著作権フリー小説アレンジ
ロザリオがそんな考えに耽っていると、エヴァンスは唐突に口を開いた。一瞬誰に話しかけているのか分からず、戸惑ったが、エヴァンスの視線を見て気付く。オレンジに話しかけているのだった。
「……?」
オレンジは何も言わず、小首を傾げる。
「斬りつけられたとき、全員『殺す』気だっただろ?」
その一言に、車内の空気がぞっとするほど冷える。全員がその言葉に身を凍らせた。
寺井はともかく、淫魔であるロザリオとカテリナは大怪我をすることはあっても死ぬことはそうそうない。それだというのに、エヴァンスは「『殺す』気だったろ」と表現した。それは、すなわち死ににくい淫魔を、それも五大貴族の側近を殺せるだけの実力があると言うことだ。
「客人が……彼が斬りつけたとき、手首を見せて頭を守っただろう? しかしその時、防御の意志は無かった。あれは肉を切らせて骨を断つ、吸血種の血の魔術だろう?」
その言葉にオレンジは幸せな夢でも見ているかのような甘い笑顔で、
「ええ、そうよ」
と答えた。
話の内容と、雰囲気が全く以て乖離かいりしている。
ロザリオはそれを聞きながら、心の中がほんの少しクリアになっていくのを感じた。凪には程遠いまでも、ついさっきまでに比べれば荒れてはいなかった。
「そう、だったんだ」
ロザリオは誰にも聞こえない声でそう呟いた。
*
「あ、でも」
しばらくして、オレンジが何かを思い出したようにそう言う。車内の視線がオレンジに集まる。
「血の魔術はそんな自由に操れるものでもないし……殺す気があったのかと言われると、微妙かな。殺せたらいいなーくらい」
そんな事をニコニコと言う。話す内容と、話している者の雰囲気がまるで不一致だった。
「そうか。それで貴族の中でも最下層の地位なのだものな。お前は」
エヴァンスは少し同情するような声色でそう声をかけた。
しかしオレンジはそんな同情など聞きたくなかったのか、それとも他の事に関心が移ってしまったのか、ふいとそっぽを向いていた。
エヴァンスはその態度に腹を立てるでもなく、ふふと鼻先から抜ける笑いを零した。
「そういえば、人間さん、面白い人ね。名前はなんていうの?」
寺井は急に話題を振られ、少し驚きながらも、
「笠原寺井っていいます」
と言った。
「……覚えたよ」
オレンジはそう言うと、またしても別のものに興味が映ったらしく、ふっと振り返り、膝立ての状態でソファに乗り、少女のように窓の外を見つめる。
行動がまるっきり気ままで、貴族という言葉の持つイメージとは随分と様子が違う。寺井はそう感じる。
先に『鳥瞰する中央の塔』に向かったシャーロットも随分と自由な雰囲気を纏っていたが、淫魔の貴族というのは何か自分の持つイメージとは少し違うのではないだろうか。
「客人、『貴族』とは何か、分かるか?」
エヴァンスはふと、まるで寺井の頭の中を覗いたように言った。
寺井は一瞬驚いたが、単純に暇になってそう声をかけたのだと気付く。
よくよく考えれば、車窓の外を眺める以外には娯楽がほとんどないのだから、話し相手を欲するのも分からなくはない。
寺井はその問いに少々考え込んでから、
「お金を持っている者、とかですかね?」
と言った。寺井自身、酷く稚拙な解答にも思えたが、貴族と言われて最初に出てきたのが、眼がチカチカするようなロココ調に彩られた室内で華美なドレスを纏って豪勢な食事をしているようなものだったのだから仕方がない。
そんな稚拙な解答だったが、エヴァンスは
「それは正解でもあるが、定義ではないな。それは貴族というものの性質、その一部の要素を抜き出したに過ぎない。
もっともそうは言うものの、貴族とは何かという定義に答えるのは容易ではない。なぜなら、本来的な貴族の意味とは単に支配階級の事だ。支配階級であるため必然として『税』を取り、財を持つことになるから『お金を持っている』というのは正解の一つだろう。
貴族とは『故ゆえ無き』支配階級の事だなのだよ」
「理由が、ない?」
「そうさ。貴族の子は貴族なんだ。それが何代も続けば、貴族とは結局『なにを故に貴族たり得たのか』という部分が抜け落ち、単に『貴族は貴族であるから貴族たり得ている』……なんていうトートロジーに定義を落とし込まざるを得なくなる。
そういう『理由がないのに貴族であるというだけで支配階級である』という現状を良しとしない者が集まれば、必然、革命という現象が起こる。『革命は支配をひっくり返す』
これは恐らく何処だって一緒だろう。現に人界でもそれは幾度も起こった」
「人界でも、って言うことはこっちの淫魔族の中でも……? でも、エヴァンスさん達は貴族で……あれ?」
そうだ。何かがおかしい。
支配階級の否定が革命で、革命によってそれがひっくり返ったのならば、貴族は居ないのではないだろうか。
「人間の歴史と淫魔の歴史は少々違う道のりを歩んだようだ」
その疑問に答えるように、エヴァンスは口を開いた。
「人間の場合は『個人の能力』にそう大きな差はない。確かに貴族の抱える私兵の戦士と農奴の娘ではその力の差は大きいが、淫魔族の力の差に比べれば微々たるものだ。加えて銃という武器の登場はその差を半ば埋め立ててしまった。如何に屈強な戦士とて、銃弾に脳髄を貫かれれば死ぬ。銃を撃つのは農奴の娘であっても何ら問題はないのだ」
銃の話をするとき、彼女は少しだけ顔を強ばらせた。
そういえばそうだった。寺井は無数の墓を納めた塔の中でロザリオに聞いた話を思い出す。彼女はほとんど知識のなかった『銃』によって負けたのだ。
銃というものが貴族を殺す象徴のようなものであるならば、それは或いは必然だったのかもしれない。寺井の脳裏にそんな考えが浮かぶ。
「だが、淫魔の『力の差』というのは武器の一つや二つ新しくしたところで埋まるものではない。例えば分かりやすいのが雷の売女をとめだ。竜と成った状態の彼女に銃や魔剣で闘って倒せると思うか? 答えは否だ。銃や魔剣の類を持ち出したところで、彼女には傷一つ付けられん。よしんば傷つけたとして、それが致命傷に成ることはなく、文字通り逆鱗げきりんに触れるだけだろう。
彼女とほとんどの淫魔の間では『あまりの戦力差に闘いが成立しない』。
おっと、話が逸れたな。
話を戻すと、淫魔の革命は人界の革命の多くがそうであるような民主主義革命と成らなかった。それは、基本性能の差が個体によって違いすぎるからだ。
故に、淫魔の革命は『故無き支配階級』を倒し、『かくあるべき支配階級』を作るというものになった」
エヴァンスは久々の長広舌で疲れたようで、言い終えると机の上に置かれたコップからワインを一口啜った。
色々な事を説明され、寺井はむむむと唸り、眉間に皺を寄せて噛み砕こうと苦労する。何とか理解出来たような気がするが、何分難しい事を言われたので、きちんと理解出来ているのかは自信がない。
「それで、結局貴族って何なんでしょうか?」
寺井は、エヴァンスが初めにした質問をする。
作品名:著作権フリー小説アレンジ 作家名:西中