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 ロザリオの腕に大剣が食い込んだ瞬間、寺井は剣を振るっていた。狙いはオレンジの右腕。剣道で言う『小手』だ。
 コンパクトな振りから斬撃を繰り出した。骨に当たって刃が止まる。だがそこで寺井の動きは止まらない。跳ね返った刃の勢いを利用してそのまま全身、全力の面を叩き入れる。
 オレンジは素早く左の大剣の柄から手を放し、手首の内側を見せるような格好で頭をガードした。
 手を離された大剣が重力に引かれ、落ちる。
「 , ―― Lapis. Magia. 」
 ずんと音を立て、その場にいる全員の動きが止まった。寺井の剣はオレンジの腕を斬る僅か手前で停止していた。そこから先に全く力が入らない。そこでようやく、寺井は石化の魔眼により身体の動きが止められているのだと気付く。
 エヴァンスの魔眼はその場にいる全員に効果を及ぼしていた。オレンジに至ってははほとんど宙に浮いているような状態で停止していた。
「《狂剣》お前の気持ちは分かったよ。私が直接戦おう。これ以上自分の家の者達や協力者が傷つくのを見るのも癪なんでね」
 馬車の中からそんな声が聞こえる。そして、きゅるきゅると車輪が回る音がして、窓から出てくる。
「なっ……」
 オレンジは絶句する。それは当然だっただろう。闘いたいと心から願った相手は、既に剣で闘える状態には無かった。
「《石の蜂》お前、その身体、どうしたっていうんだ?」
 オレンジは直球でその質問を投げつける。《石の蜂》と呼ばれたエヴァンスはやはり少し不機嫌そうな顔をして口を開いた。
「三十五年前にやられてね」
「再生能力はどうした? サキュバスならばそのくらいの怪我、三日も寝れば治るだろう?」
「再生を殺す小刀こがたなで斬られたのだよ」
 エヴァンスはほとんど感情を見せずに、呟くようにそう言った。
「それでもなお、それほどに強い魂の音をさせているのか。お前は」
「いや、一度折れていた。最近までね」
 そんな会話をするうち、オレンジはふと笑い、『姿勢を正した』。
 これには、エヴァンスとオレンジ自身以外の全員が度肝を抜かれる。まだエヴァンスの石化の魔眼は効果を発動させ続けている。この状況でエヴァンスが彼女の石化だけを解くというのも不自然すぎる。
 加えて彼女の胴には半透明な鎖が巻き付いており、動けるはずがない。しかしオレンジが軽くその鎖に触れると、それも消えてしまった。
「凄く強力な石化だ。だが、これだけ時間をもらえれば分解も不可能じゃないみたいだな」
「そうか。それで、どうする? 私を滅ぼすか?」
「いや、止めよう。私の負けだ」
 オレンジは、そう言ってふさあとスカートを靡なびかせ、馬車のテラス部分から降りると、二本の大剣を再び影の中に仕舞い込んだ。
「《石の蜂》よ、お前達は何処に行こうとしている?」
 オレンジは、ふと何かに気付いた様にそう訊ねる。
「それも分からずにどうしてここに立っていたのだ《狂剣》よ。おおかた予想は付いているだろう?」
 そう逆に聞き返され、オレンジは少し不思議そうに首を捻る。徐々に戦闘の中に在った精彩さを失い、茫洋とした顔色に戻っていく。
「はて、思い出せない。何故ここに居たのだったか……」
「『鳥瞰する中央の塔』に陸路にて向かっているところだ」
 そこで、ふとエヴァンスは全員を石化させたままだったという事に気付いたのか、「おっとすまない」と言うと、それを解除した。
 身体がほぐれるような感覚と共に自由が戻り、寺井は思わず息を吐き剣を下ろす。
