著作権フリー小説アレンジ
ロザリオはそう言って、同じように呪文を唱えた。再び作動音がして、またしても違う本が現れた。ロザリオはそのうちの一冊を手に取ると、適当なページを開いて机の上に置いた。
「これらの本はこうやって開くと」
本から薄い色相ペールトーンの光が、洗剤を付けたスポンジから出る泡のように湧き出し、立体的な像を結んでいく。
角が生えた紫色の肌の男が、丁度、本の上に立つような形で現れた。といっても、相当に縮小され、その身長は二十センチほどしかない。
寺井はそのSFの技術のような立体映像に、思わず感嘆の呻きを上げた。
「このように、映像が見ることが出来るため、字の読めない方でもおおよその内容を理解出来ます。また、そのまま本として読むことも出来る非常に情報の多い資料です。ただ、動画の音声までは翻訳出来ませんが」
そう言ってすっと本を閉じた。そこにいた二十センチほどの男は、キインと軽い音を立てて砕け、空気の中に昇華した。
「では食堂へ向かいましょう、せっかくの料理が冷めてしまいます」
ロザリオはそう言って、寺井を促した。
魔界の食事は思いの外、質素だ。
おいしいことはおいしいが、人知を越えた美味というわけではなく、どちらかと言えば素朴な味だと寺井は思った。
ロザリオは寺井と一緒に食事をすることはなく、エヴァンスもまたそうだった。必然、寺井は広い食堂で、一人で食べる。
それに、寺井はほんの少し寂しさを感じた。
食事が終わり、寺井は映像資料用の魔導書を読みに――鑑賞しに――また図書館に向かった。
寺井は一つの映像資料用の魔導書を書架から取り出すと机の上に置いた。先程と同じように立体映像が展開される。それは、魔界の生態系についての教養番組のような内容らしく、寺井の知らない生き物の狩りや子育てのシーンが映し出される。
文字が読めない上に、聞こえる音声も異国の言葉なので、寺井にはその内容は分からない。しかし、それでも寺井にとっては興味深いもので、じっくりと見入っていた。
寺井が、ふと気付くとエンディングらしいスタッフロールの立体映像が浮かび上がっており、一時間ほども経っていた。
寺井は、次の本でも見ようと書架を覗き込み、その中で一際豪華な背表紙に目をとめた。他の魔導書に比べ、やや厚く、金糸を織り込んだ細かい刺繍が施されている。
「なんだろう、これ」
寺井はおもむろにそれを書架から引き抜いた。
重い。
寺井はそう感じた。
その本は、表紙を構成する皮や金属の留め具を除けばほぼ紙だけで出来ているにも関わらず、人を撲殺できそうなほどに重い。
よほど凄い内容かもしれない。
その本を開いた。
すると、一人の美しい女性が本の上に現れた。ヴォリュームのあるフリルスカートの黒いドレスを身につけており、髪は赤銅色で腰ほどまである。異国の言葉で何か説明される。どうやら魔界の伝記のようなものらしかった。
場面は戦争のようなシーンに移り、異形の怪物たちがその女性に襲いかかる。しかし、その女性はほとんど動かず、何事か呟くと、怪物たちは見えない壁に阻まれたように停止すると、そのままびしびしと音を立て、身体が石化していった。
怪物の表情は分からないが、比較的人型に近いものの顔には恍惚こうこつの表情が浮かべられていた。
「――すごい」
そうして、その女性は、ゆっくりと歩くだけで、辺り一帯の敵を無力化し、石の路みちを造って歩いて行く。
画面が切り替わり、次々に女性たちが映し出されていく。
その女性たちは美しい赤銅色の髪を持っており、全員が美しかった。
画面が切り替わる。その女性は特徴的な格好をしていた。
それまでの女性たちは、足が完全に隠れるほど長いスカートの、ゆったりとしたドレスを着ていた。それに対し、その女性はのスカートは膝元までしかない。衣装もタイトで、胸や腰の周りは緩やかなカーブを描く金属のプレートで覆われている。式典用の防具のような格好というのが近いだろうか。その腰には白い鞘に入った突剣エストックが吊られている。
その衣装は、貴族というより寧むしろ女騎士や女戦士のイメージに近い。その姿は、それまでの女性と比べて、異彩を放っていた。
その女性の背景には円い窓に填め込まれたステンドグラスがあった。そのステンドグラスには、七色の輝きと、それに跪く、黒翼を持った女性が作られていた。それは、神話や伝承のワンシーンのようでもあった。
そしてその女性の足下に名前が表示されている。
『Lapisラピス Evansエヴァンス』
寺井の胸が、どくん、と鳴った。
他の女性達が魔法により敵を無力化していくのに対し、その女性エヴァンスは、突剣エストックを振るい異形をざくざくと切り倒していく。
動きは洗練されて無駄がなく、閃光が舞い散るように飛び散ると共に魔物が倒れていく。それは、サキュバスとしての能力とか魔術ではない。
――技だ。
魔族としての能力を持ちながら、それを使うことなく剣の技ソード・アートのみで戦っている。
「触るな、下郎げろう」
突然、鋭い声が響き、寺井の身体は硬直する。それは魔術の類ではない。純粋に、その声に込められた怒気とも殺気とも取れない赤黒い感情に当てられ、身体をこわばらせた。ほとんど身体を動かさず、視線だけでそちらを見る。
エヴァンスが電動車椅子を動かしながら寺井の方に近付いてきていた。
(大丈夫だ。幽霊の類じゃない)
寺井はそう心の中で唱え、なんとか平静を保つ。
エヴァンスは何も言わず、電動車椅子から身体を乗り出し、右肘で本を手繰り寄せて、左肩と顎に挟んで手に取った。
「どこに行ったかと思ったら、こんなところにあったのか。……これは、返してもらうぞ」
呆然とする寺井を置いて、エヴァンスはするすると車椅子を動かして立ち去ろうとする。
「それは――」
「これは」
寺井の言葉を遮るようにエヴァンスが出した声は、大きな本を顎で持っているにも関わらず、はっきりとして聞きやすく、凛とした声だ。
「ラピス家の記録であり、客人に見せるものではない」
エヴァンスは『客人』という部分を酷く強調して言った。それには揶揄やゆのような響きが在り、自分はそうは思っていないと言いたげだった。そう言って、図書館から出て行った。
寺井は、今し方見た両手足のあるエヴァンスの姿を思い出した。
エヴァンスはその姿を見られたくなかったのだろうか。
過ぎし日の栄光は、それがすなわち、すべからく誇らしいものとは限らない。決して戻れないものなら、それはなおさらだ。
その栄光は、或いは心の縛鎖ばくさとなる。
決して超えることの出来ない、過去の自分。それは自分でありながら自分を超えた存在であり、ある意味、最も強く劣等感を抱く憎き相手なのだろう。
いや、しかし、彼女はじゃあどうしてその本を探していたんだ? 自分の最も強かった頃の姿を留めている本を。
寺井は、エヴァンスが出て行った扉をしばし見つめた。
------------------------- 第7部分開始 -------------------------
【サブタイトル】
七、魔界庭園
【本文】
作品名:著作権フリー小説アレンジ 作家名:西中