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 寺井はその機械的でエロティックな単語に恐怖にも似た欲情を覚えた。
「そう言うわけですので、私はもう寺井様を襲って差し上げることは出来ないのです。申し訳ありません」
 そこで寺井の脳裏に一つの疑問が現れる。
「俺はいつロザリオさんにそんなことを……?」
「もうお忘れになっているかも知れませんが、昨晩の夢で私は寺井様を誘惑いたしました。まあ、失敗してしまいましたが」
 ロザリオはほんの少し不服そうと言うか、自信を喪失させられたといったような顔をしてそう言った。
 その言葉で、夢の埋め立て地に行きかけていた『夢の中の記憶』が呼び戻される。
『こんなになった私でも……、愛してくれる?』
 そんな言葉が思い出され、寺井は思わず胸に走った痛みに、苦い顔をした。
 そんな寺井の様子を知ってか知らずか、ロザリオは言葉を続ける。
「ですが、せっかく私たちの城に来ていただいたのに精液を一滴も出さずに帰すなんていうことはサキュバスの名家、ラピス家の名折れ。せっかくですので、お姉様のお相手をしてもらえないでしょうか」
「ロザリオさんの――姉、ですか」
「ええ、エヴァンスという名の……姉、です」
 寺井は、そんな会話をしながら、ほんの少し嫌悪感にも似た感じを覚えていた。そういうことは、本来、好きになったもの同士でやるべきことのはずなのに。寺井は、まるで漫画本を貸し借りするような言い方に眉を顰しかめた。
 ロザリオはそれを見て、寺井の感情の機微に気付いたようで、少し冷たい声で、諭すように言う。
「寺井様は嫌がるかも知れませんが、私たちにとってはそう言った行為は魔力供給のための、言わば食事の延長のようなもの。恋とか愛といった感覚はあまりないのですよ」
 そして、そう言った後、ほんの少し表情を柔らかくし、更に続ける。
「ただ、サキュバスは魔族の中ではもっとも人間に精神構造が似ているのだそうです。実際、人間と結ばれるサキュバスも、そちらの世界の国際結婚と同じくらいの割合で存在していると聞きます。単純に、そう言った恋人同士の行為とは分けているのです」
 寺井はそれを聞いて、なるほどと頷いた。納得したわけではないし、どのみち自分に拒否権なんてものは無いのだが、理解することは出来た。それは些細なことだが、ほんの少し気分が楽だと寺井は思う。
「それではこちらにいらしてください」


------------------------- 第5部分開始 -------------------------
【サブタイトル】
五、四肢無き淫魔

【本文】
 ふとした違和感に気付いて、寺井は質問をした。
「そう言えば、エヴァンスという名はファーストネームではなくて姓ファミリーネームではないんですか?」
「確かに、そちらの世界ではエヴァンスという名は英語圏の姓のようですね。ただ、魔界こちらの場合は名になります。そもそも、こちらには姓という制度がないのです」
「全員が下の名前だけってことですか?」
「基本的にはそうなります。ただ、姓とは少し違いますが、力を持った家や個人は、その能力や性質、住んでいる場所などによって、二つ名――すなわち、称号のようなものを名乗ることが許されます。例えば私の場合は、Monachaモナカという二つ名を名前の前に冠することを許されています。なので、正式には Monachaモナカ Rosarioロザリオ と名乗ります。
 ちなみにモナカはそちらの言葉では、修道女シスターが意味として近いでしょうか」
 ゆったりと歩きながら、ロザリオは寺井にそう答える。
「それじゃあ、今から会うエヴァンスさんにも?」
「お姉様はLapisラピスを名乗っています。石という意味ですね。
 ちなみに、家族間で称号が異なる場合、存命の最年長者の称号が家の名前になります。そのため、より正式な場では家の名から名乗らなければならないので、LapisラピスMonachaモナカ Rosarioロザリオと名乗ります」
 ロザリオはそう言った。
 館の中は細部に至るまで、非常に精緻な細工が施されている。しかし、それでいて、見る者に華やかな印象を与えない。そんな、例えるなら地味ロココといった作りだ。
 廊下の壁は、磨すりガラスのような材質で出来ており、柔らかく光を取り込んでいる。床にも細かい模様が描かれており、更に鏡のように磨かれている。
 その地味とは言え絢爛けんらん豪華ごうかな様子は、庶民の感覚から離れていた。寺井はなんだか落ち着かない空間に放り込まれたような感じと、目が痛いような錯覚に陥っていた。
 しばらく歩くと、壁に宿泊施設のようにドアが並んでいる場所に出た。ただし、ドアとドアの間隔は非常に長く、一つ一つの部屋が大きいことを思わせた。
 その並んでいるドアの一つの前でロザリオは立ち止まった。
 ――こんこん。
「お姉様、精を連れて参りました」
 寺井は、その表現はさすがにあんまりだと思ったが、黙っていた。
 一拍おいて、ロザリオが扉を開ける。
「, ―― Lapisラピス. Magiaマギア.」
 ロザリオが扉を開けた瞬間に、鋭く声が響いた。
 女の軍人のような、凛々しい声だと寺井は思った。そして、その声を聞いた次の瞬間、寺井の身体が硬直した。
 まるで、自分の身体全体を、一分の間隙かんげきもなく硬い膜で覆われるような、そんな閉塞感が寺井を襲う。
 どういう訳か全身がぴくりとも動かない。寺井はどうなっているのかと聞こうとしたが、声を出すことすらかなわなかった。彼は丁度、目線を自分の足下に向けていたので何が起こっているのかまるで分からない。
「お姉様、大丈夫です。彼は純粋な一般人。魔術装備も無ければ戦闘能力も皆無です」
「……わざわざそのまま持ってこなくても構わない。なぜいつものように搾ったものだけ持って来ないのだ」

  連はパニックしていた。瞬きすらできないので目が痛い。肺も動かず呼吸すらできない。

(寺井様、それは、お姉様の石化の魔眼の効果です。お姉様は少々人間への警戒心が強いものでして)
 ロザリオは寺井にだけ聞こえるような小さな声でそう耳打ちした。
「いえ、いつものようにしようと致しましたのですが、不覚にも途中で精に目を覚まされてしまい、こちら側に転送されてしまいました……。一度失敗していますから私はもう搾精出来ませんし、返すためにはこちらに精を提供しなければならないというやっかいな転移術式の反射バウンスが発動してしまったようで……」
 ロザリオはそう言って頭こうべを垂れる。
「…………今は食欲が無いわ。下がりなさい」
 怠惰ではあるが、高慢な口調。その違和感。なにかロザリオに負い目でもあるような、そしてそれを必死に取り繕っているような、そんな響き。寺井はその響きに気付き、いっそうその声の主を見てみたくなる。
「お姉様、石化を……」
 ロザリオは少し言いにくそうに、姉にそう言った。ほんの少し迷うような間の後、
「, ―― Liberatioリベラティオ.」
 そんな言葉が飛び込んできた。その言葉を聞いた瞬間、寺井は自分の身体を拘束していた何かが消え去るような感覚がした。
 そして、同時に目線を上げる。
作品名:著作権フリー小説アレンジ 作家名:西中