 ロザリオはそれを確認すると、自分の腕に治癒魔術をかけ、少しオレンジを警戒しながらパトリシアの方へ向かった。
「『鳥瞰する中央の塔』……そこは、ええと、ああ、貴族会議……か?」
「そうだ」
「じゃあいく」
 オレンジは、まるで眠そうな女児が眠気を堪えながら話すような甘いイントネーションで話す。
「おもしろそう……、あたしもいく」
 この突然の申し出に、さすがのエヴァンスもやや虚を突かれたようだった。
「何を言い出すかと思えば……命をかけて貰うことになるぞ?」
 エヴァンスは脅すように言うが、オレンジはその言葉でハッと我に返ったように顔をあげる。
「素敵。私は、命をかけるのが最高に好きなの」
 ほんの少し滑舌を取り戻し、そう言った。
「そうか。……伝聞で聞いたとおりの売女をとめのようだな《狂剣》」
「売女をとめだなんて、もったいない……私は戦女いくさめ。そんな綺麗な言葉は似合わない……」
 エヴァンスとオレンジはそんな会話を続け、そして、
「よし、分かった。お前も一緒に連れて行こう」
 エヴァンスはそう言った。オレンジは嬉しそうに、にこりと笑う。
 まるで先程の凶行とはかけ離れた綿毛のような微笑みだった。
 これにはその場にいる全員が思わず驚きの声を上げる。
「お姉様、その女は道を塞ぎ立ちはだかったかと思うといきなり襲いかかってきたのです。それを一緒に連れて行くなど正気の沙汰とは思えません」
 オレンジに強い警戒心と不快感を露わにし、ロザリオは叩き付けるように言う。その苛立ちは分からない事を言うエヴァンスにも向けられているようだった。
 しかし、エヴァンスは飄々とした口調でそれに応える。
「そうかな?」
「そうですよ!」
「言いたいことは分かるがね、私が伝聞で知っている《狂剣》は闘いにのみ興味を示す売女をとめだと聞いている。心躍る闘いか否か。その行動原理が極めて明快だ。
 寝首を掻くような真似をするにしても、彼女に利がない」
 ロザリオは眉を顰めてオレンジを一瞥する。言いたいこともあったが、何を言ってもエヴァンスはそれに答えを用意して説得させられてしまう。そんな確信じみたものがロザリオの頭に浮かび、諦めたように頭かぶりを振った。

三十一、貴族であるということ

 先程の傷をものともせず、パトリシアは馬車を牽く。
 その馬車の中には四人の淫魔と一人の人間が居た。
 淫魔五大貴族、石の売女をとめ、エヴァンス。
 その側近のロザリオ。
 淫魔五大貴族、雷の売女をとめの側近、カテリナ。
 淫魔貴族にして五剣帝の一人、狂剣オレンジ。
 そして、人界からの客人、寺井。
 その『五人』の間にはなんとも微妙な空気が流れ、場は沈黙に支配されている。
 微妙な空気の大きな原因のひとつがロザリオだった。
 酷く不機嫌そうな溜息を吐きつつ、オレンジに監視するような視線を注ぎ続けていた。しかし、当のオレンジはその視線を気にするでもなく、眠そうな目をして船を漕いでいる。
 そのことも酷くロザリオの心を荒んだものにしていた。
 あのとき、エヴァンスは自分が斬られそうになった瞬間ではなく、『オレンジが斬られそうになった瞬間』に石化を発動させた。
 そのことが酷くロザリオの心を焦慮じみた苛立ちに塗りつぶす。
 あの一撃は『寺井の登場による動揺からの剣筋の乱れ』さえなければロザリオの身体を両断しているものだった。
 それだというのに、エヴァンスは何もしなかった。ロザリオよりも寺井の方がよほど大切なのか。いや、見ようによってはオレンジの方を助けたようにすら見える。
 そんな思いがロザリオの頭の中をぐるぐると渦を巻く。
「しかし焦ったぞ」
作品名:著作権フリー小説アレンジ 作家名:西中