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 フランは思わず左の黒の剣を取り落とし、自らの首筋に手をやる。剣は地面の柔らかい所に落ち、どっという鈍い音を立てた。当てた手の指の隙間から赤い血がどろりと漏れ出す。
「凄い……」
 フランは酔ったようにそう呟くと、悔しさの中に恍惚が入り交じった表情をした。戦闘に魅入られた、狂気の眼差し。
 フランは牽制するように右の剣を構え、首を押さえていた手を離す。既に出血は止まっており、ただ激しい血の跡が残るのみだった。
 フランはそのまま寺井を見据え、黒の剣を拾い直す。そして、ぴっと斜めに斬り払い、剣に付いた泥を吹き飛ばした。
「ご主人様……本来はここまでするつもりは無かったんですが……」
 メイドがそう言ったかと思うと、背中からがしゃりと音を立て、何かが現れる。
 肩胛骨の下あたりから出ている女性的な曲線で構成されたそれは鏡面のような銀色で、月光の青と森のライムグリーンを反射している。
「少しだけ、本気を出しても良いですか?」
 そう言ったかと思うと、背中から現れた曲線的な突起に更なる変化が起きる。背中から、鉄の刃が現れ、その突起をレールにして展開する。
 そこでようやく、寺井はそれがなんなのか気付いた。
 羽根が刃で出来た、機械仕掛けの鉄の翼。それが彼女の背中から生まれていた。
 両手に剣を提げ、背中から刃の翼を広げたその姿は恐ろしく、魔物じみている。
 否。そもそも此処は魔物の世界。
 彼女は魔物なのだ。
 寺井は剣を構え直す。
 飛び上がられて空中から投げナイフなどの投擲による遠距離攻撃をしてくる、なんてことになればこちらからは手が出せない。
 寺井は一足でフランに肉薄すると、袈裟斬りに斬りかかる。フランは軽く身を捻りながら跳ねて回避する。しかし、寺井の剣も返す刀で追う。軽く跳ねたフランの身体は回避の体勢に無い。
 刃が輝きを増し、重ねた手に強く引かれる。
 神速と成ったその一閃がフランのがら空きの身体に吸い込まれる。
 しかし、その時、しゃらんという軽い金属の擦過音と共に、フランの背から生えた翼が羽撃はばたく。瞬間、『死に体』であったはずのフランの身体が動く。ぐんと、刃を避けながら寺井の後ろに回り込むように旋回する。
 ざくりと、死角から横腹の背中側を撫で斬られる。寺井の意識が白熱する。
フランは既に跳び上がっていた。両手の剣を背中に隠すほど振り上げ、身体を反らせる。その跳躍は人間基準で考えれば恐ろしく高く、軽く二メートル以上飛び上がっている。
 だが、重力の恩恵を受けるとは言え自由に身動きのとれない空中に飛び上がるのは迂闊としか言いようがない。寺井は石剣・マーブルを同じく後ろに引く。フランが左右の剣を同時に振り下ろす。マーブルの剣身が一際強く光り、爆発するような速度で振られる。
 その一閃は、もはや人外の能力を持つ上級淫魔たるフランの動体視力をもってしても紫水晶アメジストの光の帯にしか見えない。二刀を噛み砕き、更にその肉体までも両断にせんとする一撃を避けるのは、空中に居る人間にはどどうやったって不可能だ。
 そう『人間』には。
 フランは再び、背中の翼を羽撃たかせる。ふわりと身体が浮き、赤黒の二刀と石の剣は擦れ合いながらすれ違う。
 寺井のマーブルは空を切り、フランの二刀は寺井の両肩を上から切り裂いた。
 フランは両肩を切りつけた二刀を支点に空中回転しながら寺井の頭上を越え、着地する。

