著作権フリー小説アレンジ
対峙しただけで足が竦み、失禁してしまいそうな相手。
そんな相手との戦いこそが私を私で居させてくれた。
しかし、そんな時も長くは続かない。
私は強くなりすぎた。
かつて自分が渇望した強者との戦い。
その『強者』に自分がなっていた。
それでも私は戦い続けた。
更なる高みを目指す者としてではない。
更なる強者と対峙し、全力の戦いをするために。
その理由は自分が自分であるという実感を得るため。
その他に無い。
思いが純粋なだけに、私は強くなりすぎた。
もはや私が心躍る戦いは出来ないのだ。
三十年ほど前からは特に酷い。
剣帝と呼ばれた者の一人が人間に斃たおされたのだ。
その噂を聞いた素人が、剣を握り私の館に押し寄せてきた。
決闘により貴族にのし上がるためだ。
児戯にも等しい剣術を使い、私に躍りかかる素人達。
その素人をいくら斬っても、
自分が自分であるという実感を得られることは無かった。
諦めた私は屋敷に閉じこもる。
素人の中にも、
私の自我を保たせてくれるものがいるかも知れない。
それはとんだ思い違いだった。
それはに気付いたのは、つい十年ほど前の事だ。
日に日に強くなる、
自分が自分か自分でないのかという問答。
私はどんどん苦しくなっていく。
生きている実感はどんどん無くなっていく。
痛みを感じるほど強く身体を傷つけては、
流れ出る血を舐める。
痛みと血の味だけが私をここに留めてくれていた。
幾度目になるのか分からない自傷行為。
手首には白いラインが何本も入っている。
淫魔の優れた回復力を持ってして跡が残るほど、
日常的に傷付け続けたせいだ。
血の味に飽きたら果物を食べる。
最近は共食いのようにオレンジをよく食べる。
口の中で弾ける果汁。
頭の中で弾ける自意識への疑問。
そんな日々を送る中、知らせが舞い込む。
ラピス家の者が、鬼を倒した。
鬼のエリカと言えば、最近名前を聞くようになった剣士だ。
腐っても五大貴族。
そんな新人など歯牙にもかけないと言ったところか。
しかし、
三十五年の長きに渡り、硬く門を閉ざしていたラピス家が、
今頃何故出てきたのか。
素人剣士を大量に生み出す元凶となりながら、
何故今頃のこのこと出てきたのか。
その疑問と共に、闘わなくてはという思いが、
私の中で弾けた。
行かなければ。
はやく。
行かなければ。
***
「名を何という!」
そう誰何され、私はふと前を見る。
しばらくの間、空想に耽ふけっていたらしい。
気付けば、やや距離を取ったところに、
一台の馬車が止まっていた。
そういえば、さっき一度誰何されたような気がする。
そうすると、私は随分無礼なことをしたかもしれない。
馬車を牽いているのは、ケンタウロスの淫魔か。
彼女はなんだか怒ったような顔をしている。
ああ、私が返事をしなかったから怒っているのか。
「私は」
おや? と思った。
私は、誰だったっけ?
いつもならスラスラと口から名前が出てくるのに、
今回に限って出てこない。
どうやら自分の名前をど忘れしてしまったらしい。
いや、そうか?
果たしてそうなのか?
いつもなら、とはいうが、『いつも』とは何だ。
本当にいつもスラスラと自分の名前が言えていたか?
「だれだっけ?」
口からそんな言葉が漏れる。
その感覚すらどこか遠い。
まるで自分の身体が自分のものでないような違和感だ。
そんな時、不意に、
かつて対峙した強敵達が持っていた、
恐ろしいほどに真っ直ぐな魂の鼓動が聞こえた。
最高に気持ちが良い戦いを与えてくれる。
絶頂なんかより遥かに気持ちの良い戦いを。
その強敵は、強敵強敵――。
戦いの中で、戦え、戦え。
私は戦いの中で。で、で、で、で。
オレンジの果実が頭の中で弾けた。
「ありがとう思い出した」
両手を広げ、影を作る。それが私の持つ力を発動させる鍵。
軽く掌に力を集め、それを下の地面に投影する。
私の能力。
それは影の中に物体を仕舞い、影から物体を取り出すものだ。
「私の名前はOrangeオレンジ」
影から飛び出した大剣が、両手に収まる。
気持ちの良い重量感と共に、火が点る。
全身の血管が拡張するような感覚と共に、まるで冷水を浴びせかけられたように意識が覚醒する。
「うあっ!」
思わず喘ぎを上げるほどの気持ちよさが背筋を這い上がる。その快楽は、正まさしく自分が自分で居られる喜びと、生の実感だ。
今まで眠ったまま行動していたかと思うほど、頭の中がクリアになる。
自然に、ごく自然に笑みがこぼれる。
私は顔を上げ、にっと笑った。
「私は淫魔吸血種の貴族にして五剣帝ごけんていが一人」
「《狂剣》」
「Hematoエマト Orangeオレンジ」
そう名乗った。
血が、皮膚の内側で、ざわりと騒いだ。
三十、《狂剣》
紅い女は、ふと何かに気付いたように顔を上げる。
「ありがとう思い出した」
ばっと両手を広げる。ドレスは裾の部分が薄絹のような少し透ける布で作られており、手を広げた時にふわりと垂れる。その直後、地面から二本の剣が飛び出し、彼女はその柄を握る。
朱い女は笑った。
その瞳に狂気を宿し、血の色の口紅は妖しく弧を描く。
「私は淫魔吸血種の貴族にして五剣帝ごけんていが一人、《狂剣》、Hematoエマト Orangeオレンジ」
手に握る二本の剣は、まるで鉄の塊から切り出し、強引に刃を付けただけのような無骨さで、装飾の類は一切ない。
持ち手の長さから鑑みるに両手剣であることは確実だったが、まだ先端が影の中に埋まっており、正確な長さは分からない。しかし、間違いなく標準的な剣のサイズには収まらない。剣の幅も広く、掲げればそのまま盾になりそうなほどだ。
人間では到底扱いきれそうにないそれを、彼女は片手で、しかも二本も操るつもりのようだ。
「私と闘って?」
オレンジはそう言うと、猛烈な勢いで飛び出した。
「な!」
寺井が声を上げたのと、ロザリオとカテリナが馬車前面のガラス戸に突進したのはほぼ同時だった。
ガラス戸――と、その時まで寺井が思っていたもの――は、二人の身体を受け入れると、まるで液体のように揺れ、二人を外に吐き出す。
決闘を申し込まないまま戦いを仕掛けるというのは、淫魔族にとっては御法度。それは、当然護衛すべき状況に当たるため、カテリナも迷わず飛び出した。
二人が外に飛び出すのと同時に、パトリシアも迎撃のために飛び出している。
「大丈夫だ。客人はここに居てくれ」
エヴァンスはソファから電動車椅子に乗り換えながらそう言った。大丈夫だ、戸は言いながらもその顔にはやや険しさがあった。
*
一撃で沈める。
それがパトリシアの信念だ。
学がないために魔術も碌に扱えず、その脚は商売の道具だ。故にパトリシアは極限まで己の拳を鍛え上げ、気力や根性でその拳の破壊力を更なる高みへと強引に押し上げた。それが、彼女の一撃必殺技たる『鉄拳制裁メタルキャノン』だ。
作品名:著作権フリー小説アレンジ 作家名:西中