の肉が焼ける時特有の粘つくような焦げ臭さがする。
「なんだこれは」
エヴァンスの頭には狼狽の二文字以外に何もない。いきなり人間が殴り込んできたことも分からなければ、使用人達がどうしてしまったのかも分からない。
「よく避けたな! ハアッ! そこらの腐れプッシー娘どもとはできが違うようだなァ!」
そう言って、左手のポンプアクションで次弾を装填する。エヴァンスは動揺しながらも、反応する。
エヴァンスの背中からずるりと滑(ぬめ)った翼が展開し、エヴァンスの身体を守る盾のように前に回される。しかし、サキュバスの翼は本来、男性器へ快感を与えるための器官が進化したもの。防御力など皆無だ。
「,―― Lapis. Magia.」
ならば、それが可能なほどの堅さにすればよい。エヴァンスは自らの翼を睨み付け、魔眼を発動させる。その瞬間、翼が黒曜石の輝きを放ち、硬質化する。
石化の魔眼、それはサキュバスの基礎能力の一つであり、サキュバス族ならば誰もが持つものでもある。本来の用途としては、精液を得るため、男性器を勃起させる際に、補助的に用いるものだ。到底、攻撃に使えるようなものではない。
しかし、ラピスの称号を冠せられたラピス家の者たちはその能力を特化させ、対象の拘束。防御力の増強や、得物や防具の耐久度を底上げするなど、概念としての『石化』のレベルにまで高め、応用性の高い魔術に昇華させていた。
エヴァンスの翼が硬質化するのとほぼ同時に再度ショットガンが火を噴く。
エヴァンスの翼にばらばらと弾丸が叩き付けられ、エヴァンス激しい衝撃に思わず倒れそうになる。
「――くっ!」
エヴァンスは翼に走る痛みを、歯を食いしばって耐える。硬質化してもなお、弾が当たったときの痛みは健在だった。永い生の中で、痛みという痛みを感じたことが無かったエヴァンスにとって、それは視界が明滅するほどに強烈な感覚だった。
痛みと共に、弾き飛ばされそうな衝撃が来る。
エヴァンスが痛みに耐えながらもその感覚を解析する。幸い翼は貫通を貫通してはいないようだ。そしてエヴァンスは、ショットガンというものの特性を理解する。
(なるほど、仕組みはよく分からないが、面での攻撃が出来る火槍……か?)
淫魔は他の魔族に比べ人間と関わりがあるにもかかわらず、人間の歴史や文化に疎い。エヴァンスもその一人で、『銃』という物を知らず、火槍という銃の先祖に当たる武器を思い浮かべた。
エヴァンスは踏鞴(たたら)を踏みそうになる足に無理矢理力を込め、一気に踏み込む。盾の代わりにした翼を瞬時に背中の方に引き戻すと、左手を前に突き出したまま素早く踏み込む。背中側に引き戻した翼が羽ばたき、送り出した空気の勢いで、エヴァンスの身体はさらに加速する。
弓を射るように引き絞られた右腕を突き出す。
閃光が煌めき、流星の如き一撃が男を襲う。エヴァンスの狙いは左の肩だった。殺さない程度に痛めつけ、元の世界に送り返す。エヴァンスはそうしようとした。元来サキュバスは無用の殺害は避ける気質の者が多く、例え相手に襲われ、その反撃を行った場合でも、命までは取らないようにする者が多く、エヴァンスもまたその一人だった。
あるいはその判断はミスだったのかもしれない。
人成らざる者の、苛烈な踏み込みに人間の男が反応など出来るはずがない。それは魔族でも人間でも同じことを思っただろう。決してエヴァンスに慢心が在ったわけではない。
しかしながら、男は反応して見せた。重心を前方に移動させながら、しゃがむようにしてエヴァンスの一撃を恐ろしいほどの紙一重で避ける。しかしその動作は、単なる回避ではない。同時にカウンターの肘打ちが繰り出されていた。その攻撃はエヴァンスの右脇腹を深々と抉(えぐ)る。
自身の突進の勢いが載った強烈なカウンターに、エヴァンスは強引に押し戻される。その攻撃はエヴァンスの右肺を潰し、肋骨を粉砕するほどのものだった。
完璧なタイミングで放たれた肘打ちだったため、男の方にはダメージはほとんどない。
「今のは、少し危なかったぜぇ! ちょうど弾が切れていた所だったからなァ!」
男はそう言いながらショットガンに弾を込めていく。
エヴァンスはあまりのダメージに膝を付く。先ほどの弾丸のような痛みは無いが、身体の内部を掻き回す衝撃に立っていられなくなったのだ。いくら魔族で、回復能力に優れているとは言っても、サキュバスの物理的な耐久度は一般的な人間の女性とさして変わりがない。
回復するまでの間、致命的な隙が出来ることになった。
「さて、最後だし、楽しませてもらおうかねぇ!」
そう言って、男は銃を撃った。エヴァンスは硬質化させたままの翼を再度盾にする。
しかし、銃口から放たれた一発の弾丸は翼を貫き、そして更にエヴァンスの左肩に突き刺さり、大穴を開けた。
「きゃあああああああああああああ!」
エヴァンスは思わず、今まで忘れていた、生娘(きむすめ)のような悲鳴を上げ、頽(くずお)れた。
作品名:著作権フリー小説アレンジ 作家名:西中