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 庭園が綺麗だとロザリオが言っていたのを思い出し、寺井は外に出てみることにした。
 正直に言ってしまうと、図書室に行ってエヴァンスと邂逅してしまうのが気拙きまずかったのだ。
 昨日自分がしたことは他人ひとの日記を無断で覗き見したような行為だ。
 南館一階の端にある昇降口から外に出る。
 外の空気は、ここが魔界だと言われても信じられないくらいにおいしいと寺井は思った。ほんの少しだけ涼しすぎる位の高原らしい風が肌を撫でる。
 若草の青い匂いが寺井の鼻孔を擽くすぐり、ここが魔界だと言うことも忘れ、思わず深呼吸をし、
(空気がおいしいっていうのはこういうことを言うんだろうな)
 と思った。その気持ちよさに、寺井は思わず誘拐されて良かったかも知れない、とすら思ってしまった。

 庭園は、中央に噴水が置かれた左右対称シンメトリーで構成されていた。その構造は、かの有名なベルサイユ宮殿を思わせる幾何学きかがく的な形だ。
 ただ、屋敷と庭園の中心線は微妙にずれている。
 これは、魔界における左右対称の二面性に由来する。
 魔族、特に人間の感性に似た思考回路を持つ者たちにとっても、左右対称はある種の完成系として認識され、美しい形であるという共通認識がある。
 しかし、完成された完全なる左右対称は、美しいと同時に神聖なものでもあり、魔族にとっては縁起が良くない。そのため、敢あえて左右対称を崩すのである。
 そんなことを知らない寺井は、微妙なズレに不思議なセンスのよさを感じていた。
 噴水を中心に、胸の高さで切り揃えられた植え込みが幾何学的配置で並んでいる。緑の植え込みからは、突然思い出したように色とりどりの花が顔を覗のぞかせている。
 花の形は薔薇ばらに似ていて、花弁はなびらが折り重なるように組まれているが、薔薇に特有の棘とげは無かった。
 庭園には現世の古今東西の植物に似た植物が在った。そう聞くと、雑多なようにも思えるが、しかしながらそれでいて調和が取れている。その様子は神秘的だった。
 屋敷の両脇のほうは幾何学的庭園とは打って変わって、自然に、在るがままにしたような作りになっていた。
 ただし、放置されていたのではなく、自然に似せて作られたものだ。
 幾何学的配置の庭園は美しく、素晴らしい作りであったが、寺井には少し息苦しく感じられ、屋敷の両脇の辺りに行った。
 そして、そこに在った休憩所のベンチに腰を下ろす。
 休憩所は、地中海の教会のようなドーム状の青い屋根と白い柱で構成されており、柱の上は綺麗な半円のアーチを描いている。その柱は陶器のような触り心地だった。そして、その中に、質素なベンチが置いてあった。
 木漏れ日が、芝生しばふの上に斑まだら模様を描き、明るい緑が寺井の目に染みた。
 寺井は、ふと屋敷の方を見上げる。ほんのりと黄味の混じった灰色の外壁に、規則的に並ぶ、半円と長方形を組み合わせた形の窓。その外観は思いの外、モダンだと寺井は思った。
 四階というのは現代ではさして高い建築物ではない。よほどの田舎いなかでないかぎり外を歩けば見ることが出来るだろう。ただ、どういう訳か、寺井には屋敷が酷く大きく見えた。
 そうして、しばし屋敷の方を見つめていると、二階の窓辺に人影が見えた。
 寺井は思わずどきりとするが、よくよく目を凝らすと、その人影は電動車椅子に座ったエヴァンスだった。
 エヴァンスは、どこか遠くを見つめていた。彼女は身じろぎ一つしておらず、寺井には、まばたきすらしていないように思えた。
 表情筋が死んでいるような徹底的な無表情で、その感情は読み取れない。ただ、その瞳には呪いや羨望といった熱病のような感情があった。寺井は何となく、彼女はまだ立ち直れていないのだと思った。
 昨日の魔導書グリモワールの中に居たのは恐らくエヴァンスが手足を失う前の姿だろう。
 寺井は一晩考えた。彼女がどうして、自分が強かった頃を記録した本を探していたのかを。
 もし自分ならば、恐らく『超えられない過去の自分』なんていうものを意識してしまったら、なるべくそれを意識しないようにして、劣等感を感じないように生きるだろう。だが、エヴァンスはそれをせず、むしろ、『自分の過去』に縋り付いたのだ。
 今の自分に納得できないから、過去の自分の栄光にしがみつく。それは当然の反応ではあるけれど、彼女は恐らく、そこから先に進めなくなってしまったんだ。
 それでも、強かった頃の自分を見て、その頃を思い出す以外に平静を保つ術がない。しかし、見れば見るほど現実との深いギャップを感じて、先に進む力を失ってしまうのだろう。
(なんとか、助けてはやれないだろうか)
 寺井は彼女の姿を見つめながら、自分の胸に去来した感情に戸惑う。どうして、彼女を助けたいと思ったのか。それは彼にも分からなかった。
 出会って二日しか経っていないのに、言葉すらまともに交わしていないのに、なぜだか寺井の心は彼女に捕らわれていた。
 ――どれほどの時が流れたのだろう。現世のものより幾分か赤い夕日が屋敷の壁を染める。
 それに気付いて、寺井はようやくエヴァンスの姿から目を逸らした。
 その時、ふと、視界の隅を誰かが通ったように感じ、寺井はそちらを振り返る。
 すると、そこには、火の付いていないカンテラを持って、林の中に入っていくロザリオの姿が見えた。寺井が昨日見たときよりも、幾分いくぶんか装飾をそぎ落とした黒衣に身を包んでいる。
 寺井はこんな時間にどこに? と訝しく思いながら、彼女の行く先を見た。
 離れの塔が、生い茂る木々の雲海うんかいから、その頭頂部とうちょうぶを覗かせていた。寺井は、ここに連れてこられた日にロザリオが行っていたことを思い出す。
『離れにある塔以外でしたらどこに行っても構いません』
 そこに何があるのだろう? 寺井は、その好奇心から、そっとロザリオの後を付けた。
 ロザリオは、塔の中に入って行った。寺井は塔を見て思わず唸る。高い訳ではない。装飾が凄い訳でもない。それだというのにこの威圧感はなんだ。
 その塔の周りだけ、草木が枯れ、空気が冷たい。
 寺井は戸惑う。
 寺井は、その塔に相対あいたいし、そこで初めて、実感として、魔界に来たのだということを認識した。その存在感の大きさに、踵きびすを返すことも出来ない。
 背中を見せたらその瞬間に、丸呑みにされてしまうのではないか? そんな思いが寺井の脳内をぐるぐると走り回る。恐らくロザリオがいる塔の中に入った方がいいんじゃないのか? 寺井はそう思い、恐ろしく古い木の扉を開けた。



------------------------- 第8部分開始 -------------------------
【サブタイトル】
八、離れの塔 九、人間の侵攻

【本文】

 寺井は扉をほんの少しだけ開け、身体を滑り込ませるように中に入った。塔の中は、仄(ほの)暗(ぐら)く、オレンジ色の僅(わず)かな光があるだけだった。
 寺井の目が慣れてきて、徐々に辺りの様子がはっきりと見えてきた。
作品名:著作権フリー小説アレンジ 作家名:西中