 寺井はよろめきながらも再度フランに向き直る。
「ご主人様、これが淫魔の戦いですよ。翼による、回避後の死に体からの更なる行動と、予測困難な機動から繰り出される三次元的な攻撃」
 フランは余裕を取り戻したようにすっと刀を構える。
「予測してはいましたが、やはり『淫魔の戦い』に付いてくることが出来るほど訓練はされていないようですね。私でも捉えきれないほどの神速の剣をお持ちのようですが、それでは宝の持ち腐れですよ」
 そう指摘し、再度、フランから攻撃を仕掛けようと、ぐっと姿勢を落とす。
 寺井の持つマーブルの剣身も輝きを増す。
 寺井は不思議な境地だった。この剣の意志と自分の意識がリンクして、思考が加速し、更に思考から行動までのタイムラグが無くなっていくような感覚だ。
 フランが飛び出す。寺井は身体の力を抜き、その場に留まる。三度みたび、翼が羽撃たき、その身体が加速する。そして、その加速を載せた突きを放たんと右手の赤の剣が引かれる。
 それはフェイントだ。寺井は即座にそう判断する。今のマーブルではそんな攻撃は打ち払われる。それを分かっていてなお突きを放つほど相手も馬鹿ではない。
 翼が羽撃たく。
 糸に引かれたようにフランの身体が不自然に左に移動する。そこから右手にもった赤の剣が振られる。寺井の死角、ほとんど背後から迫る剣は更に複雑な記号を描くようにその軌道を変化させながら寺井の腎臓辺りにむかって走る。

 ――キイィン!

 高く澄んだ音が響いた。
 素早く背中に回したマーブルがフランの一撃を防ぎきっていた。
 フランの顔に動揺が浮かぶ。下手を打てば自分の背中をスライスしかねない挙動は、速さと正確さを兼ね備えて背中と赤の剣の間に滑り込み、その一撃を防いだ。
 その妙技に、フランは思わず感嘆を吐く。
 音が鳴るのと同時に、寺井は、メイドが放つプレッシャーに気圧された。
 自分はこんなに恐ろしい相手と闘っていたのか? そんな思いが胸の奥に渦巻く。まるで、今の今まで相手は自らの気配を消して闘っていたかのようだ。いや、実際にそうなのかも知れない。
 剣と剣が激しくぶつかる音によって、その効果が解かれたのだ。
「もう少し遊びたかったのですが、時間切れのようですね。私の負けです」
 寺井が戦いている間に、フランはそう言うとふっと滑るように後退する。
「またどこかでお会いしましたら……闘やりましょう?」
 フランはそう言いながら剣を仕舞う。そして、丁寧に礼をした。

 ――あああああああああああああああっ!

 その時、恐ろしい叫びが聞こえた。
 寺井は反射的に振り返る。すると、泉に白い水柱が立ち、誰かが走ってくる。
「それでは、ご主人様」
 フランは短く言う。寺井が振り返った瞬間、フランとの間合いはいつの間にか消滅しており、フランの唇が寺井の頬に触れた。その意味が分からず、寺井は困惑する。
 しかしフランはそんな寺井に構わず、にこりと微笑むと、ふっと後ろを振り向き、次の瞬間には森の奥へ消えていた。
 本当に消えたようにしか見えない。
 寺井との戦いではその速さの半分も出してはいなかったのか。
 それを思うと、寺井はなんだかずんと身体の奥が重くなるような感覚を覚えた。
 寺井は、身体の重さを覚えながら、そう言えば、お互いに名前すら聞かなかった、なんていうどうでも良いことを思考した。
「勝負だあああああああああああああ!」
 次の瞬間、声帯が弾け飛びそうな声を上げ、オレンジが突っ込んできた。
 オレンジは両手に大剣を持ったまま寺井の頭上を跳び越えると、そのままフランの消えた方向に回転しながら突進する。薙いだ二本の大剣が木をへし折り、大量の樹木が超巨大な竜巻に飲み込まれたかのように宙に舞い上がる。
作品名:著作権フリー小説アレンジ 作家名:西中